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奇想の図譜 からくり・若冲・かざり
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奇想の図譜 からくり・若冲・かざり

辻惟雄【著】

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奇想の図譜 からくり・若冲・かざり

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 平凡社
発売年月日 1989/06/20
JAN 9784582286038

奇想の図譜

¥2,255

商品レビュー

4.7

3件のお客様レビュー

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2019/03/27

「奇想の系譜」の続編で、テーマ毎に日本美術の“奇想”を語る。 I  自在なる趣向   ・北斎の奇想天外な発想の原点は?           蘭書、銅版画との関係と波の創造。   ・舟木本洛中洛外図の構図の奇抜さと岩佐又兵衛との関係。   ・中国の書物と平安末~鎌倉末期の説話文学と...

「奇想の系譜」の続編で、テーマ毎に日本美術の“奇想”を語る。 I  自在なる趣向   ・北斎の奇想天外な発想の原点は?           蘭書、銅版画との関係と波の創造。   ・舟木本洛中洛外図の構図の奇抜さと岩佐又兵衛との関係。   ・中国の書物と平安末~鎌倉末期の説話文学との関係。    をこ絵とをこ者。 II アマチュアリズムの創造力   ・若冲の不思議世界と心の内なる秘密。   ・白隠の技巧を捨てた超個性的表現。   ・写楽は誰か?対談形式で様々な説を考える。 III 「かざり」の奇想   ・「かざり」の情熱。   ・日本のかざり文化と生活史との関わり。   ・「風流」の変容と広がり。   ・「見立て」と「作り物」 日本美術における、破天荒で突拍子もないデザインの面白さを、 「奇想」として捉え、論じています。これが面白い! 時代背景とか、起点とかが、なんとも楽しいし、読みやすい。 「かざり」が平安時代から面々と続くというのも驚き。 白隠や舟木本洛中洛外図等、改めて作品を眺めたくなるなります。

Posted by ブクログ

2012/02/01
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「海神の馬」  19世紀末のイギリスで活躍した絵本挿絵画家ウォルター・クレインが残した油絵の代表作に「海神の馬」というよく知られた幻想的な作品がある。絵を見れば記憶のよみがえる人も多いだろうが、海岸に打ち寄せる波の、その砕けた波頭が、たてがみをなびかせて疾走する無数の白い馬に変身しているという絵だ。  辻惟雄の「奇想の図譜」では、このほとばしる波が疾駆する馬へと変身するという奇怪な着想の先駆をなした絵師として曽我蕭白の世界に言及する。「群馬群鶴図屏風」がその絵だが、蕭白は18世紀の上方絵師、生没年は1730年-81年で、クレインとは一世紀あまり隔たっている。波を馬に見立てた蕭白の趣向は、江戸の浮世絵師、北斎に受け継がれているとも見える。「富嶽百景」シリーズの「海上の不二」では、砕けた波頭のしぶきかとまがう群れ千鳥の飛翔の姿がみどころとなっている。  クレインが「海神の馬」を描いた19世紀末は、パリ万国博のあと、フランスやイギリスではジャポニズム流行のまっただなかであった。海野弘も「19世紀後半にヨーロッパ絵画で波の表現が急に増えるのは、おそらく光琳から北斎にいたるジャポニズムの影響と無縁ではないはずである」と指摘している。時代も空間も隔てたクレインと蕭白の、波が馬にと変身するという着想は、おそらく偶然の一致なのだろうが、クレインの幻想的イメージ形成に、北斎の波の変奏が一役買ったのではないかと想像するのは、それほど突飛なことではあるまい、と辻惟雄は結んでいる。  想像力におけるシンクロニズム-同時性-や伝播力について、さまざま具体的に触れることはたのしく刺激的なことこのうえない。

Posted by ブクログ

2011/01/05

伊藤若冲の話が興味深かった。彼は、23歳で家業の商売をついたが、元来の独身癖と隠遁癖の性質から人知れず、深く思い悩んでいたらしい。2年間行方をくらまくなど、商人に向かない自分に憤りを感じていた。しかし、30歳になると、絵を描くようになる。この過程で、師となる大典という人物に知己を...

伊藤若冲の話が興味深かった。彼は、23歳で家業の商売をついたが、元来の独身癖と隠遁癖の性質から人知れず、深く思い悩んでいたらしい。2年間行方をくらまくなど、商人に向かない自分に憤りを感じていた。しかし、30歳になると、絵を描くようになる。この過程で、師となる大典という人物に知己を得て本格的に芸術の世界に没頭していくことになる。家督も次男に譲り、楽隠居生活に入るようになる。若冲はアカデミックな技法をきちんと学んだことのないアマチュアであった。しかし、素人でありながら、素人・プロを超えるような作風を見出したのであった。かつて、狩野派を模していたが、これでは自分は狩野の枠組みで戦ってもこれを越えることができない。また宋元のものを書くという形式についても、これを越えることができない。考えた末、自分には動物・植物を書くしかないという結論に達した。この非常に戦略的な判断が現在も彼の絵が持て囃される理由であろう。もし狩野・宋元をずっと模していても芸術界において、埋もれていただろう。こうして、彼は家に数匹の鶏を飼い数年かけて徹底的に観察・模写した。そして、「増殖」イメージの境地に至ったのである。

Posted by ブクログ

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