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ラカンもしくは小説の視線
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ラカンもしくは小説の視線

赤間啓之(著者)

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ラカンもしくは小説の視線

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 弘文堂
発売年月日 1988/04/11
JAN 9784335150227

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みんなの感想まとめ
  • 自己認識の探求
  • 鏡像段階の分析
  • 物語の自律性
  • 語りの欲望の力
  • 難解な哲学的考察
  • 小説と臨床の融合
  • 視線の哲学的視点
  • 知的刺激を求める読者
  • ラカン思想の影響
  • 深い物語構造の理解

テーマは、自己認識や物語の構造についての深い考察です。著者はラカンの思想を通じて、「見る主体」と「見られる主体」の関係を探求し、鏡像段階を経た自己認識の複雑さを明らかにします。特に、物語の「終わり」についての考察では、単なる作者の意図ではなく、語りの欲望が物語を形成する重要な要素であると指摘します。この視点は、物語の自律性を強調し、自己を見つめることで新たな意味を生み出す可能性を示唆しています。また、著者は臨床の場面における分析家の役割を小説の創作に重ね合わせ、語りの欲望が持つ力を論じています。一方で、難解な哲学的用語やマニアックな分析家の言及が多く、専門知識が求められるため、読者によってはついていくのが難しいかもしれません。全体として、深い哲学的な探求が織りなす知的刺激に満ちた作品です。

※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。

2026/08/18

ラカンは『四つの基本概念』において、荘子の「胡蝶の夢」を念頭に置きつつ、「見る主体」についての考察を展開しました。蝶としての「私」は自分について考えることはなく、荘子としての「私」は自分はだれかと問いかけます。カントであれば超越論的な自我へと考察を進めていくところですが、ラカンは...

ラカンは『四つの基本概念』において、荘子の「胡蝶の夢」を念頭に置きつつ、「見る主体」についての考察を展開しました。蝶としての「私」は自分について考えることはなく、荘子としての「私」は自分はだれかと問いかけます。カントであれば超越論的な自我へと考察を進めていくところですが、ラカンは自己反省において見いだされる超越論的な審級が、鏡像に写された「私」のイマージュによって成立するという方向に議論を展開していきます。 この構造を著者は、「見るものが見られているものを見る」と表現しています。ラカンはしばしばこの構造を、ヘーゲルの主人と奴隷の弁証法の議論を借りて説明しますが、ここでの「見るもの」とは奴隷としての主体であり、「見られている」のは鏡像に写っている主体であり、「見る」のは奴隷だということに注意しなければなりません。そして鏡像段階をくぐり抜けてしまえば、もはや自分について考えることのない蝶としての「私」に到達することは不可能となります。 著者は、ラカンの思想をこのようにまとめたうえで、物語の「終わり」をめぐる考察をおこないます。小説を完結させて登場人物のキャラクターに一定のまとまりをつけるのは作者だと思われていますが、これはカントの超越論哲学に類する考えかたです。ラカンはむしろ、「語りの欲望」によって物語が生まれると考えます。これは、たんに作者による「上からの構成」に対抗して物語の自律性にもとづく「下からの構成」を主張しているのではなく、自己をまなざす自己を仮構することによって成立するという、ある種のねじれをふくんでいます。もっとも、そのような超越論的な仮構は、はすかいにまなざすことができるにすぎず、その体験を著者は「エテロイユ」と呼んでいます。 さらに著者は、臨床の場面において分析家が患者の位置からの「語り」を示すことを、小説の創作になぞらえて理解する見かたを提示しています。それは、患者にとって超越論的な立場からの構成ではなく、「出口なし」の状況にある「語りの欲望」に区切りをつける「エテロイユ」であり、同時にそのことが「小説の科学」としての精神分析「学」を不可能にしていると著者は論じています。

Posted by ブクログ

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