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少し耳の痛くなる話
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少し耳の痛くなる話

ドナルドキーン【著】, 塩谷紘【訳】

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少し耳の痛くなる話

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新潮社
発売年月日 1986/06/15
JAN 9784103317036

少し耳の痛くなる話

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2021/09/09

キーンさんの文章は本当に美しい。例えば大晦日 私は一緒に祇園神社(八坂神社)に赴き、宮司さんから聖なる火、白朮火(おけら)をつける火縄を受取った(これは、白朮詣として広く知られている伝統的な行事で、京都の人々は火縄の先端を境内の燈籠に差し込んで点火し、火種を家に持ち帰る。こうし...

キーンさんの文章は本当に美しい。例えば大晦日 私は一緒に祇園神社(八坂神社)に赴き、宮司さんから聖なる火、白朮火(おけら)をつける火縄を受取った(これは、白朮詣として広く知られている伝統的な行事で、京都の人々は火縄の先端を境内の燈籠に差し込んで点火し、火種を家に持ち帰る。こうして持ち帰った火種で自宅のかまどに火を熾し、その火でお雑煮を作って新年を迎えるのである)。その日京都は、日没までに薄っすらと雪が積もっていた。今熊野の下宿まで歩いて帰る途中、参詣を終えた人々が手に手に手に火の輪を持って帰途につく姿を見た。無数の火の輪が地面を覆った白雪に照り映えるさまは、えも言われぬほど美しかった。人々が持っているものが火の輪などではないことは、すぐにわかった。火縄の先端に点火した火種を絶やさないようにするため、参詣者は火縄を勢いよくくるくると回しながら歩いていたのである。それが、まるで魔法の火の輪のように私の眼には映ったわけだ。下宿に戻ると私は、まだ先端が赤くともっている祇園神社の火縄を奥さんに渡した。奥さんはその火種を使って、かまどに火を撒した。 また、花にもの思う春では、 春の和歌のうちで私が特に気に入っているのは、藤原俊成の次の歌だ。 「またや見ん交野のみ野の桜狩花の雪散る春のあけぼの」。 この歌によって描き出された情景は、悲しいまでに美しいーいや、あまりにも美しすぎる。皇室のお狩場に曙光がさす中、桜の花が雪のように乱舞している。お狩場に赴いた宮廷人の目当ては、動物ではなくて桜の花。 俊成はふと思うー「死ぬまでに、再びこんなに美しい光景にめぐり会えるだろうか」。答えがもちろん「否」であることを、俊成は内心悟っている。年老いた身の彼は、二度とこのように美しい春が体験できないことを知っているのである。しかし、仮に彼がもっと若かったとしても、答えはやはり「否」なのではないだろうか。 人は一生の間に、再び繰り返すことができないようなすばらしい体験を何度かするものである。長いこと忘れられなかった風景も、実際に再訪してみると、覚えていたほど壮大もなければ美しくもなかった、という経験はだれにもあるだろう。そして、俊成の歌が示すように、人はときとして、“最高の瞬間"を味わっている真っ最中に、再び同じ体験はできないことを悟っているものなのである。 人は、"最高の瞬間"が過ぎ去ってしまうことを恐れ、いつまでもそれにしがみついていたいと思うものだ。写真を撮ることによって、その瞬間を留めておこうとする人もいる。だが、写真が捉えることができるのは、視覚的要素のみであり、大気中に漂う春のやわらかなぬくもりも、早朝の鳥のさえずりも、木々の緑の芳香も、全く捉えることができないのである。 縦横無尽に糸を織るように言葉を織り上げる才能には、ただ畏れ入るばかりだ。

Posted by ブクログ

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