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将軍が撮った明治 徳川慶喜公撮影写真集
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将軍が撮った明治 徳川慶喜公撮影写真集

徳川慶喜【写真】, 徳川慶朝【監修】

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将軍が撮った明治 徳川慶喜公撮影写真集

定価 ¥2,970

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 朝日新聞社
発売年月日 1986/10/24
JAN 9784022555595

将軍が撮った明治

¥2,200

商品レビュー

4.1

7件のお客様レビュー

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2022/06/12

当時の文化、風俗、街並みなどがよく分かるのではないかと思って期待していたが、風景や要人の邸宅が多く、あまり面白味がなかった。 慶喜公が写真を撮り始めたのはいつ頃なのだろうか。晩年の作品が多いように見受けられた。明治初期のものがあるとよかった。

Posted by ブクログ

2021/06/05

徳川慶喜の撮った写真集をみることができた。これは慶喜家のひ孫の慶朝氏が、押し入れにあった慶喜の写真を改めて整理し発刊したと思う。慶朝氏もプロの写真家だった。(「徳川慶喜家にようこそ」徳川慶朝著) この写真集、ページを開くと「仕えた人たち」として、側室、中根幸、新村信、御女中・某...

徳川慶喜の撮った写真集をみることができた。これは慶喜家のひ孫の慶朝氏が、押し入れにあった慶喜の写真を改めて整理し発刊したと思う。慶朝氏もプロの写真家だった。(「徳川慶喜家にようこそ」徳川慶朝著) この写真集、ページを開くと「仕えた人たち」として、側室、中根幸、新村信、御女中・某が3人、そして、くちなしの実、静岡時代の静岡の写真と続く。人物は皆、斜め前を向き、風景もくっきりその時代を映している。そう、けっこういい写真では? と。しかし気になることがひとつ。正妻の実賀子も静岡に行っているはずなのだが、実賀子の写真は載っていない。まあ多くの写真から選んだのは新村信のひ孫の慶朝氏だから、といってもやはり謎。 「その後の慶喜」として江崎俊平氏がとてもわかりやすい解説を書いている。 「十五代さまの周辺」徳川幹子。 実はこの幹子さんの文が読みたかったのだ。幹子さんの自伝を読んだ時、まったく祖父、慶喜のことが出てこなかったので交流がなかったのかと思いきや、慶喜が亡くなった時小学5年生だった幹子さんは、葬儀の様子もよく覚えているといい、小石川第六天の屋敷には何度も遊びに行き、その慶喜家の孫井出久美子氏の「徳川おてんば姫」にも出てくる、”すがばばあ”こと須賀さんは、訪ねるとよく面倒をみてくれたとあった。また亡くなる前年、幹子さんの実家、鳥取池田家の麻布の屋敷に車に乗って訪ねてきたとあった。その車も、明治屋、有栖川宮さまに次ぎ日本で3番目に買ったのだとあった。  小石川に訪ねると、慶喜は縁側に座ってレンズを拭いているのをよく見かけたとある。ただ写真は当時撮るのに時間がかかり自身を撮ってもらったことは無いという。また葬儀委員長は渋沢栄一で、栄一は慶喜さまのところの経済のご相談役だったらしい、とあり、そういった話も幹子さんのほうまで知られていたのかと思った。 あとがき 徳川慶朝 1986.10.24出版 図書館

Posted by ブクログ

2020/05/11

古本屋さんで見つけたもの。 隠居後の徳川慶喜が撮影した写真を曾孫に当たる徳川慶朝氏が出版したものです。 家族や知人のポートレート、東京や静岡の風景、掛け軸などの美術品、農民たちの畑仕事、などから、当時の様子が伺えます。 徳川慶喜使用のカメラの写真も載っていたり、基本的に白黒です...

古本屋さんで見つけたもの。 隠居後の徳川慶喜が撮影した写真を曾孫に当たる徳川慶朝氏が出版したものです。 家族や知人のポートレート、東京や静岡の風景、掛け軸などの美術品、農民たちの畑仕事、などから、当時の様子が伺えます。 徳川慶喜使用のカメラの写真も載っていたり、基本的に白黒ですがいくつかのカラー写真はセピアのなかに青や紅が色づいていて、明治初期のカメラ技術も伺えます。 会津飯盛山の白虎隊の碑の写真もあるのですが、訪れたのですね。どのように迎えられたのでしょうね。 巻末に、徳川慶喜の孫娘幹子さんによるか当時の様子が収録されているが、非常に上品で穏やかな言葉遣いで、読んでいるこちらも背筋が伸びる思いです。 さて、文京区護国寺は徳川綱吉が生母の桂昌院の願いにより建立されたお寺ですが、ここに大隈重信、三条実美、山県有朋のお墓があります。 https://gokokujinavi.com/bosho/ 護国寺本堂の前に立ち、右側を見ると鳥居がありその奥が大隈重信のお墓。さらに左を見るとまた鳥居が合ってそこが三条実美のお墓。 徳川将軍が建立したお寺に、明治新政府初期メンバーが、神様として祀られているというのが日本人の宗教観なのでしょうか。 …↑ということを思ったのは、この写真集には靖国神社の大村益次郎の銅像も載っていたので、徳川慶喜はどう思って撮ったのかななどとと考えたのですが、 このように敵も味方も神も仏も習合した明治初期、ここまできたらもう気にしなかったのかなとも思ったりもしています。

Posted by ブクログ

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