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宗教なき時代を生きるために
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 法蔵館 |
発売年月日 | 1996/03/10 |
JAN | 9784831872258 |
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商品レビュー
3.8
5件のお客様レビュー
何を隠そう、私のスタンスも最近まで著者と同じように、「宗教としては信じられない」という感じだった。哲学として学問的に勉強した分、中に入らないというスタンスを貫いてきた。いろいろな人生経験の中で、一度お聴聞に行って、そこからなぜかずっと続けるようになった私は、もうすでに著者の対岸...
何を隠そう、私のスタンスも最近まで著者と同じように、「宗教としては信じられない」という感じだった。哲学として学問的に勉強した分、中に入らないというスタンスを貫いてきた。いろいろな人生経験の中で、一度お聴聞に行って、そこからなぜかずっと続けるようになった私は、もうすでに著者の対岸にいる存在だろう。 「宗教性」の問題である生死の問題について、「宗教」以外の解決方法があるという。それは、「宗教」に乗り切れない孤独を抱えた人たちが、緩いネットワークでつながるというもの。「宗教」ではないから、とびぬけたリーダーもいない。そのネットワークでつながった人はいつでもそばにいてくれるのかな。必要なのは、いつでもそばにあるものじゃないのかな。少なくとも自分はそう。 第二章を読むと、著者はどちらかというと、外的なものに解決を求めるのではなく、自分が超越した力を持つことによって解決する方を選ぶタイプの様だ。この思いが強いと「浄土真宗」には乗り切れないだろうなと感じた。 オウムや新興宗教にはまっていく人の解説というかシミレーションのところはすごくよかったのだけれど、第三章の尾崎豊のところが、正直なところ、自分には良さがわからなかった。というのも、尾崎豊という存在前提の話なので、全然知らない私としては、想像力をもってしてもちょっと理解が難しかった。やはりミュージシャンの方なので、ファンの方であれば非常に興味深いポイントだとは思う。友人に聞いたら、発売当時はオウムより尾崎豊論の方が話題だったとのことなので、そうなのだろう。 この本が合うなと思う人は、 ?自分は宗教は無理という人が、同類だけど結構ぎりぎりのところで踏みとどまっている人がいるという新しい世界を認識できる。 ?信仰することで悩んでいる人が、絶対信仰にはいかないと言っている人のスタンスを学ぶことで、自分を客観視できる。 ?尾崎豊のファン。
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「オウム事件」を見てしまった「私」は、 宗教なき時代において、科学に真理を求めることもできず、かといって「宗教」を信仰することもしない。 しかし、「宗教性」そのもの自体を否定するわけではない。 このことは、1章で繰り返し誤解のないように語られている。 オウムと尾崎豊はつ...
「オウム事件」を見てしまった「私」は、 宗教なき時代において、科学に真理を求めることもできず、かといって「宗教」を信仰することもしない。 しかし、「宗教性」そのもの自体を否定するわけではない。 このことは、1章で繰り返し誤解のないように語られている。 オウムと尾崎豊はつながっている。 両者とも、「癒しの共同体」という偽りのでっち上げによって挫折したが、 著者は孤独を受け入れつつ第3の道を探してゆく。 そこで語られるのは「煩悩の哲学」、等身大の自分と向き合っていく、ということであるという。 現代に対する深い、深い問題意識が感じられた。 そして大きく共感したものの、自分にはどこかでやはり「いや、まだ道があるのではないか・・・」と思いつつ・・・。
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宗教に頼らず自分で考えて生きていく。緩やかな他者とのネットワークを通じて。森岡の自分をさらけ出し書くスタイルはとても誠実である。自分の子供にイラついて物を投げたくだりとかは凄まじい。尾崎論というものを初めて読んだ。そういうことだったのかと納得。
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