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柳田國男全集(18) 民謡覚書・民謡の今と昔 ほか ちくま文庫
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商品詳細
内容紹介 | 内容:民謡覚書.民謡の今と昔.踊の今と昔.獅子舞考.掛け踊.風流と我面白.郷土舞踊の意義.仮面に関する一二の所見.田植のはなし |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 1990/06/26 |
JAN | 9784480024183 |
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柳田國男全集(18)
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人間の自然状態と民俗学の可能性 人間は反省することにより帰納法で世界を認識する。それによって改善される。正しい認識があるとすればそれは帰納法により世界を認識することである。反省しながら世界を認識する。そういった反省に依る自然状態をルソーは社会主義と言った。それに対しホッブスは...
人間の自然状態と民俗学の可能性 人間は反省することにより帰納法で世界を認識する。それによって改善される。正しい認識があるとすればそれは帰納法により世界を認識することである。反省しながら世界を認識する。そういった反省に依る自然状態をルソーは社会主義と言った。それに対しホッブスは人間の自然状態を狼とリヴァイアサンであるといった。それは反省を欠いた自然状態である。これは非常に対照的である。一方は反省に依り一方はその欠落に依り自然状態を認識している。 柳田国男の民俗学は帰納法の学問である。帰納法は反省に依っている。だからルソーの自然状態の視点がある。かれはこの学問に依り改善を目指した。柳田の経世済民とはそういった社会主義であると言える。それが民俗学の可能性である。 反省しながら世界を認識することは生物の根幹であるともいえる。ヘレンケラーの奇跡は認識の反省に依り又は反省しながら認識することで帰納法の認識を得たことによると考える。 人間の可能性である。生物の可能性でもある。
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