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陽水の快楽 井上陽水論 河出文庫BUNGEI Collection
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 1990/04/04 |
JAN | 9784309402659 |
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陽水の快楽
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本論文発表は1986年、著者39歳、明治学院大学助教授就任の年。 著者近影が、革ジャン、サングラス、リーゼントなのが笑わせてくれる。 とても大学の哲学の先生とは思えないプロフィール(横顔)だ。 そんな、型にハマらない哲学者が、陽水を論ずる。また楽しからずや。 陽水の音楽を聴...
本論文発表は1986年、著者39歳、明治学院大学助教授就任の年。 著者近影が、革ジャン、サングラス、リーゼントなのが笑わせてくれる。 とても大学の哲学の先生とは思えないプロフィール(横顔)だ。 そんな、型にハマらない哲学者が、陽水を論ずる。また楽しからずや。 陽水の音楽を聴くことが自己の生の発見に繋がることを論じて、流石に驚きを齎してくれる。 音楽を聴く快楽とは自己を発見する喜びと同一だったのだ。 道理で、自己探究に汲々としていたティーンエイジャー時代に、陽水の音楽に惑溺したはずだ。 あの時代、陽水の音楽に発見していたのは、自己だったのか。 中学時代、文化祭の後夜祭にバンド演奏をした。 その時、演奏したのが陽水。 「心もよう」と「桜三月散歩道」。 今では想像できないだろうが、「桜三月散歩道」の歌詞が物議を醸して、教師によって演奏を却下された。 「狂った桜が咲くのは三月」というくだりが、ダメだというのだ。 従順な中学生は、「はい分かりました」と殊勝な態度で頷き、本番では、当然、「狂った桜が咲くのは三月!」と歌ったことは言うまでもない。
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哲学者であり文芸批評家でもある著者が、井上陽水の音楽の魅力を解明しています。 著者は、陽水の「あこがれ」というナンバーに出てくる「私もつい あこがれてしまう」という表現に注目し、それは青春のセンチメンタルな物語に自分を浸すロマンティシズムとも、そうしたロマンティシズムの挫折を経...
哲学者であり文芸批評家でもある著者が、井上陽水の音楽の魅力を解明しています。 著者は、陽水の「あこがれ」というナンバーに出てくる「私もつい あこがれてしまう」という表現に注目し、それは青春のセンチメンタルな物語に自分を浸すロマンティシズムとも、そうしたロマンティシズムの挫折を経た大人の現実認識ともちがっているといいます。そして、この詞のうちに、「ロマン的世界への挫折と、それにもかかわらず立ち昇ってくるロマン的世界への憧憬、という欲望の振幅」を見ることができ、そのことが陽水の音楽を際立たせていると論じています。 著者の努力は、ロマンティシズムを社会的・歴史的条件によって説明する、外部からの分析が見落としてしまうものを、ふたたび拾いあげようとすることに向けられているといえるように思います。ルネ・ジラールやジャック・ラカンは、われわれの欲望のかたちが他者の欲望の模倣であることを指摘しました。しかし著者は、そのような認識を獲得してなおわれわれを生かしているのは「現に生きられているロマン的憧憬というべきものにほかならない」と主張します。こうして著者は、現代思想の構造主義的な立場に背を向け、実存主義的な立場から、自分にとってのロマン的ないしエロス的な可能性を切り開いてくれるようなものとして、陽水の作品を読み解いています。 著者の実存主義的な立場に対して不満を感じるのは、そこに他者論の準位が欠如しているように見えることです。恋愛という経験は、私たちの実存にとって固有の意味としてみずからを現わすと著者はいい、それこそが欲望それ自身にとって真に現実的なものだと主張しますが、そうした論じ方に「独りよがり」の気配を感じてしまいます。
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