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不良少年 ちくま新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房/ |
発売年月日 | 1997/10/20 |
JAN | 9784480057280 |
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不良少年
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商品レビュー
2.6
5件のお客様レビュー
社会的貧困の「不良」をアメリカのティーンエイジャーから「太陽族」「暴走族」に至るまで60〜80年代の若者論として読み直し、主にアルチュセールにおける学校-家族社会における対抗として読み直す。中間領域としての「漂流」の意味を考えさせられる本。
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フーコーを下敷きとした日本の不良少年のディスコースをたどるが記述は至極退屈。ただ、最後の次の指摘だけが本書の眼目。「近代社会は、家の自立性を奪い、家が持っていた様々な機能を国家が担うことで、家族を市民社会に同化(社会化)させるに至った。近代的家族は、国家制度の末端に位置し、学校と...
フーコーを下敷きとした日本の不良少年のディスコースをたどるが記述は至極退屈。ただ、最後の次の指摘だけが本書の眼目。「近代社会は、家の自立性を奪い、家が持っていた様々な機能を国家が担うことで、家族を市民社会に同化(社会化)させるに至った。近代的家族は、国家制度の末端に位置し、学校ともども子供を管理する装置となった」。かつて家が持っていた宗教性(不可侵性)が喪われ、家がメンバーの避難所ではなくなり、幼児期から競争関係だけが強いられるというのは、如何なものか。ややナイーブに過ぎはしないか。
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(*01) 私が学生だった1980-1990年代にも不良は流行った。 本書は不良の流行について、近代の教育、法律、階級から(*02)説き起こしており、不良が制度からはみ出してきた様子を綴っている。 一方で映画や漫画、雑誌記事のイメージに現れた不良も分析しており、メディアに乗った偶...
(*01) 私が学生だった1980-1990年代にも不良は流行った。 本書は不良の流行について、近代の教育、法律、階級から(*02)説き起こしており、不良が制度からはみ出してきた様子を綴っている。 一方で映画や漫画、雑誌記事のイメージに現れた不良も分析しており、メディアに乗った偶像化に流行の一端を見ている。 文化人類学におけるトリックスター(*03)に不良を見立てる事も有効と思われるが、「ダチ」への民俗的な追及によって不良の原型を描くところまでは筆が及んでいない。 また、かつての家庭がアジールであった事を重視しているが、近代とともに現れた公共的な空間、公園、公道、学校、少年院が不良の舞台となっていた点について、アジールからの言及が必要かと思われる。もちろん不良を保護更生する民間施設としての街場についても、大衆文化に現れたイメージによる分析も可能だろう。 (*02) 優生学やダーウィニズムから不良が現れてくる様はほほえましい。不良と非行の違いについて、不良が先天的な性質ではなく、行動と後天的形質から解釈するように社会が変化したというのもある。 (*03) 昭和末期の不良がなぜ学ランのコスプレにこだわったのかについては色々な要因が考えられるが、本書に紹介された大正期の記事は参考になるだろう。ミリタリーにしてもツナギにしてもジャージにしても、不良のコスチュームには、ある制度的な服飾(制服)がマイナーチェンジされバージョンとして変装しつつ着こなされるところに、先の公園や公道という近代の制度による空間をやや変奏して使いこなす振る舞いとの共通を見る。つまり、トリックスターは、異界ではなく周縁から現われなくてはならない。
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