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モラエスの絵葉書書簡 日本発、ポルトガルの妹へ
定価 ¥4,805
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 彩流社/ |
発売年月日 | 1994/03/31 |
JAN | 9784882022909 |
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モラエスの絵葉書書簡
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モラエスの絵葉書書簡
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商品レビュー
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海軍士官や外交官を経て、神戸・大阪駐在ポルトガル国総領事の職に就いたポルトガル人の作家、ヴェンセスラウ・デ・モラエスが、神戸や隠遁生活を送った徳島から主に妹フランシスカに宛てた絵葉書が訳された文面とともに掲載されている(1910年~1929年の間の609通)。 約20年でこんな...
海軍士官や外交官を経て、神戸・大阪駐在ポルトガル国総領事の職に就いたポルトガル人の作家、ヴェンセスラウ・デ・モラエスが、神戸や隠遁生活を送った徳島から主に妹フランシスカに宛てた絵葉書が訳された文面とともに掲載されている(1910年~1929年の間の609通)。 約20年でこんなに! とにかく、かなりの量に驚く。 絵葉書を集める目的があったことや、当時は手紙でしか近況を知り得なかったからという理由があるにしても、膨大だなと思う。 口絵には、絵葉書がカラー写真で掲載されているけれど、部分彩色されたものとかで、ほんのり色がついているところがある、くらいのもの。 それでも、特に風景のものは美しくてうっとりする。 赴任先での現地妻や、同棲していた女性たちのことを書いている部分の表現が少し気にかかった。 お手伝いや下女、あと面倒そうな冷たい言い方もあったりして、妹宛てだからあけすけなのかもしれないけれど、なんだかもやもやする。 この本は、彼が書いた書簡文だけしか載っていないけれど、彼が書いた作品も読んでみたい。
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貴重な絵葉書がたくさん。貴重な本。 軽いタッチなので、さわやかな風がとどきます。 1910年8月30日神戸: 美しい須磨の近辺からほど遠からぬところに公園がある、この絵葉書でどんなところかわかるね〔須磨寺公園〕。ぼくは時々ここに行くので、写真にある大きな松の木をよく知ってる。木...
貴重な絵葉書がたくさん。貴重な本。 軽いタッチなので、さわやかな風がとどきます。 1910年8月30日神戸: 美しい須磨の近辺からほど遠からぬところに公園がある、この絵葉書でどんなところかわかるね〔須磨寺公園〕。ぼくは時々ここに行くので、写真にある大きな松の木をよく知ってる。木の近くに清涼飲料水の売店があって、ぼくはそこでミネラルウォーターを一杯のむのだ。元気で。さようなら 1914年5月4日徳島: お前が最近、藤の花のことをさかんに話すので、美事な藤棚の光景を送る。徳島の近在の町〔石井町徳蔵寺の藤花〕だが、ぼくはまだ行ったことがない。でも、ここにも同じように美しい藤があって、ぼくは何度も感心して眺めている。日本は藤の国だ。今日は封書と手拭が行くよ。さようなら
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『三日前、起きたとき、何もかもが雪に覆われて真っ白だった。ぼくの庭はきれいだったよ――』 1898年、43歳で日本へ移住。神戸・大阪ポルトガル国領事に就任したヴェンセスラウ・デ・モラエス。 1913年には職を辞し徳島へ。そして死に至るまで31年間を日本で暮らし、母国へ帰ることな...
『三日前、起きたとき、何もかもが雪に覆われて真っ白だった。ぼくの庭はきれいだったよ――』 1898年、43歳で日本へ移住。神戸・大阪ポルトガル国領事に就任したヴェンセスラウ・デ・モラエス。 1913年には職を辞し徳島へ。そして死に至るまで31年間を日本で暮らし、母国へ帰ることなく徳島の地で果てた彼が、1910年から1929年までの20年間ポルトガルに住む妹へと綴り、送り続けた絵葉書609通を通信文と共に収録。 モラエスが肌で触れた、明治・大正・昭和のニッポンの風景や人々。 今も、ポルトガル人が思う日本人は、モラエスによって紹介されたあの頃の日本人なのだ……。 岡村多希子さんの訳文による優しい語り口―モラエスの言葉―が、遥かな国ポルトガル、過ぎ去った明治時代への郷愁を呼ぶ良書。
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