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アメリカの大学 講談社学術文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社/ |
発売年月日 | 1993/11/10 |
JAN | 9784061591011 |
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商品レビュー
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久しぶりに再読。恩師、潮木守一先生の文章を読みたくなった。「高等教育の一大実験場の観を呈した」19世紀アメリカの大学を概観し、多様な価値観・指向性をもった教員と学生が結託したり、反撥したりする“修羅場である大学”の原点を振り返る。今なお世界の高等教育をリードし、超大国であり続ける...
久しぶりに再読。恩師、潮木守一先生の文章を読みたくなった。「高等教育の一大実験場の観を呈した」19世紀アメリカの大学を概観し、多様な価値観・指向性をもった教員と学生が結託したり、反撥したりする“修羅場である大学”の原点を振り返る。今なお世界の高等教育をリードし、超大国であり続けるアメリカの過去に、今後ますます複雑・高機能化する大学が見習うべき点は多い。
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※このレビューにはネタバレを含みます
本書では、1820年から1910年までのアメリカのカレッジ・ユニバーシティの様子が描かれている。 19世紀のアメリカでは、裕福な家庭の少年が15-16歳になると全寮制のカレッジに通った。寮では独身の教師が親代わりとなって(in loco parentis)、学生を監視する「子供の学校」だった。そこで行われる授業は、ギリシャ語・ラテン語のテキストの復唱(recitation)と翻訳の連続で、教師は各学生の出来をチェックするだけであった。ただ、最上級生が受ける「道徳哲学」は、心理学・経済・法制・倫理・宗教など様々なことが盛り込まれた一種の「帝王学」で、学長が担当するものと決まっていた(p.32)。カレッジは「人格の陶冶」が表向きの目的であったのだ。 一方、ドイツの大学をモデルに、伝統的なカリキュラム見直し論もあったが、1828年の「イエール・レポート」にみられるように、擁護論が主流であった。農業・工業の発展と共に、1850年頃には自然科学・技術の教科が置かれるものの、正当なカレッジ教育の柱としては認められなかった(3年課程、学位はBS)(p.111)。 1880年代には、ハーバード・カレッジのエリオット学長が、「自由選択制」を導入し、カリキュラムは大きく変化する(p.136-137)。「一般教養の重視、特殊化された専門否定」が謳われた(p.139)のだ。これが日本の戦後の新制大学において「リベラルアーツ=一般教育(General Education)=(幅広い)教養」の誤解に繋がったのではないかと思われる。 大学院に関しては、イエール・カレッジが1847年に大学院コースを、1860年に博士課程を設ける。ハーバード・カレッジが、1872年には Graduate Departmentを開設し、修士、博士の学位を授与することとなった。しかし、大きな転機は1876年のジョンズホプキンス大学(大学院を中心とする)の出現であった。 こうして、1880年代以降、ハーバード大学において、「Publish or Perish Policy」や「Up-or-Out Policy」が登場。旧来の伝統的カレッジ体制から、研究志向大学へと変容する。そして、大学規模の拡大もあわさり、大学教師の間で「教育型教師」「研究型教師」「運営型教師」「課外活動型教師」といった諸類型が登場し、アイデンティティーの葛藤が生まれるようになる。大学とは要するに、こうした多様な価値観・指向性を持った教師・学生の群れであり、彼らが互いに結託したり、反撥したりする修羅場なのである。アメリカの大学の過去の問題が、機能分化が進まない現代日本の大学の深刻な問題を浮き彫りにしているようである。
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1993年(底本1982年)刊。世界中から優秀な学生を集める米国大学。しかし、昔はそうではなかった。本書は1820~1920年代の米国の大学の歴史的変遷を明らかに。教育至上主義と研究至上主義との間を教育理念が振り子のように振れる模様と人文科学から理工科学への遷移が活写。現代にも相通じる理念的対立や変遷がかつても存在した。つまり今も昔も大学教育の根本問題は同じということになろうか。大学対抗スポーツ(この場合はアメフト)が大学の大衆化と宣伝に寄与した点も興味を引く。著者は名古屋大学大学院国際開発研究科教授。
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