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余暇と祝祭 講談社学術文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 1988/12/10 |
| JAN | 9784061588561 |
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余暇と祝祭
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余暇と祝祭
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商品レビュー
4.4
6件のお客様レビュー
本書は現代世界において如何に観想的生活を実現するかを問う本である。余暇を如何に過ごすかということが問題となって生涯教育が殊更に取り上げられた時期があり、そのころに刊行された本書はいささかキャッチーな外見を呈しているかもしれない。しかし本書は小さな短い本ながらも本質を突く時間論の...
本書は現代世界において如何に観想的生活を実現するかを問う本である。余暇を如何に過ごすかということが問題となって生涯教育が殊更に取り上げられた時期があり、そのころに刊行された本書はいささかキャッチーな外見を呈しているかもしれない。しかし本書は小さな短い本ながらも本質を突く時間論の古典とも呼べる書物である。 本書を紐解いてその議論の一つひとつを読み進めてもらうほかに、本書への案内は難しいのであるが、一つだけ言及しておきたいあまりにも意外な指摘がある。それは怠惰とは忙しくすることであるという指摘である。表面上いそがしく立ち回り、予定を詰め込んで生きることは、人間存在にとって本質的な余暇を失うことであり、それは怠惰にほかならないとピーパーは指摘するのである。余暇とは、自らが自らである時間を創り出すことであり、それは人間本来の創造性と結びつくものである。そしてそのような時間は観想にほかならず、人間にとって本質的な理性的営みなのである。この指摘は七つの大罪の一つとして取り上げられるのだが、一見近寄りがたいキリスト教的価値観の中により豊かな生の可能性を提示するのは著者ならではである。 本書の著者ヨゼフ・ピーパーは浩瀚な徳についての緒論を著され、枢要徳論、愛徳論は邦訳もされている。本書の訳者である稲垣良典氏はご自身の著書の中でたびたびピーパーの緒論に言及されるのだが、ピーパーの枢要徳論・対神徳論は現代における生き生きとしたトマス・アクィナス読解の可能性を提示している。本書もまた余暇という主題を通してトマス的な観想論を現代に提示していると言える。しかしそこに留まらず、そこからプラトンやアリストテレスへと遡り豊かな洞察を取り出していることに気づかれるであろう。読者もまたプラトンやアリストテレスへと向き合うことを促されるのである。 翻訳者の稲垣良典氏には重厚な『トマス・アクィナス倫理学の研究』という総合的な徳論があるのだが、本書はその主題を知悉した訳者ならではの、日本語で書かれたのかと思うほどの翻訳に驚かされる。その言葉の力強さを読者も感じることであろう。本書の力強い問いかけは私たちが生きることの意味を問いかけ、働くことの意味を確かめさせる。ヨゼフ・ピーパーの余暇論は現代の虚無感を突き崩し、豊かな生の可能性を問いかけるのである。
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原著1965年刊。 恐らく現在廃版となっており、古本で購入した。 哲学者の著書だが一般向けに書かれたもので、極めて平易、明快。 「労働」をあまりに絶対的に優先させる風潮にあらがって、人間にとって真に意味あるものとして「余暇」の復権を主張している。古代ギリシャや中世ヨーロッパ...
原著1965年刊。 恐らく現在廃版となっており、古本で購入した。 哲学者の著書だが一般向けに書かれたもので、極めて平易、明快。 「労働」をあまりに絶対的に優先させる風潮にあらがって、人間にとって真に意味あるものとして「余暇」の復権を主張している。古代ギリシャや中世ヨーロッパの文献を引用しつつ、こんにちの感覚から言えば意外な「余暇」の意味を掘り起こす。 確かに「労働」をあまりにも優先させてしまう世界観は病気のようなものだ。思うに本書刊行時よりも事態はすすんでおり、「余暇」自体も消費活動として経済の体系に組み込まれてしまっている危うさもある。こうなるとピーパーの言う、人間として自己と統合しなおし世界を自然なままに受け入れ肯定するための「祝祭的な余暇」からはなんとなく離れてしまいかねない。 とりわけ日本では、職場で年休を取ることが忌み嫌われさげすまれてきたし、近年は新自由主義的に社会の経済だけが絶対のものであるという病んだ思考がはびこって、人間の心はいっそう空疎になり、不安にゆがみ、他者を攻撃するだけの動物性ばかりが前面に出るようになってしまった。 経済、経済、と叫び続けるような現在の経済奴隷たちに読ませてみたい本だ。
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「労働」とはなにか、「余暇」とはなにかを考えさせられる本。本書によると、余暇とは、西洋文化を支える基礎の一つだという。この言葉の語源を見ると、ギリシア語で「スコレー」、ラテン語で「スコーラ」、ドイツ語で「シューレ」とある。また面白いことに、ギリシア語には、現代人が想像するような「...
「労働」とはなにか、「余暇」とはなにかを考えさせられる本。本書によると、余暇とは、西洋文化を支える基礎の一つだという。この言葉の語源を見ると、ギリシア語で「スコレー」、ラテン語で「スコーラ」、ドイツ語で「シューレ」とある。また面白いことに、ギリシア語には、現代人が想像するような「仕事」を表す言葉がなく、その代わり、スコレーを否定する「アスコリア」という言葉がある。このように、余暇の概念が、近代を境に異なる。それをふまえたうえで、著者は労働が絶対化される現代を批判する。つまり、人間の精神的な活動までもが、労働管理社会のなかに組み込まれていることを問題視する。そこで、著者が真に余暇が実現されるために何が必要か、言い換えると、人間が単なる労働者にならないためにどうするべきかを考える。先に結論を述べると、労働に従事する人々に、労働以外の有意義な場の活動を与えることが真の「余暇」に繋がる。ただ、それは実益とは無関係に、何者にも侵害されることがない、人間が持つ富と豊かさ全ての総体だという。以上から、現代人が想像する労働や余暇、またその価値観が根本的に異なる。その意味で、多くの人々が近代的価値観に染まっていることがわかる。
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