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渋江抽斎 中公文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論社 |
発売年月日 | 1988/11/10 |
JAN | 9784122015630 |
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渋江抽斎
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商品レビュー
3.8
5件のお客様レビュー
1914(大正3)年作。 読み始めてすぐ、この硬くて古く、難読漢字だらけの文体がいつもの森鴎外らしいが、それ以上に、「これは小説ではない」ということが実感される。小説であれば無駄な枝葉に違いないディテールが非常に多い。人名が新たに出てくるごとにいちいち「字は○○」だの「父は○...
1914(大正3)年作。 読み始めてすぐ、この硬くて古く、難読漢字だらけの文体がいつもの森鴎外らしいが、それ以上に、「これは小説ではない」ということが実感される。小説であれば無駄な枝葉に違いないディテールが非常に多い。人名が新たに出てくるごとにいちいち「字は○○」だの「父は○○」だのと克明に書かれるが、どうやらほんのチョイ出の人物でさえこう詳細に書かれるので、「筋を追う」読者には煩わしくなる。しかし、これは「筋を追う」ことが主眼ではないようだ。 鴎外の実に熟語のボキャブラリーの多い「硬い」文体は、当時の文人であれば普通であったと覚しき漢文や相当古い文献の教養から来るのだろうが、それにしても難しげである。また、漱石など他の作家が用いた文体が粘土のような可塑的な素材で像を造っていった風であるのと対照的に、どこか木彫のような、鑿で一打ち一打ち彫り込んでいくような風趣がある。本書の文体はまさにそのように歴史を彫り込んで行くような感じがする。江戸時代から明治初期にかけての、歴史上では全く目立たない平凡な人間たちを文献等から掘りだしていき、やがてそこから市井の生活や生き様が立ち現れてくる。 それにしても登場人物が異様に多すぎて、その数に圧倒される。書名になっており中心的な人であるはずの渋江抽斎は、しかし、さほど重点的に掘り下げられているわけでもない上に、本書の真ん中へんで早々に死んでしまう。実はその辺りから面白くなっていくように私には思われた。 掘り出されてゆく大量の人物の像はみな遠景にひしめいており、まるでブリューゲルの絵のように、遠近のダイナミクスのない群衆像をなす。歴史書一般では、「歴史を動かした」ような際立つ政治家等を中心に書かれ、そこに因果関係によって統制されたストーリーが浮上してくるのだが、本書では無数の「ささやかな、凡庸なストーリー」が並列されていて、実際の市井人の生とはそのようなものであろう、という印象に結び付く。 読み始めたときにはあまり面白くないように感じたものの、進んで行くにつれ、大パノラマに点景として刻み込まれてゆくそんな生のありさまがしみじみと面白くなっていった。 渋江抽斎その人よりも、たとえばその妻である五百(いお)は怜悧でアグレッシブで、不審な輩が旦那を襲おうとしたとき、風呂から出てきて裸で懐刀を口にくわえ連中に熱湯を浴びせかけるような勇敢さを見せる上に、もともと読書家で知識欲も旺盛、60を過ぎて英語を学び洋書を読むなど、際だって興味深く印象的な人物である。鴎外もこの女性像にもっとも興味を惹かれたのではなかったか。 文章は難しく内容は地味ではあるが、読んでみるとしみじみと味わいのあるような本だった。
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正直、前半を読み終えるまでは、登場人物の経歴の微に入り細を穿った説明に辟易し、ページを繰るたびに出てくる漢語に辞書を引きつつ、遅々として進まない読書に嫌気が差していた。 それが、皮肉なことだが、主人公である渋江抽斎が亡くなった後の後半に入ると、俄然おもしろくなる。話の中心は、抽斎...
正直、前半を読み終えるまでは、登場人物の経歴の微に入り細を穿った説明に辟易し、ページを繰るたびに出てくる漢語に辞書を引きつつ、遅々として進まない読書に嫌気が差していた。 それが、皮肉なことだが、主人公である渋江抽斎が亡くなった後の後半に入ると、俄然おもしろくなる。話の中心は、抽斎の4番目の妻である五百(いお)である。書いた鷗外自身も、実は抽斎のことではなく、この五百の物語を書きたかったのではないか。そう思わせるほどに、五百が亡くなるまでのほぼ四半世紀にわたる渋江家の経緯を語る鷗外の筆は、冴え渡っているである。
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引用の「老驥櫪に伏すれども、志千里に在り」の個所は巻末に「有為の人は不遇の一生を送ってまさに死せんとするときでも、なお遠大の志を失わない」という注解があって、それで確かに意味は分かるのだけれども、「驥も伯楽に逢わずば槽櫪の中に老いるのみ」ということわざを知って読むのとそうでないの...
引用の「老驥櫪に伏すれども、志千里に在り」の個所は巻末に「有為の人は不遇の一生を送ってまさに死せんとするときでも、なお遠大の志を失わない」という注解があって、それで確かに意味は分かるのだけれども、「驥も伯楽に逢わずば槽櫪の中に老いるのみ」ということわざを知って読むのとそうでないのとでは味わいの深さがだいぶ変わってくると思う。そう考えれば、他にも知らないがために味わいきれていない個所がまだまだあるのではないかという気がしてくる。
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