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神屋宗湛の残した日記
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神屋宗湛の残した日記

井伏鱒二(著者)

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神屋宗湛の残した日記

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社/
発売年月日 1995/06/28
JAN 9784062076982

神屋宗湛の残した日記

¥220

商品レビュー

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2012/12/26

著者が70歳を越えた後の作品のなかから、単行本未収録のものをおさめた。博多の豪商茶人、神屋宗湛の日記から秀吉の茶会を再現し、移りゆく時と人を浮彫にする表題作のほか、6篇。

Posted by ブクログ

2012/10/15

久しぶりに本を一冊読み終えた。 福島県のいわき明星大学に行く用事があり、ついでに図書館に寄り、井伏鱒二著「神屋宗湛の残した日記」を借りた。 井伏鱒二の著作を手に取ったのは、最近新聞で、井伏鱒二のことを読んだからである。 当時中学生(旧制)だった井伏は、森鴎外をだまし、鴎外の...

久しぶりに本を一冊読み終えた。 福島県のいわき明星大学に行く用事があり、ついでに図書館に寄り、井伏鱒二著「神屋宗湛の残した日記」を借りた。 井伏鱒二の著作を手に取ったのは、最近新聞で、井伏鱒二のことを読んだからである。 当時中学生(旧制)だった井伏は、森鴎外をだまし、鴎外の直筆の手紙を手に入れたそうである。 井伏は、老人になりすまし、鴎外に手紙を送った。内容は新聞連載中の鴎外の著作についてである。鴎外は、まさか中学生とは思わず、「老人」に返書を認めた。 それだけ、井伏の文章が老成していたのだろう。 今回初めて井伏の本を読んだが、平明でわかりやすい文章だった。 さて、「神屋宗湛の残した日記」という本は短編集である。どの短編も面白かったが、なかんずく、「日記」が白眉である。 神屋宗湛は、桃山時代の茶人であり商人である。 茶道具のことが、多く書かれている。わたしは全く無作法なので、茶道具を記述したところは、よくわからない。 おもしろかったところは、本能寺の変、と、秀吉の生のことばである。 宗湛は、二十代のころ、織田信長に招かれ、本能寺に宿泊した。 その晩、明智光秀の襲撃に遭う。 宗湛は、騒擾の音に飛び起き、床の間に飾られた、掛け軸を巻き上げ、それを腰に差し、本能寺を脱出した。 その掛け軸は、「遠浦帰帆」であった。 この絵をググってみると、京都国立博物館に所蔵されており、ネットでも公開されている。 http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kaiga/chuugoku/item07.html ここで言い置くが、「神屋宗湛の残した日記」は小説ではない。 おそらく、本能寺の件は、本当にあったことだと思われる。 もうひとつ、おもしろかったのは、秀吉の生のことばである。 このことばも、宗湛の日記から、そのまま起こしたことばであるので、実際に、秀吉が、使ったことばだと思われる。 たとえば、 「筑紫の坊主に、飯を食はせよ」 「多人数なるほどに、一服を三人づつにて飲めや。さらばくじとりて、次第を定(き)めよ」 「筑紫の坊主には、四十石の茶を、とつくりと飲ませよや」 などということばがある。 筑紫の坊主、とは、宗湛のことである。 四十石の茶、とは、「四十石の壺」という名器があり、その壺の茶を、たっぷりと宗湛に飲ませるように、ということである。 足利義政が「四十石の壺」の名付け親だそうである。 ググってみたが、「四十石の壺」の写真は出てこなかった。 44歳にして、井伏鱒二の本を初めて読んだわけであるが、十二分に読み応えがあった。 本との出会いは、ちょうどその時分に、ちょうどよい本に巡り合うようになっていると思う。 井伏鱒二の本を物色してみようと思う。

Posted by ブクログ

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