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日本語の起源 岩波新書340
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 1994/06/22 |
JAN | 9784004303404 |
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日本語の起源
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商品レビュー
3.8
14件のお客様レビュー
日本語の起源を南インドのタミル語に求め、この二つの言語に見いだされる対応関係を指摘するとともに、両者の文化的類似性についても触れている本です。 よく知られているように、著者の主張する日本語のタミル語起源説にかんしては、比較言語学者の風間喜代三をはじめ多くの研究者が否定的な見解を...
日本語の起源を南インドのタミル語に求め、この二つの言語に見いだされる対応関係を指摘するとともに、両者の文化的類似性についても触れている本です。 よく知られているように、著者の主張する日本語のタミル語起源説にかんしては、比較言語学者の風間喜代三をはじめ多くの研究者が否定的な見解をとっています。著者は、五七五七七の和歌の韻律をはじめ、さまざまな文化的事象の類似点をあげていますが、これらの例のえらびかたについてはさらに無原則的な印象を受けます。 本書の「あとがき」で著者は、「私の考えでは、「文化」の中核は地域の自然条件に対する人間の対し方にある」とし、日本語という観点から文化論を展開する可能性について言及しています。こうした著者の発想は、いくつかの刺激的な議論を導き出すことに貢献したものの、人類学的な研究の裏付けを欠いた印象論を増幅させてしまう危険性もあるような気がします。
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なんとも、読みたくなるタイトルやないですか。 著者が、これほどに正確に大量に「タミル語と同じ源流を持つ」と考えられる論を展開してるのに、比較言語学的には認められないという。でも、ぼくはロマンがあっていいなと、そう感じたし、大和言葉も素敵だなって思った。併読してる論語にも、何かつな...
なんとも、読みたくなるタイトルやないですか。 著者が、これほどに正確に大量に「タミル語と同じ源流を持つ」と考えられる論を展開してるのに、比較言語学的には認められないという。でも、ぼくはロマンがあっていいなと、そう感じたし、大和言葉も素敵だなって思った。併読してる論語にも、何かつながったものが見えて来た。 ただ、ロマンと学問は違うので、比較言語学も学んでみて改めて考えていこうと思う。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
先日読んだ藤原正彦の『心は孤独な数学者』の中で紹介されていたので読んでみた。 日本語の起源を古代タミル語(インド南部の言葉)の中に見出すという、なかなかロマン溢れる仮説を楽しく読むことができた。 おそらく正解はないのだろうし、本書の仮説も一説にすぎないと思うが、数多くの単語,歌の形,考古学的検証などから古代タミル語との対応を具に並べて立証する努力は研究方法という点でも参考になる。 文中、その対応関係を並べ立てる箇所が多く、ひとつひとつ学ぼうという気はないので、その例証の多さにはちょっと引いてしまうが(巻末には300語におよぶ対比表が載っている)、適当に読み飛ばしつつ主旨を理解するに、まず文法的仕組み、次に基礎単語の対応、文化や風習の類似やそれに伴う単語の存在、そして実際の人の流れ、その時代考証と、ひとつひとつ自説を補完していくように例示してある。 また、面白いのは、両方の言語を比較することで、 「日本語の古典語の文法から類推してタミル語の古文の文法を理解するのだが、そうするとタミル語の古文が、伝統的なタミル語文法の説明よりもかえってよく理解できる」 とか、助詞の「モ」の存在を巡って 「タミル語を知ることによって、日本語がよく見えるようになった例である。」 と、単一言語だけの研究ではたどり着けなかった文法、用法の理解が進むというのは面白いものだ。言語学に限った話でなく、これは他の分野、あるいは日々の暮らしの中でもありえることだなと思えた。 でもまぁ、いろいろ不備な点や、読んでて腑に落ちないところ、トンデモ本っぽいニオイがなきにしもあらず(苦笑)。冒頭、著者は「言語と文化と人間(人種)の三項を、たやすく重ね合わせて考え」てはいけないというが、やはり自説の証明にはそれらの一致ないしは濃密な関連性を示していくしかないと思うし、本書も結局はそれらの項目にそって証明していってるように見受けられる。 いろいろ牽強付会な印象も受けるが、けっしてそれが悪いと否定する気はないし、新しい説を唱えるときには一点突破全面展開が必要な時があることも理解している。本書の仮説に対する反論は専門家に任せるとしましょう。 とにかく「音」に関してのアプローチは面白いし、自分の感覚としても腑に落ちるところがある。 邪馬台国が大陸と交流を持ったことを記した文献(「魏志倭人伝」だかなんだか、その類の書)の中に、途中通過する地名として”好古都”が出てくる。当時、中学の日本史の授業では、そこを「こうこうつ」の国と教わった。その後、古代日本語の発音等の研究が進んで、この好古都の「好」は中国語のニーハオの”好”(はぉ)に近い発音であり、当時は「はぉことぅ」と発音されたのであろう、となると「好古都」は九州の「博多」のことだろうと。そしてその間の日程などを考慮して邪馬台国の所在地を類推した説には鳥肌が立った覚えがある(井沢元彦の『逆説の日本史』の中で紹介されていた説だったかな)。 本書のタミル語日本語起源説も音韻をメインに、是非その方向で研究が深まればいいなと思う。
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