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ナチュラル・ウーマン
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商品詳細
内容紹介 | 内容:いちばん長い午後.微熱休暇.ナチュラル・ウ-マン |
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販売会社/発売会社 | トレヴィル |
発売年月日 | 1987/02/25 |
JAN | 9784845702589 |
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ナチュラル・ウーマン
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主人公の民に従属する貴族には憧れがある。ある意味でキリスト教的なルサンチマンの快楽とも言える。憧れる、と書いたけれども、どうだろうか。キリスト教、右の頬を打たれれば……僕なら相手の顔面を殴るだろうから。彼女の感情は理解できないのかもしれないな。本当の意味では。 レズビアン小説は関...
主人公の民に従属する貴族には憧れがある。ある意味でキリスト教的なルサンチマンの快楽とも言える。憧れる、と書いたけれども、どうだろうか。キリスト教、右の頬を打たれれば……僕なら相手の顔面を殴るだろうから。彼女の感情は理解できないのかもしれないな。本当の意味では。 レズビアン小説は関係性の文学でホモセクシュアルの文学は(少年愛をのぞく)、事実的で、形而上的な文学に思える。 異性間の恋愛であると、男性に男根があり、女性に膣があるように、身体的に《さしこむ》《さしこまれる》役割が決まっているのだが、同性間になると、その役割が消えてしまう。だから、各々でセクシュアルの意味づけをしなくてはならない。 このところに、同性愛と異性愛の差異が最も大きく現れるのではないかと思う。 ただ、マゾヒスティック、サディスティック、という遊戯と履き違えてはならず、マゾやサドは、性的な嗜癖であるのだが、同性間におけるこの意味付けは、性的な嗜癖に留まらず、2人という社会否、宗教における聖性の高さ(地位または権力)を担保するものだと思う。 というか、読み途中なので、まあこの辺で。 「微熱休暇」 まず、容子のインポテンツについて。これはふたつのことを示している。まずひとつに、本当に愛する人とは、宗教的聖性の差異をつけてはならず、そこに地位の差が生まれた時、彼らの関係は、容子が書いた漫画のように、まさにこの漫画はそのことを示しているのだが、性交を重ねて重ねて屍の性器が溶けだし灰になる……これが容子のインポテンツの理由である。 また、このインポテンツと表現したのも1種の意味があるように思える。 容子は「やりたい」と言った。 その瞬間に、彼女は同性愛を超えて、「男根を失った異性」になったのではないだろうか?つまり容子は男性でも女性でもなく、由梨子のただただ「異性」として立ち表れたのではないか。 そして最後のシーンが非常に印象的なのは、蛸。 あまりにも生々しい。生きている蛸の水槽を眺めながら、擬似的に生きている蛸の脚を食べ続ける。満腹を感じても食べ続ける。 生々しい、脚、凹凸が、口内に、入り咀嚼される。噛み砕かれる。ここにおいて、容子は由梨子に眼差しを向けている。 二人は男性(ただし存在しない)のタナトス=死への欲動に応えたのである。penisを食われるということ。 2人からすれば、食う。彼女たちは男性を二人の世界で殺したのだ。と思ってるが。 ナチュラル・ウーマンは、まだ読んでいない。
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たぶん、斎藤綾子著『ルビーフルーツ』と一緒に友達から借りたと思います。 これも映画化されているようです。しかも2回? こちらの本の方が内容が衝撃的だったような…?
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