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生きるかなしみ ちくま文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 1995/01/24 |
JAN | 9784480029430 |
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生きるかなしみ
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商品レビュー
3.7
21件のお客様レビュー
題に惹かれて手に取った一冊。生きる悲しさに直面する姿を描いた数々の作家さんの作品を、山田太一さんが選んだ一冊。特に、はじめに山田太一さんが書いている「断念するということ」は心に響いた。この本は1991年に刊行されている。その時点で言われていることが、さらに時を進めた今生きている...
題に惹かれて手に取った一冊。生きる悲しさに直面する姿を描いた数々の作家さんの作品を、山田太一さんが選んだ一冊。特に、はじめに山田太一さんが書いている「断念するということ」は心に響いた。この本は1991年に刊行されている。その時点で言われていることが、さらに時を進めた今生きている私たちにとって、更に差し迫って感じられる。 「生きるかなしみ」に向き合う大切さについて、著者はこう言っている。 ○あと、ひとがんばりすれば、収入が倍になると聞いて頑張らない人間はただの怠け者だという世界であり、脳死の人の臓器を移植すれば子供は助かるかもしれないと言われて、そこまでして生かさなくてもいい、静かに死なせてやりたいと言えば、冷酷な親扱いされかねない世界である。そういう世の中で可能性をとことん追い求めない生き方を手に入れるには、「生きるかなしさ」を知る他ないのではないだろうか? ○可能性があってもある所で断念して、心の平安を手にする。私たちは少し、この世界にも他人にも自分にも期待しすぎではないだろうか? 普段自分では手に取ることがない作家さんの作品が読めて面白かった。 「私のアンドレ」時実新子 「二度と人間に生まれたくない」宇野信夫 「山の人生」柳田國男 「ふたつの悲しみ」杉山龍丸 「親子の絆についての断想」水上勉 は特に印象に残った。 水上勉さんの文章を読んで、作家とは、醜態を晒しながら、その人間臭さを身をもって文学に投じていくのだな。と改めて感じた。 ○人間は全て、生まれた時から、単独旅行者だ。世にある。親と子は、それ自体オリジナルなものだ。甚だ個性的なものだ。どれをどうと1つに括れて話し合えるものでもないのだ。云える事は誰でもが孤独な旅人だということだ。 読んで改めて思ったが、親と子はある程度子が大きくなったら、遠く離れて暮らすのが良い。水上さんの言い草はあまりにも身勝手だが、それでも自分自身の状況を照らし合わせてみると、そ間違いなくそう思う。近くにいたら、悪いところばかり見えて良くない。しばらく会わずに遠く離れていると、昔の嫌なところだけではなく、してもらったことなどが、思い起こされ、自然と感謝の念が生まれるものである。特に自分が親になってからは、そういうことが身に染みて感じられるだろう。 足るを知るという考え方が好きなので、この本はとても好みだった。山田太一さんの文は時々読み返したい。
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(本から) どういう事態になろうとも悪あがきせずに死を迎えることが出来るように、これからが人生最後の修行の時である。 佐藤愛子(六十路半ばを過ぎた時のエッセイ) 「ふたつの悲しみ」 杉山龍丸 戦争は、大きな、大きな、なにかを奪った。 悲しみ以上のなにか、かけがえのないものを奪っ...
(本から) どういう事態になろうとも悪あがきせずに死を迎えることが出来るように、これからが人生最後の修行の時である。 佐藤愛子(六十路半ばを過ぎた時のエッセイ) 「ふたつの悲しみ」 杉山龍丸 戦争は、大きな、大きな、なにかを奪った。 悲しみ以上のなにか、かけがえのないものを奪った。 私たちは、この二つのことから、この悲しみから、なにを考えるべきであろうか。 私たちはなにをすべきであろうか。 声なき声は、そこにあると思う。 「失われた私の朝鮮を求めて」 高史明 私は失われた自己をめざし、日本語と自己との間に生じる裂け目に墜落するとき、この裂け目を通して日本語との真の格闘をするとき、この日本語を自己からもぎとろうとするとき、日本語を愛している自己を発見できるはずである。 「親子の絆についての断層」 水上勉 ひょっとしたら、人々は、貧困という恵みから遠ざっかったため、大事な心をとりこぼしての不安かと思う。
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四年ほど前、書店でちくま文庫のフェアをやっていて購入しておいた。東西の有名作家のフィクション、ノンフィクション、エッセイが山田太一の選で編まれている。 昨年暮れ亡くなられてから本棚から引っ張り出してボチボチと読んで読了した。 16編の短編集。生きる上で悲しみは避けてとおれな...
四年ほど前、書店でちくま文庫のフェアをやっていて購入しておいた。東西の有名作家のフィクション、ノンフィクション、エッセイが山田太一の選で編まれている。 昨年暮れ亡くなられてから本棚から引っ張り出してボチボチと読んで読了した。 16編の短編集。生きる上で悲しみは避けてとおれない。それが人生で人間に深みをもつのだろう。4ヶ月近く書けて読んだので最初のほうのは記憶薄らいでしまったが杉山龍丸(夢野久作の長男)の「ふたつの悲しみ」石原吉郎「望郷と海」高史明「失われた私の朝鮮を求めて」水上勉「親子の絆についての断想」はそれぞれ違った悲しみを描いてます。「ふたつの悲しみ」は陸軍士官学校を出て戦後日本兵士の復員事務をしていた時の残された家族への戦死を伝える話が出ています。水上勉の話は赤貧のなかで九歳まで祖母と両親と生活し寺の小坊主になり戦後生き別れた息子と30年ぶりで再会する話がされてます。水上勉と親子の絆についての水上勉の禅寺での修行した上での考えを語っていますが勉強になります。
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