
- 中古
- 書籍
- 新書
- 1226-33-00
実戦・世界言語紀行 岩波新書205

定価 ¥836
220円 定価より616円(73%)おトク
獲得ポイント2P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店/ |
発売年月日 | 1992/01/23 |
JAN | 9784004302056 |
- 書籍
- 新書
実戦・世界言語紀行
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
実戦・世界言語紀行
¥220
在庫なし
商品レビュー
3.3
7件のお客様レビュー
民族学者で、牧畜の研究?を主にやっている著者が、世界各地をめぐって出会った言語や人々について語るエッセイ。この本の根底には「小鳥草花言語学」(p.122)という、「どうせ外国語を完全にマスターするなどということは不可能」(p.123)なのだから、その言語を楽しみ、「ゆくさきざき...
民族学者で、牧畜の研究?を主にやっている著者が、世界各地をめぐって出会った言語や人々について語るエッセイ。この本の根底には「小鳥草花言語学」(p.122)という、「どうせ外国語を完全にマスターするなどということは不可能」(p.123)なのだから、その言語を楽しみ、「ゆくさきざきで自然の風景をめでるように、文化的背景としての言語をめで」(p.122)るような言語の学習を大事にするという姿勢がある。つまり、言葉を教養として学ぶのではなく、その土地の人々についてもっとよく知るための「実戦」として学ぶ、ということで、フィールドワーク的な学者の営みというものを学ぶことができる。 著者は言語学者ではないので、基本的な「音韻論をはじめとする記述言語学の知識と、言語系統論に関する知識」(p.123)のほかは、言語に関しては著者の学習歴や印象(北京語は「まるで鳥のさえずりのようにきこえる。わたしは北京をおとずれるたびに、街頭をゆきかうひとの会話に聞きほれるのである。しかし、最近は北京でも他省出身のひとがおおいらしく、うつくしい発音の北京語の会話を耳にすることがすくなくなった。」(p.75)とか、「タイ語は発音がうつくしいことばである。女性がこのことばを口にするときは、まことにあまいものにきこえる。男性には多少につかわしくないとおもうこともある。」(p.106))のようなことが中心に書かれている。 上の「印象」の話で「美しい」とか「女性が話すと…」のような、おそらくこの著者の感覚では何ともないのだろうが、すっかり現代人のおれにはこういうところでどぎまぎしてしまう。とにかく、古い。1920年生まれの人が92年に出した本、ということだけど、「当時日本領であったカラフトにいった」(p.12)、「『樺太ギリヤク語』というりっぱな本がでた。この本は「大東亜語学叢刊」の一冊として朝日出版社からでたもので、その叢書としてはつぎつぎとさまざまな言語のものがだされる計画だったようである。予告をみると満州語、北京語、蘇州語、厦門語、広東語、蒙古語、チベット語、安南語、タイ語、タガログ語、チャモロ語、マレー語、ジャワ語、ビルマ語、インド語、ペルシャ語、アラビア語、トルコ語、ウズベク語、キルギス語」(p.14)という、なんか頭を戦時中や戦前の状況にしないと、内容以前のところで引っかかってしまう。とても興味深いことではあるのだけれど。「わたしはポー川の橋のうえで車をとめて、ここで単語カードをすてようとおもった。ビニール袋にいっぱいつまったカードを橋の欄干からぶちまけた。わたしは数千枚のカードがひらひらと紙吹雪のように散ってゆく場面を想像していた。ところが、カードの大部分はかたまりになって、ドサッとポー川の水面におちた。」(p.178)とか、川にゴミをドサーっと捨てるなんてありえん、とか、そういうことに引っ掛かってしまった。 あとは単純に知らなかった事実は面白いと思った。「上流カーストのブラーマンの過程では、少数ながら日常的にサンスクリットがはなされているという」(p.102)、とかスウェーデン、ノルウェー、デンマークのスカンジナビアの「三国はSASという航空会社を共同で経営している。従業員、乗組員はその三国からきている。かれらのあいだでは、自然におたがいにわかる共通語が形成されているという。それをサスペラントというのだそうだ。」(pp.172-3)といった事実は面白い。あと、言語によって色の数とか、雨の数とか、コメの数とか、雪の数とか、文化の特徴に応じて世界の切り分け方が違うから単語も違う、とかは有名な話だが、その例として「モンゴル語はさすがに遊牧民の言語だけあって、家畜に課する語彙は膨大だった」(p.53)というのは聞いたことがない例だった。 ところで著者は「一九八六年の春にわたしは両眼の視力を失った」(p.73)ということが急に明らかにされ、そののちは盲目の民族学者ということで仕事をしていたことになる。ほんと、人生は何が起こるか分からない。 言語そのものへの興味を掻き立てられる面もあるが、それ以上に著者の生きた時代状況に思いを馳せてしまう本。(19/08/27)
Posted by
ゴールデンウイーク中に民博でウメサオタダオ展を見た。手書きのカードに感動した。鼎談のビデオを見ているとそこから離れられなくなった。しばらくは、あこがれの人の世界に入り浸った。さて、本書は「ご要望にお答えしてのアンコール復刊」とのこと(写真文庫とかもっと復刊してほしいものはあるのだ...
ゴールデンウイーク中に民博でウメサオタダオ展を見た。手書きのカードに感動した。鼎談のビデオを見ているとそこから離れられなくなった。しばらくは、あこがれの人の世界に入り浸った。さて、本書は「ご要望にお答えしてのアンコール復刊」とのこと(写真文庫とかもっと復刊してほしいものはあるのだが)。しかし、よくもまあこれだけの言語を、必要に迫られてということだろうけれど、楽しんでいるというのか、言語オタクというのか。私にはちょっと無理だけれど、それはそれ。いろいろな言語や文化にそのさわりだけでもふれることができる。日本語についての思いは最後の章に書かれている。これだけでも読む価値はある。さて、民博でこの本を買ったら、梅棹先生オリジナルのブックカバーを付けていただけた。私の宝物だ。
Posted by
民族学者・生態学者・探検家として知られる著者が、世界中をめぐる中で触れてきたさまざまな言語について語った本です。 もっとも印象的なのは、イタリアでの仕事が終わったときにポー川にイタリア語の語彙を記した数千枚のカードを流したというエピソードです。著者は、イタリア語を専門にするつも...
民族学者・生態学者・探検家として知られる著者が、世界中をめぐる中で触れてきたさまざまな言語について語った本です。 もっとも印象的なのは、イタリアでの仕事が終わったときにポー川にイタリア語の語彙を記した数千枚のカードを流したというエピソードです。著者は、イタリア語を専門にするつもりも、またイタリアの文学や歴史を学ぶつもりもなく、ただイタリアで調査するのに必要な日常会話を身に着けることが必要だったので、仕事が終わってしまえばもうイタリア語は必要ないのだと語っています。こうした外国語との付き合い方もあるのかと感心しました。 それにしても、英語一つままならない身としては、これほど多くの外国語を学び用いるということは、まったく思いもよらないことだと感じます。
Posted by