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歴史の中の日本 改版 中公文庫
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歴史の中の日本 改版 中公文庫

司馬遼太郎(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 中央公論社/
発売年月日 1994/06/10
JAN 9784122021037

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商品レビュー

3.5

5件のお客様レビュー

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2018/06/21

・6/21 読了.自分が7歳の頃の作品だと思うと感慨深い.その頃と作家後期の歴史解釈はこれまた違ってたのかも知れない.ましてや作家没後の現代では新しい事実の発見の多さから歴史評価がだいぶ違ってるんだろうなと、歴史小説家の司馬遼太郎の本だからこそ尚更思った.

Posted by ブクログ

2017/05/01
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 活動家の学生諸氏は権力ということばをつかいたがるが、過去との比較において、こんにちのこの国に「権力」らしい権力が存在すると考えることじたい、幻想である。政治はせいぜい調整的機能を果たしているにすぎず、今後、権力どころか政治そのものまでがその分野を小さくしてゆき、ついにはゲームになるかもしれず、あるいはいますでになりつつある。機動隊と学生活動家との間の表面的もしくは本質的光景がその一例であろう。  しかし困ったことに、権力というこの魔人的な存在をめぐらなければ、酩酊的体質の人間は酩酊できないということである。虚構を実在たらしめるには大権力の存在が必要であり、ときには権力が敵方のものであっても、それが大きければ大きいほど、それを攻撃する側の虚構はいきいきとした現実感をもち、酩酊の度は深くなる。学生が、たかが調整機能でしかないいまの政府に対し「権力、権力」とお題目のようにさわぎたてるという心理の深層のなかに権力の大成長をのぞむ願望が当然秘められており、また政府を支援する重国家願望の酩酊体質者たちもまた学生さわぎを誇大に妄想し、重国家の到来を願望している。いずれにしてもひどい目にあうのは、普通のひと――非酩酊体質者である。非酩酊体質者としてはもうええかげんにせい、と叫びたいが、残念ながら叫ぶには酩酊を必要とする。酔ってもおらぬのに馬鹿元気を出して叫ぶわけにもゆかず、なんとなくテレビの騒動ニュースをみてむっつりしている。  この両人(新井白石と吉田松陰)に共通しているのは知的好奇心の強烈さと、観察力の的確さと、思考力の柔軟さであり、その結果として文章表現がじつに明晰であったということである。さらにいえることは、両人とも学問をうけ入れて自分のなかで育てるということについての良質な態度を天性なのかどうか、みごとにもっていた。学校教育という場は、学問にとって必要ではないというのは暴論だが、しかしかれらがもっていたこの態度をもたずに学校教育の場にまぎれこんでもそれは無意味であり、逆に学校教育から離れた場所に身をおいていても、この態度さえあれば学問(その種類にもよるが)は十分にできるという例証になりうるのではないか。  しかしひらきなおって考えれば、ある仕事にとりつかれた人間というのは、ナマ身の哀歓など結果からみれば無きにひとしく、つまるところ自分自身を機能化して自分がどこかへ失せ、その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い。その仕事というのも芸術家の場合ならまだカタチとして残る可能性が多少あるが、蔵六のように時間的に持続している組織のなかに存在した人間というのは、その仕事を巨細にふりかえってもどこに蔵六が存在したかということの見分けがつきにくい。  つまり男というのは大なり小なり蔵六のようなものだと連載の途中で思ったりした、ごく一般的に人生における存在感が、男の場合、家庭というこの重い場にいる女よりもはるかに希薄で、女のほうがむしろより濃厚に人生の中にいて、より人間くさいと思ったりした。その意味ではナマ身としての蔵六の人生はじつに淡い。  要するに蔵六は、どこにでもころがっている平凡な人物であった。  ただほんのわずか普通人、とくに他の日本人とちがっているところは、合理主義の信徒だったということである。このちがいは一見ほんのわずかに見えるが、考えようによっては、日本風土のなかでは存在しがたいほどに強烈なもので、その強烈さのために蔵六はその風土を代表する政治的狂人のために殺された。

Posted by ブクログ

2013/07/23

各作品の後日談や過去の偉人達の独自人物像分析等々、圧倒的な調査資料から紡ぎだされる、見解はとても重厚感を感じました。小説を書くのに必要な環境として大阪の雑居を好むのは、人間くささがより濃厚に感じられるからとのこと。もうセレブともいえる大御所作家にも関わらず、あえて雑居で生活する。...

各作品の後日談や過去の偉人達の独自人物像分析等々、圧倒的な調査資料から紡ぎだされる、見解はとても重厚感を感じました。小説を書くのに必要な環境として大阪の雑居を好むのは、人間くささがより濃厚に感じられるからとのこと。もうセレブともいえる大御所作家にも関わらず、あえて雑居で生活する。中々できることではない。 新井白石と吉田松陰をもって学問の態度とあらわした文節は、とても感銘を受けました。学問とは、分かろうとする態度である。と。

Posted by ブクログ

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