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家族の深淵
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家族の深淵

中井久夫(著者)

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家族の深淵

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 みすず書房
発売年月日 1995/09/22
JAN 9784622045939

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商品レビュー

4.8

5件のお客様レビュー

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2018/11/05

最近、ちくま学芸文庫から出ている中井久夫コレクションよりも、やはり先に出ていたみすず書房のものの方が中身が充実している気がする。特に、この第2エッセイ集の文章は脂がのっている。 冒頭2編は、珍しいくらい自分の体験に踏み込んで語っている。 まず表題作の「家族の深淵」は、一般的な...

最近、ちくま学芸文庫から出ている中井久夫コレクションよりも、やはり先に出ていたみすず書房のものの方が中身が充実している気がする。特に、この第2エッセイ集の文章は脂がのっている。 冒頭2編は、珍しいくらい自分の体験に踏み込んで語っている。 まず表題作の「家族の深淵」は、一般的な往診論から始まり、クライマックスでは、ある少女の家庭を往診した事例が語られる(ある程度モデファイされてはいるのだろうが)。「チューニング・イン」して少女と感覚を共有するという不思議な話。 次の「Y夫人のこと」は、精神科医になる直前に下宿していたある韓国人の夫人について。時代の流れの中で、中井がウイルス学から飛び出す経緯が語られる。近年、出版された匿名での若書き『日本の医者』と併せ読むと面白いだろう。また、中井の祖父について、註の形を取りながら本文に負けないくらいのボリュームで、重ね合わせるように語られる。 この冒頭2編の密度に圧倒された。他も興味深いエッセイが多い。 「精神病棟の設計に参加する」 神戸大学の精神科病棟「清明寮」について。図面やイラスト入りでの解説。なんで、こんな話がかくも面白いのか。 ギリシャ現代詩に関する一連の文章 カヴァフィス、E.M.フォースターとの関係を東地中海でのイギリスの情報活動とつながりがあるのではと。まさに『アレクサンドリア四重奏』の世界だが、中井によれば、あれはまたダレルの個人的世界であると。しかし、メンズ・ノンノやHanakoにカヴァフィスが取り上げられていたことがあった(1991年)とは。バブル侮りがたし。また、カヴァフィス詩にある「ゴシップ性」についても。シェイクスピア、T.S.エリオットにも共通すると。 「執筆過程の生理学」 ボクはものを書くわけでないが何となく分かる。初期高揚→中期抑鬱→「振動」→「立ち上がり」→「離陸・水平飛行・ドーピング」→「収束」→「校正」→「外回り工事」→「終結儀礼」。外回り工事なんて項目をしっかり立てるのはこの人らしさ。

Posted by ブクログ

2018/08/18

言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生まれてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物で...

言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生まれてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物である。成人型の記述的言語はこの巣の中からゆるやかに生れてくるが、最初は「もの」としての挨拶や自己防衛の道具であり、意味の共通性はそこから徐々に文化する。(『家族の深淵』中井久夫)

Posted by ブクログ

2012/01/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

ここ十年ほどは、年最初の読書は中井久夫の著作というのが続いていて、今年2012年もこの「家族の深淵」の再読から始めた。 往診で体験した「家族」というものの文字通り深淵を、センセーションでもなくドラマでもなく、さりとて無味乾燥な報告でもなく、捉え伝える最初のエッセイ「家族の深淵」から始まる一冊。 精神から身体から菌類の香り、現代ギリシャの詩に至るまで、様々なものに視点を移動させつつ、無限の教養の森を彷徨していく文章たちである。 中井久夫の文章には、文筆家特有のあの臭気が本当に一切ない。徹底した「精神科医」という自己規定からはみだすことなく、またそれを(あらゆる意味で)利用することもなく、このはるかな高みに達した文章を作り出すことには、本当に、ただただ感嘆するしかない。 またエッセイの掲載順も、それぞれの文章に物理的重量があってそれをしかるべき順番に配列したかのような、ほとんど完璧なものとなっていることも見逃せない。 あらゆる意味で、本というものの理想の形のひとつがここにあると思う。恐らく一生、この本を読み続けるであろう。

Posted by ブクログ

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