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太平洋戦争もうひとつの真実 勝敗を決めた日米の「兵站補給」戦略 PHPビジネスライブラリーHistory
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | PHP研究所/ |
発売年月日 | 1995/03/29 |
JAN | 9784569546742 |
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太平洋戦争もうひとつの真実
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・戦争において兵站が重要なのは理解できるが、勝敗の原因の全てを兵站で説明するのは、些か無理があるような気もする。(後知恵の誤り?) ・戦闘の勝敗には、意外と運の要素が強い。 ・幸運にも敵側に魚雷の手持ちが少なくて救われた。(たまたま、基地の魚雷を爆撃していた) ・ほぼ砲弾を...
・戦争において兵站が重要なのは理解できるが、勝敗の原因の全てを兵站で説明するのは、些か無理があるような気もする。(後知恵の誤り?) ・戦闘の勝敗には、意外と運の要素が強い。 ・幸運にも敵側に魚雷の手持ちが少なくて救われた。(たまたま、基地の魚雷を爆撃していた) ・ほぼ砲弾を撃ち尽くしていたのに、敵側はそれを知らず降服してくれた。 ・物量そのものよりも、それの効果的投入が勝敗を決定する。 →時と場所を「選択」し、砲火を「集中」する事が大事。(ヤン・ウェンリーだね) ・太平洋戦争でいえば、ミッドウェーでは、物量の面において日本海軍は、はるかにアメリカ海軍よりまさっていた。 ・真珠湾攻撃後は、米軍は主力艦が不足していた為、日本軍の方が艦船の数(=物量)で優っていた。 →意外。日本軍はずっと物量不足なんだと思ってた。 ・インドネシア産の石油の日本還送については大きな問題があった。それは、タンカーの不足だった。もともとタンカーの数が少ないところにもってきて、その四分の三が海軍に徴用され、連合艦隊の作戦に従事させられていたからである。 ・落下傘部隊の決死の攻撃はたしかに成功した。だが、それによって獲得した貴重な石油を、本土に還送するタンカーの数とキャパシティの問題についてまでは、大本営の作戦当局は考慮していなかったのである。 →日本の作戦当局はバカなのかな。 ・三川艦隊の反転は、戦術的理由ではなく、日本海軍の価値観による。つまり、目標はあくまでも敵艦であって、非武装の敵船は目標にしない事実、輸送船を撃沈しても論功行賞の対象とはならなかったIという、一種の美学である。 ・これは、敵の首級をあげる撒ケ岳の七本槍の武将を、兵姑の天才、石田三成より高く評価する戦国武士と同じ戦闘の美学だ。そして、それを近代まで引きずってきたのが、太平洋戦争時の日本海軍だったのである。 →米軍の潜水艦は日本の輸送船をガンガン沈めてた。敵の兵糧を断つのは戦術の基本だと思うんだけどな。 ・少数機種の大量生産ではなく、多機種の少量生産という路線を採ったのである。限られた物量であるだけに、その効果的な利用が日本に望まれていた。にもかかわらず、陸軍機と海軍機は、依然、部品規格ばかりか、使用燃料のオクタン価まで違うという状況だった。たしかに、これでは協同作戦などできないかもしれない。つまり、整備兵のノウハウも違うし、整備器材も違うのだから……。 →物資の少ない日本が多品種少量生産、物資の多い米国が部品を共通化して大量生産してるんだから、無茶苦茶だ。 ・東条英機の腰巾着といわれていた富永恭次中将(フィリピン方面航空団長)にいたっては、特攻隊員に対し、「諸君らはすでに神である」とか、「君たちだけを死なせはしない。自分も最後の一機で出撃する」などと調子のいい激励を行なっていた。だが、いよいよ米軍がフィリピンに上陸し日本軍の形勢が不利となるや、戦闘機護衛のもとに台湾に逃亡した。 →いつだって命令する方は、自分は安全な場所にいるものだ。 ・特攻作戦は、日本軍の専売特許(?)視されているが、実はアメリカ軍でも、実質的にはほぽ同じような作戦が実施された(ただし、ヨーロッパ戦線)。それは一九四二年七月から開始された第八戦略爆撃隊による大陸−ドイツ本土の工業地帯への爆撃作戦である。これは目標(ボールベアリング工場など)への精密照準が必要だったため、白昼爆撃であり、しかも護衛戦闘機の随伴はなかった(航続距離の関係)。したがって、爆撃機の消耗ははげしく、四日以上の爆撃行で生還するものはほとんどいなかった。軍では二五回出撃すれば前線勤務免除(本国帰還)という内命を出したが、搭乗員たちはせせら笑っていた。そして、確実に戦死していったのである。とにかく一回の出撃での被害率四〇パーセント(その全部が撃墜、戦死というわけではないが)というのでは、戦争ではなく、強制的な自殺命令だといわれても仕方がなかった。
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