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蕨野行
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 文藝春秋/ |
発売年月日 | 1994/04/20 |
JAN | 9784163146102 |
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蕨野行
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商品レビュー
4.3
3件のお客様レビュー
若い頃『楢山節考』を読み衝撃を受け、その後『蕨野行』でさらに衝撃を受けた。改めて再読。 村の掟に従い60歳で蕨野行、姥捨山の習慣だ。 余りに厳しい掟。覚悟を決めた蕨野行であっても、諦観はできないだろう。 ワラビの衆と協力しあい、老いた姿を「鬼婆の如し」と笑いあっても、心は寂寞と...
若い頃『楢山節考』を読み衝撃を受け、その後『蕨野行』でさらに衝撃を受けた。改めて再読。 村の掟に従い60歳で蕨野行、姥捨山の習慣だ。 余りに厳しい掟。覚悟を決めた蕨野行であっても、諦観はできないだろう。 ワラビの衆と協力しあい、老いた姿を「鬼婆の如し」と笑いあっても、心は寂寞としている。 けれど不浄の物を喰うても生きると決めた時、蕨たちの消えそうな命の残り火が再び燃える。呆毛も消え失せ、足動く。人はそういうものなんだと胸が震える。 だが自然は厳しい。命の終わりはくる。輪廻転生に身を委ね最期を迎えるお姑たちは、身は「若えときのように軽うなったのう」心は「嫁のときのよにたのしからん」という。 老いた身体の終わりは苦しみからの救いであり、新たな命への生まれ変わりなのだと、凪いだ気持ちで読み終えた。 人とも思われぬワラビの衆の姿に神を見た里人が手を合わせたように、私も頭を垂れ手を合わせたくなる。 生きていくことの辛さと喜びとが描かれている。生への賛歌だ。 若い頃読んだ時とは違う感動を覚えた。お姑の年齢になったら再読したい。
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村田さんとの衝撃的な出会い「ゆうじょこう」を思い起こす作品でした。 還暦を迎え自ら姨捨山に赴いた姑と、彼女を実の母とも慕う年若い後妻の、往復書簡のようなやり取りだけで構成された作品です。 読み始めてすぐ、余りの方言に読み通せるかという不安を持ちましたが、最初さえ乗り越えればリズムのようなもの、後半は一気読みでした。方言が味を感じさせるところも「ゆうじょこう」を思わせます。 里に近い姨捨山。赴いた老人たちは糧を得るために毎日里に下りて村の手伝いをする。動けなくなり手伝いができなくなったら逝くのみ。飢饉の年、秋の初めには村から手伝いを断られ、山からの恵みで永らえようとするものの、一人二人と脱落していく。そうした悲惨さの中に靭さや逞しさを感じさせるところも「ゆうじょこう」良く似ています。 明るさを見せるエンディングがさわやかです。
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この作品は『楢山節考』よりはるかに饒舌であるのだが、文にリズムがあってそれが心地良かった。そして、姥捨ての物語で終わるのではなく、蕨野で亡くなった姑レンが嫁ヌイの子供として再生するという大団円を迎えて、そこでは輪廻転生が謳われているように想えた。
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