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発達の科学 こころの科学3
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 福村出版/ |
発売年月日 | 1994/09/10 |
JAN | 9784571205637 |
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こころの科学シリーズものの、第三巻らしい。発達の科学といえば、主立って二つの系統がある。一つ目はフロイト→アンナ→クラインと言って、そうしてエリクソンによってほぼ完成させられたといってもいいライフサイクル理論であろう。もう一つがピアジェによる児童発達心理学であろうか?とはいえ、本...
こころの科学シリーズものの、第三巻らしい。発達の科学といえば、主立って二つの系統がある。一つ目はフロイト→アンナ→クラインと言って、そうしてエリクソンによってほぼ完成させられたといってもいいライフサイクル理論であろう。もう一つがピアジェによる児童発達心理学であろうか?とはいえ、本著ではこの二つの発達理論が組み合わされている。つまり、児童期に関してはピアジェの理論を用いる。無論、そこにはフロイト、アンナ、クラインのものも包含されてはいる。そうして、青年期以後に関しては、エリクソンを用いる、という意味で最終的にはかなりエリクソンよりとなってしまっていることは否めない。基本的に幼児がしっかりと成育するためには母子相互間の交流が必要であり、相互的な愛着(アタッチメント)が子供を正常に発育させる。とはいっても、そこには遺伝と環境面との問題がある。例えば、時期である。レディネスというものがあって遺伝的にこの時期に~が成長するというのがある程度決まっているというのも事実であるし、だからといって全てがレディネスによって決まるのかといえばそうではない。なにしろ、それなら早期教育なんてものは存在しえないだろう。個人的に早期教育はなんとも複雑に感じるけれど、それが一つのあり方として存在していることも事実なのである。また、自閉症、アスペルガーというのは心因ではないし、とはいえこれは遺伝かといえばそうでもなかったりもする。ともかく、母親に問題はないのに子供に問題があって愛着がうまく形成されないこともあるのも事実で何でもかんでも母親のせいにするのは間違いであろう。こういったことがあるために児童教育ってやつは非常に難しいとも言えるが、この頃は甘やかされすぎていると思しき子供が多いのもまた事実であろう。ちなみに、子供において児童にあたるのは小学生の間らしい。その前は幼児、更にその前は乳児。児童の後は青年、成年。そして、ピアジェ的児童発達によれば、児童期の間に「感覚・運動期→前操作期→具体的操作期→形式的操作期」へと発達するとしている。このあたりは今回は置いておくとしよう。単純に言えば、操作というのが思考内における操作ということである。形式的に操作できれば抽象思考ができるし、具体的操作ならば、具体性があることならば操作ができる、前操作はその前段階といった具合である。ちなみに今こうしてまとめたのは抽象化だろう。で、最終的に発達理論は老年は衰退するだけではなくてそこに役割がある、だとか、中年あたりが人生の頂点である、とかいったことを述べることで、若さを第一する現代的価値観を批判する。だが、男は若い女へより性的な魅力を感じるだろうし(例外はある)、女性だってやはり若さをある程度求めるだろう。自分より年上だとか包容力だとかは求めていても、やはりどこかに境界があるはずで、それは許容できる老いという意味でやはり若さを重視している。また、一般に人間の頭脳の総合的なピークは二十代後半から四十代前半あたりだろう。これは頭の回転の速さ、記憶力、有機性、知識・経験の蓄積などを総合的に鑑みてである。だとすれば、これは致し方ないことでむしろ前時代的な封建的性質が失われつつあることによって本来的な価値観へと戻りつつあるようにすら感じられる。ともかく、死だとか空しさだとかあれこれ成年期以降の危機をかきつららねているが、青年期やいや児童期ですら考えている人はそうしたものを考えているという意味で、俺からすればそういった課題ってやつは結局若い時期に思慮深く生きなかったために、後回しになってしまった課題と向き合っているとしか感じられないのである。こういったとを述べるとどうにも蔑視的感情が混じりそうになるものの、しかしそういった感情をまるで持たずにいるというのもやはり変だし、そういうこともっと考えるべきだと個人的には思う。みたいなこと言うと誰だってそういうことを考えているというけれど、果たして本当だろうか?考えそうになって蓋をしているというのが言いえて妙な気がするのだけれどな。
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