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ナチス追及 ドイツの戦後 講談社現代新書1015
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 1990/08/20 |
JAN | 9784061490154 |
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ナチス追及
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商品レビュー
3.5
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1990年刊。著者は同志社大学文学部教授(ドイツ近現代史)。 ナチス追及を止めないドイツ。それは政治的・法的な意味では、様々な反駁、例えば、官僚システムに残置するナチスの影響や、ナチス称揚の心性との対抗関係もありながら、時に認められ、時に否定され、画一的とは程遠い状況で推移している。 本書では、①元ナチス党員が罪を問われることなく、医師や官僚、弁護士、(大学を含む)教師その他社会における枢要な地位・立場で職務を遂行してきた点。 逆に②その罪が何十年も経た後に追及され、時に懲役・禁固といった自由刑が科される点。かように、放置はしないが、完全に断罪することは困難な状況下で現代に至っていると指摘する(当然、日本に関しては、日本人独自の立場でいうと、「放置」しっぱなしであり、断罪すべきか否かなどといった土俵にすら上がっていない、という筆者の批判的な視点を感じる)。 ただし本書の凄みはそこではない。ナチス党員等肯定的な立ち位置にいた人々と、かれらの周囲の人々(反ナチス的立場に親近性)との相克。あるいは、ドイツ周縁部において、ナチス的加害者でありながら、被害者でもあるという二重性を色濃く反映した人物を紹介するところだ。 つまり、ナチス問題の多層性に切り込んでいる。 前者は、ナチ党員の父が、戦時中、共産党員の義祖父(祖母の再婚相手)を密告し投獄に至らしめた。そんな家族を持つ大学教授の戦後史。 後者は国連事務総長を務め、オーストリア大統領職にまで昇りつめたワルトハイムと彼を見つめたオーストリア国民の逸話だ。 先の政治的・法的責任追及を止めない姿勢とともに、ここに通底するものについて、著者はドイツ人の持つ道徳的・倫理的リゴリズム(厳格主義)とし、他方で、道義性の強調・厳格化はその反動もまた著しいとの指摘をする。 これがドイツ版歴史修正主義であり、またネオナチなのだと。 もっとも本書は、70~80年代に関して言えば、ナチ(ネオナチないしそれに親近するグループ、政党、集団を含む)に焦点を合わせたこともあって、例えば「緑の党」などの真逆の方向性についての言及が皆無である。つまり戦後ドイツ社会分析としてはやや一面的に過ぎるきらいは残る。 ただその弱点を抱えていたとしても、本書が戦後ドイツの一面を照射しているのも確かで、現代に続くドイツ右派(極右を含む)の淵源を辿る観点で意味あるものとは言えるだろう。
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戦後ドイツと国際社会、そして元ナチスや協力者たちが、ナチスの負債をどう清算したか、あるいはしようとしたか。新書らしく読み応えはないが、全体像をざっとつかむには手頃だった。特に、ナチスの戦争犯罪には手を貸さなかったが、ナチス支持者だったり党員だったりした人々が、戦後、肩身の狭い思い...
戦後ドイツと国際社会、そして元ナチスや協力者たちが、ナチスの負債をどう清算したか、あるいはしようとしたか。新書らしく読み応えはないが、全体像をざっとつかむには手頃だった。特に、ナチスの戦争犯罪には手を貸さなかったが、ナチス支持者だったり党員だったりした人々が、戦後、肩身の狭い思いをしたという話は興味深かった。日本はどうだったのだろう、と思う。 時代の趨勢がどうあれ、ひとは自分のしたことの責任をとらなくてはいけない、とぼくは思っている。考えることを放棄して唯々諾々と従う、ということも含めてだ。そうでなくては、世の中は悪くなる一方だと思うからだ。その一方で、ぼくがあの時代のドイツに生まれていたら、本当にやりおおせたろうか、とも思わずにいられない。確信が持てないから、せめて心の砦を補強しようと、ぼくは本を読み続けるのかもしれない。
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(2008.05.27読了) 「ナチス追及」の過去と現在を追うことによって「加害の罪」を真正面から問うて見ることで、日本の平和運動に血路を開きたい、と思いこの本を書いた、ということです。 過去における「加害の罪」を自ら裁くことなくきた日本。「加害の罪」を自ら問い続けてきた西独。(...
(2008.05.27読了) 「ナチス追及」の過去と現在を追うことによって「加害の罪」を真正面から問うて見ることで、日本の平和運動に血路を開きたい、と思いこの本を書いた、ということです。 過去における「加害の罪」を自ら裁くことなくきた日本。「加害の罪」を自ら問い続けてきた西独。(204頁)と、著者は言っていますが、「戦争責任とは何か」木佐芳男著、を読んだあとでは、同意するわけには行きません。「ナチス追及」という題名から分かるように、ナチズムだけを悪として扱い、普通のドイツ人は免責されているのだから。 ドイツの戦争責任は、ユダヤ人の虐殺問題にほぼ限定されます。ユダヤ人の虐殺は、ヒトラーとナチスの行ったもので、一般のドイツ人は関与しておらず、何が行われていたのか知らなかったということになっています。 ナチスに関する追求も、共産圏との冷戦に対応するために結構うやむやになってゆきます。 第1章では、アイヒマンが取り上げられていますが、アルゼンチンに逃れたアイヒマンを捕まえたのは、イスラエルの情報機関モサドが派遣した人たちで、イスラエルに移送し、イスラエルで裁かれました。 ドイツ人が裁いたわけではありません。 第2章では、ワルトハイムとカラヤンが取り上げられています。 クルト・ワルトハイムは、1918年にオーストリアに生まれた。18歳のとき、外交官の道を志した。1977-82年、国連事務総長を務め、1986年6月8日、オーストリア大統領に選ばれた。 ワルトハイムは、1938年、ナチス学生同盟に加入した。 1943年に約4万人のユダヤ人をギリシアからアウシュヴィッツ収容所に移送したことに関わっていたのではないかという疑惑がある。 カラヤンは1908年、オーストリアのザルツブルクで生まれた。ウィーン音楽学院で学び、21歳のとき指揮者として第一歩を踏み出した。 1933年1月30日、ヒトラーが首相に就任し、ナチスは政権の座に着いた。この年の4月8日、カラヤンはザルツブルクでナチス党に入党した。 ところがカラヤン自身は、1935年アーヘンの音楽総監督の地位に着く際、音楽総監督の地位に着くためにはナチスに入党していなければならないといわれ、音楽のために入党したのであるといっている。 第3章では、ナチスの復活について述べている。 戦後数年のうちに無罪となり、社会的に復権した元ナチス関係者は、数百万人に及ぶ。また西ドイツの国家的再建の過程で、元ナチス関係者たちが、官僚機構の中にかなり登用された。 家族の中に、ナチス関係者がいて、悲惨な目にあっていたり、ユダヤ人虐殺に関わっていた人については、時効をなくしたりして、徹底的に追求する姿勢を示している面もあるが、結局ドイツにおいても、戦争責任を、自ら裁くことはできていないように思える。 著者 望田 幸男 1931年 甲府市生まれ 1958年 京都大学文学部史学科(西洋史)卒業 同志社大学文学部教授 専攻 ドイツ近現代史 (2008年5月29日・記)
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