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続・日本の歴史をよみなおす ちくまプリマーブックス96
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房/ |
発売年月日 | 1996/01/20 |
JAN | 9784480041968 |
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続・日本の歴史をよみなおす
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商品レビュー
4.1
9件のお客様レビュー
念仏系の鎌倉新仏教が都市を中心に活動する「重商主義」的なひとたちに支えられいたからこそ、信長と対立したという指摘を興味深く読んだ。
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百姓=農民のステレオタイプを能登の古文書から覆し、日本史は農業主体でなく、商工業にダイナミズムがあったことを明かした画期の書。この説がその後、てんかい、定着していないのはなぜだろう。 ・村であるから農村とは限らない。 ・一遍の教え=都市的な宗教。商工業の広がりに伴い悪人観念がう...
百姓=農民のステレオタイプを能登の古文書から覆し、日本史は農業主体でなく、商工業にダイナミズムがあったことを明かした画期の書。この説がその後、てんかい、定着していないのはなぜだろう。 ・村であるから農村とは限らない。 ・一遍の教え=都市的な宗教。商工業の広がりに伴い悪人観念がうまれ、そこに答える宗教として一遍がいる。 ・農業、土地中心に日本国を固めていくやり方と、海を舞台にして日本列島の外まで広がる貿易のネットワークを作る動きとのぶつかりあい。 ・飢饉の見直し。農村が真っ先に飢えるわけではない。都市がまず飢えるのだ。
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古本で購入。 『日本の歴史をよみなおす』の続編。 『続』で大きなキーワードとなるのは、主に「百姓≠農民」、「ネットワーク」、「農本主義と重商主義」の3つ。 網野善彦の著作を読み慣れている人には、これだけでどんな論が展開されるかわかってしまうかも。 「網野の概論的著作はどれも似...
古本で購入。 『日本の歴史をよみなおす』の続編。 『続』で大きなキーワードとなるのは、主に「百姓≠農民」、「ネットワーク」、「農本主義と重商主義」の3つ。 網野善彦の著作を読み慣れている人には、これだけでどんな論が展開されるかわかってしまうかも。 「網野の概論的著作はどれも似ている」と言えるかも知れないけど、入口としてはちょうどいい。 前作よりむしろこちらを先に読んだ方がいいんじゃないかという気もする。 実際は非農業民が多数を占めていた日本においては、縄文の昔から河海を利用した交易が行われていた。 律令国家はそうした実態を無視した農本主義・陸上交通主義に立って国家の仕組み・税制度を構築する。 しかしこのシステムは早くに怪しくなり、河海交通を中心にした実態的なネットワークに即するようになる。 各地に都市的な場が増えるにつれ、そこを舞台に勢力を広げる時宗や一向宗といった宗派、あるいはキリスト教が登場する。 信長・秀吉・家康らと一向宗・キリスト教の争いは、かつての「日本国」を再統一する動き(農本主義)と都市的な場を基盤にする宗教(重商主義)の対立であった。 激しい争いの末に勝利したのは農本主義であり、海を国境とする「日本国」という統一体が再びできあがる。 その近世国家で建前とされた農本主義の中、「百姓=農民」という思い込みが社会に浸透した。 というのが大雑把なあらまし。 ネットワークや交易といったテーマは個人的に好きな分野なので、非常に興味深く読めた。 飢饉は農村の壊滅から起こるのではなく、不作を原因とする穀物価格高騰によってまず都市から起こった、という推論もおもしろい。 そこから網野は大きな飢饉に見舞われた東北地方は意外と都市的だったのではないかとしたが、ちょっと興味深い。 江戸期の東北の実態は今どれぐらいわかってるんだろう。 貴族・寺社による戦略的な所領獲得というのもおもしろい。 西園寺家は河辺の牧や瀬戸内の津・泊、九州北西部の多島海など交通の拠点の支配を志向していた、なんていうのは知らなかったなぁ。 これだけで一般的な貴族像を打ち崩す要素満載。 とてもおもしろい本だけど、網野の「米神話」徹底打破の姿勢は賛同できない部分もある。 「米を食糧の自給自足の問題として扱うことはまったく的がはずれている」 というのは、やっぱりおかしいんじゃないか。 これまでの歴史学が米づくりの周縁にいる人々を無視・軽視してきたのは確かだし、非農業民がかなりの割合いたのも確かだと思うけど、それでも中心に米があったのは間違いないんじゃないのかな。 「誰目線の中心か」が問題になるっていうのはあると思うけど。 この国の人々が「稲作民族」だというのは誤りだとしても、「稲作・米飯志向民族」だっていうのは確実だと思う。
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