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美しき死の日のために 宮沢賢治の死生観
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 学習研究社/ |
発売年月日 | 1995/12/12 |
JAN | 9784054006089 |
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美しき死の日のために
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この本は一度、宮沢賢治生誕百年の年(1996年)に読んでいる。 二十四年ぶりの再読である。 『美しき死の日のために』 畑山博 (学習研究社) 先日読んだ『南無妙法蓮華経のこころ』(瀬野泰光、大東出版社)という本の中に、こんな一節があった。 「始まりも終わりもないお釈迦様の世界=宇宙」 宮沢賢治は法華経を信仰していた。 では、彼が使う“宇宙”という言葉は法華経由来のものだったの? 宮沢賢治が言う“宇宙”に、銀河鉄道が走っていくずっとその先をイメージしていた私は、軽いショックとともに、畑山博さんのこの本を思い出したのだった。 畑山さんは、宮沢賢治は法華経に限界を感じていたのではないか、という考え方をしていた人で、当時何となく法華経に対して感じていた私のもやもやのひだにそれはぴったりとフィットしたのだった。 過去世で法華経を信じなかった者は法謗罪(ほうぼうざい)で無間地獄に堕ちて永劫に苦しむ、と日蓮は言うのだが、過去世を持ち出された時点で私はドン引きしてしまった。 法華経の考えを批判する者への憎悪がとにかくすごいのも気になった。 難信難解(なんしんなんげ)難解難入(なんげなんにゅう)と言われるが、どうやら“難信”の入口で私はつまづいてしまっているようだ。 きっと来世で阿鼻地獄に堕ちるに違いない。 さて、賢治はかなり若い頃に法華経と出会った。 まだ詩や童話を書く前だ。 おぼっちゃん育ちで生活の苦労もなく、世の中の何たるかも知らず、けれど理想と情熱と正義感に満ち満ちていた若き日の賢治が法華経に出会ってたちまちのめり込んだ、というのはものすごくよく分かる。 畑山さんは、賢治が若いうちに法華経と出会ってしまったことは、苗や種を手に入れるのではなく、いきなり出来合いの植木鉢を買ってしまったようなものだと言っている。 いい意味でも悪い意味でも真っ直ぐで、危険だなと思う反面ちょっとまぶしくもある。 その後、賢治は文学に出会う。 「実生活では自分を厳しく律していた宗教を、文学の上では必ずしも絶対的な物差しにはしていなかった」 「実生活をする上では文学が足枷になり、文学的には法華経思想が足枷になった」 「緊急避難場所イーハトーブ」 「賢治の心の深い奥に、経典世界を見つめ過ぎた疲れがある」 と畑山さんが言うように、やはり宗教と文学の両輪のバランスをとることは難しかった。 バランスをとろうと苦しんだ跡が残っていることが、賢治作品のあの何とも言えない世界観を作っているのではないかと私は思っている。 法華経のエッセンスが入っているからこその作品世界。 不安定なゆらぎに惹かれてしまう。 さらに、最愛の妹トシを亡くしたことで両者の相克はより一層大きくなり、その果てに辿り着いたのが「銀河鉄道の夜」だった。 この作品からは法華経のにおいは全くしない。 特定の宗教ではない何かに満たされている感じがする。 法華経を踏み越えて何かを見つけた……? ところが、賢治は自身の死が近づいてくるにつれ、また気持ちが法華経へ傾いていくのだ。 これはしんどいな。 この本で辿られている賢治の迷いの経過が、読んでいて苦しい。 これは確かに修羅だ。 そんな道なかば、賢治は三十七歳という若さでこの世を去る。 彼は亡くなる前、死の床で、法華経典を収めた経筒を山に埋めたい、と手帳に書いた。 やはり賢治は最期は法華経を頼って死んでいったんだと、畑山さんも思った。 ところが。 「死を前にした賢治が最後に残した言葉『経埋ムベキ山』その三十二の頂を線で結んでみると、それは美しい天の星座になった。」 賢治が指定した三十二の山々の頂を線で結ぶと、はくちょう座、わし座、たて座、いて座という四つの星座の形になり、なんとそれは、作品の中で銀河鉄道が走る場所だというのだ。 なんと! 当時これを読んですごくびっくりして感動した私は、若さの勢いで出版社に感想を書いた手紙を出した。 すると、編集さん経由で畑山さんに伝わり、なんとご本人からお礼の手紙をいただいた。 動物たちと暮らしておられた神奈川県葉山町からだ。 畑山さんが亡くなられて今年で十九年。 手紙の最後には、 「街はどうやら砂漠です。砂漠をゆくあなたのらくだのキャラバン隊にいい日が沢山出来ますように」 と書かれてあった。 そんな賢治さんに繋いでもらった素敵な縁を懐かしく思い出しながら。 二十四年ぶりの再読了。
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