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ルネサンス周航 福武文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 福武書店 |
発売年月日 | 1987/09/16 |
JAN | 9784828830629 |
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ルネサンス周航
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ルネサンス周航
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西洋史の研究者である著者が、イタリア・ルネッサンスおよび日本の近世について論じているエッセイふうの文章が収録されています。 「再生」を意味する「ルネッサンス」という名前をあたえられた時代を把握するために、著者はまず「死」というテーマに目を向けています。「メメント・モリ」という標...
西洋史の研究者である著者が、イタリア・ルネッサンスおよび日本の近世について論じているエッセイふうの文章が収録されています。 「再生」を意味する「ルネッサンス」という名前をあたえられた時代を把握するために、著者はまず「死」というテーマに目を向けています。「メメント・モリ」という標語とキリストの再生などに見られる死生観と対比しながら、死に直面することを通して獲得された現世的価値観が生まれたと著者は主張します。ルネッサンスの明澄さと、近代的個人の形成は、死という闇から反転するというしかたでもたらされたという逆説が印象的でした。 また著者は、ブルクハルト以来のルネッサンスの見かたが批判にさらされていることを受けて、あらためてルネッサンスとはなんだったのかという問題に取り組んでいます。パノフスキーが複数形の「復興」(renascences)と大文字の「ルネッサンス」(Renaissance)を区別しようとする試みをとりあげ、焦点遠近法における「眼と事物の距離」が中世のいわゆる早期ルネッサンスには見られない、14世紀ルネッサンスの歴史上の意義を認めることができるという主張を高く評価します。 つづいて著者は、花田清輝の『復興期の精神』および『日本のルネッサンス人』について検討をおこないます。花田は、西洋の遠近法を知らない日本の画家たちの「視点」について論じつつ、古典に「原点」を設定するのではなく、むしろ現在を「立脚点」とすることに、「転形期」すなわちルネッサンスの意義を見いだそうとしました。著者は、こうした花田の着眼の鋭さを高く評価しつつも、まさにそのために花田がその行動において、彼の生きた時代の「政治」のうちに埋没することになったと批判し、林達夫の「反時代的精神」に軍配をあげています。
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(1990.12.26読了)(1990.07.27購入) (「BOOK」データベースより)amazon 「人間解放・復活・近代文化の出発」と見られる反面、錯誤・迷言・占星術なども厳然として行われたルネサンスのメカニズムは何なのか。明暗、強弱、美醜、求心遠心、正統異端…洋の東西に様...
(1990.12.26読了)(1990.07.27購入) (「BOOK」データベースより)amazon 「人間解放・復活・近代文化の出発」と見られる反面、錯誤・迷言・占星術なども厳然として行われたルネサンスのメカニズムは何なのか。明暗、強弱、美醜、求心遠心、正統異端…洋の東西に様々の形態をとった文化運動の内なる諸力の性情と配置を解き明かす。 ☆関連図書(既読) 「ルネサンスの人と文化」樺山紘一著、日本放送出版協会、1987.07.01
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題名だけからすると十五、六世紀のイタリアを中心とする大規模な文芸復興運動に関する書物のような気がするのであるが、その内容は、十四世紀のペストの流行、中世都市ヴェネチアの分析、異端者の命運を追うドルチーノのに関する記述、裁判の祭り性、果ては近世日本の天明の大飢饉や養生論の分析によっ...
題名だけからすると十五、六世紀のイタリアを中心とする大規模な文芸復興運動に関する書物のような気がするのであるが、その内容は、十四世紀のペストの流行、中世都市ヴェネチアの分析、異端者の命運を追うドルチーノのに関する記述、裁判の祭り性、果ては近世日本の天明の大飢饉や養生論の分析によって、死を通して人間の生を観ている気がした。 その死には、個人の死だけではなく、歴史の死、単なる死ではなくて殺害なんかも織り込まれる。 人間の愚かさ、賎しさ、逞しさ。個人の強さ弱さ、種としてのしぶとさ… なんか色々感じて面白かった。あぁ~まぁ自分も人間なんだなと… それにしても、やはり現代はちょっと歴史を超えているような気がしてならない。中世やルネサンスや近世の世界とは、社会を一つの舞台として喩えたとして、現代の人間は人間としての役回りが次元を異にしているような気がしてならない。この本に現れる歴史的な人間たちは彼らが何かを成し遂げて舞台を展開していたように思えるのだが、現代人は舞台に操られているような気がする… まるでプログラミングされたビデオゲームのように…
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