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著者が逝去された後のエッセイ集。最後の助手をされていた本多正一氏が尽力された。 この本と未完小説集成、ハネギウス1世の生活と意見の3冊が全集未収録なので集められるうちに注文した。とはいえ磨かれた時間は地元図書館に所蔵されていたので、事あるごとに借りて読んでいた。執筆当時、澁澤龍彦...
著者が逝去された後のエッセイ集。最後の助手をされていた本多正一氏が尽力された。 この本と未完小説集成、ハネギウス1世の生活と意見の3冊が全集未収録なので集められるうちに注文した。とはいえ磨かれた時間は地元図書館に所蔵されていたので、事あるごとに借りて読んでいた。執筆当時、澁澤龍彦氏の訃報があったせいで澁澤と三島由紀夫の話題が多い。澁澤の生前、季刊幻想文学の顧問みたいなことをされていたり実際羽根木の家にご友人と共に花見をされたこともあって、懇意ではなくても虚無への供物出版記念パーティーから澁澤龍彦が逝去されるまでの文章は著者の気持ちが伝わってきて涙を誘う。エッセイは日常、作家論といつも通りの中に独特の視点で非凡な文を綴っている。
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「三島も澁澤もいないこの地上なんて」というのが、澁澤が死んだ時、この人が漏らした言葉だった。自分をどこか遠い星から、地球への流刑囚と思いなしている中井のことだ。先達とも仰いだ年若い知友に先立たれて、心を許すこともできない人々の暮らす星に独り置き去りにされたような虚しさが襲ったとし...
「三島も澁澤もいないこの地上なんて」というのが、澁澤が死んだ時、この人が漏らした言葉だった。自分をどこか遠い星から、地球への流刑囚と思いなしている中井のことだ。先達とも仰いだ年若い知友に先立たれて、心を許すこともできない人々の暮らす星に独り置き去りにされたような虚しさが襲ったとしても無理はない。二人だけではない。最後のエッセイ集には、最愛の友に去られた寂しさが繰り返し嘆かれている。 寺山修司を世に送り出した短歌誌の主宰者にして、畢生の大作『虚無への供物』の作者塔晶夫として知られる中井英夫のことを、澁澤龍彦は「狷介にして心優しき人物」と評したことがある。幻想怪奇小説がブームを呼び、夢野久作、久生十蘭、小栗虫太郎などの旧作が、次々と復刊されていた頃、ブームに乗った出版社の企画したシリーズの監修者として名を連ねていた澁澤に、あんなひどい企画に名を貸すとは、という抗議の電話が中井からかかってきたという話だ。 独自の美学を持ち、自分の目に適った作家の作品は徹底的に擁護するが、どんな大作家といえども、力の抜けた作品には容赦がなかった。それだけに、自分の周りに置いた人の数はあまり多くはなかったと察することができる。小説もまた同じである。好きな作品を徹底的に読み込む。そうして諳んずることができるほど愛したものだけを身辺に置き、読み且つ語ってきた。幼い頃から愛読した江戸川乱歩、その文章の巧さを最後まで賞賛して倦むことのなかった久生十蘭、そして寺山修司。最後のエッセイ集で語られるのもまた、それらの作家、作品であるのは論をまたない。 作家の父は、種々の花の学名にNakaiの名を残す植物学の泰斗として、また、祖父は若くして渡米し、あのクラーク博士の弟子となった人物として知られる。『孤島の鬼』を乱歩の最高傑作に推し、人外(にんがい)としての存在の様態に共感を示す作家は、学者一家の異端児としての自己の在り方に屈折した思いを抱き、この世界を仮寓としてとらえることに固執し続けてきた。しかし、さすがの狷介孤高の作家も最晩年は心の弱まりからか、自分の生い立ちや生家のある田端周辺についての思い入れを語るなど、世界との和解を試みているかのように見える。 自分の家を黒鳥館、流薔園、月蝕領と呼びなす美意識を持った作家が、身の回りの世話を焼いてくれる青年の働きぶりに目を細めたり、バレンタインデーに年若い読者から贈られる花やチョコレートの贈り物についてたびたび言及する姿は、読んでいて微笑ましいものがある。『虚無への供物』に登場する五不動再訪記や、歌舞伎役者評判記、さらには、贔屓のタレント(若い頃の萩原健一である)についてと、エッセイならではのくだけた話題も含まれていて、普段着の中井英夫に触れるには、佳いエッセイ集かもしれない。 それにしても、全編を覆う死の陰のなんと色の濃いこと。端正な文章の端々から顔をのぞかせる亡くした者への哀憐には年老いてひとり残される者のみが知る愁いの深さがある。痛飲しては担がれて家に帰る酔態が自虐的に描かれているが、酒でも飲まずば夜を過ごすことはできなかったものと思われる。今は、遙か地上を離れ、寺山や澁澤の住まう星で愉快に酒でも飲み交わしているであろう作家を偲び、献杯。
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