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全体主義の呪い 東西ヨーロッパの最前線に見る 新潮選書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社/ |
発売年月日 | 1993/12/15 |
JAN | 9784106004513 |
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全体主義の呪い
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全体主義の呪い
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物語は後半で捻転したように見える。 ソルジェニーツィンの西側社会への告発、旧共産圏の人々の、かつての苦しみと今の絶望、そこまではいい。彼らがぶちまけた、自由主義=民主主義に生きる人間への批判はいい。しかし、それが、共産主義にあこがれを持っていた=ファシズムを自ら待ち望んでいた西側...
物語は後半で捻転したように見える。 ソルジェニーツィンの西側社会への告発、旧共産圏の人々の、かつての苦しみと今の絶望、そこまではいい。彼らがぶちまけた、自由主義=民主主義に生きる人間への批判はいい。しかし、それが、共産主義にあこがれを持っていた=ファシズムを自ら待ち望んでいた西側の人々への最後通告で終わるのは、どうなのだろう。 マスコミに踊らされるあの大衆はどうすればいい?彼らには何も言わないのか? 「人々」は「インテリゲンチャ大衆」を含むが、すべてではない。マスコミ批判は後者に対するもの「だけ」なのか? 東側の人々は、西側の人々全体に対して、やりきれない感情を抱えていたのではないか?それが主題ではないか? 「人々」もまた、「インテリゲンチャ大衆」と同じ世界に生きているわけだから、彼らと同じとまでは行かなくても、似たように、現代社会の自由過多に不安を感じていることは間違いない。ただ、それが共産主義賛美につながらなかっただけだ。 ドイツで言えばネオナチ、フランスで言えばルペン、日本で言えば維新政党・新風、中国で言えば釣魚島と、どこでも自ら不自由を作り出そうとする。もしかすると、大多数の人間は、東側の人々が心底恐れあきれるマスコミに踊らされることによって、自ら望んで不自由になり、楽をしようとしているのかもしれない。 それと共産主義賛美を比較すれば、どうだろう。後者は実際に人々の苦しみが関わるから、より非難されるべきだというのは分かる。しかし、マスコミに踊らされることは、ナチスやスターリズムのような「運動」の形を取るのであって、東側諸国のような自己保身・自閉的症状を呈することはありえないだろう。どこかで、愛国無罪の形を取るか、アジャパー的に自滅するか、どちらにしろ、人々を苦しめることになりはしないか。 それとも、そのように大衆を心配する考え方そのものが、不確定の未来に自由意志で向かってゆく、自由主義=民主主義の流儀ではなく、共産主義賛美の愚かな知識人そのものなのか。 たぶんそうなんだろうなあ。個人が存在し、悪をなす自由まで含むものこそが自由主義、そして民主主義。ならば、踊らされる「市民」=「愚民」を無条件に賛美してこそ民主主義ということになる。それは確かに、共産主義と一線を画している。 先を予測せずに、自分で変えられると信じて突っ走れ、これこそが民主主義なのだろう。そのルールに放り出されながら、そのルールになじめない、それこそが、旧共産圏の民衆(そして自由主義社会の「知識人」)に課せられた、「全体主義の呪い」なのだろう。
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