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アウグスティヌス講話
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アウグスティヌス講話

山田晶(著者)

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アウグスティヌス講話

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 教文館/
発売年月日 1994/06/10
JAN 9784764265257

アウグスティヌス講話

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2026/07/12
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67 仏教は葬式の儀礼としての仏教に徹するべき。人間の最も泥臭いところ、いわば死臭の漂うところに、真実の宗教は生きているのであるから。 74 すべての「地獄」という表象のなかには地獄的側面(終わりなき業火・苦悶)と煉獄的側面(終わりある魂の浄化)がある 83 われわれがこの世でうける様々な苦しみを、試練として、あるいは浄化として捉えることができるならば、この世は煉獄となる。そのように苦しみを受け取るならば、苦しみのなかに希望が出てくるから。 「ペルソナとペルソナ性」 ・人格神の意味を知るためにはまずはペルソナという神学的用語を知らなければならない ・そも、ペルソナとは、"ある観点のもとにおいて"理解された人間を示す。それゆえ、単に人間というのと、人間のペルソナは意味内容が微妙に異なる。ペルソナは人間の社会的性格を示しているから。ゆえに、犬や猫から区別された動物としての人間ではなくて、或る社会において或る特定の役割を演じ、それに伴う権利と義務を有し、その執行者ないし主体となる者がペルソナと呼ばれる 102 東方教会の真髄 御子なる神は「みことば」(=ロゴス)なる神であり、われわれに直接語り給う神。 一方、御子を通して語り給う御父なる神は、隠れたる神であ、「ことば」を超越する神。 したがって、御子なる神を「道」としてその道を極めてゆくとき、究極にはすべてのことばを絶する超越の体験において、われわれは「隠れたる神」に触れることになる。 103 西方教会の真髄 西方では、(ex) folio queを加えて、聖霊は「御父と御子」から発出する、逆三角形の三位一体の理解をとる。ここに於いて御父と御子はともに聖霊の根源である。では、御子が御父とともに働いて聖霊を発出せしめるはたらきとはなにか? それは「愛のはたらき」である。 ①まず神はご自身を理解することにおいてご自身の似姿をご自身のうちに生み出す。これが御子(あるいは「みことば」) ②かくて神のご自身のうちには、(歴史的一回という過去の事象ではなく)恒久的に「生む神」としての御父と、「生まれた神」としての御子の側面(ペルソナ)があることになる。 3️⃣知ることは愛することに繋がり、さらに愛を深めようとするほど、知ることも深くなる。このような関係において、御父と御子に生じた「愛」それすなわち「聖霊」である。 107 アウグスティヌスの「三位一体論」 「精神」は自己を認識することにおいて自己の「知」を自己のうちに生む。それが精神にとっての「ことば」である。 すると精神はこの知を愛する。この愛は、愛する対象を更によく知らんとするための自己認識の原動力となる。 その結果、精神のうちに生じる「ことば」は、更によりつよい「愛」を生み出す。 108ペルソナ的(ペルゼーンリッヒ)な神の2つの意味 ・「神」そのものが、3つのペルソナを含有する、ないし、3つのペルソナから成るという意味 ・われわれ人間との関係においてペルソナ的であるということ。 神が人間を愛し、完全に知り、人間も神を愛し知ろうとする。まずこの垂直的関係があった上で、愛と理解の対象としての神ということ。 逆にいえば、神をペルソナ(人格神)と呼ぶことは、神とこのような愛と理解のペルゼーンリッヒな関係にある人間のみに可能。 だから、われわれの愛と理解の対象となり、かつ、神の方でもわれわれを理解し愛するペルソナ(義務と権利)を持っている場合、それは「人格神」であり、決して「人格神」は「擬人神」を意味しない。 113 ペルソナとは「理解し愛する主体」に他ならない。

Posted by ブクログ

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