苦しくとも なぜ 生きる の商品レビュー
私たちは、いつも「自分の力」で何とかしようともがいている。 努力すれば報われる、正しく生きれば救われる―― そんな言葉を信じながら。 けれど、親鸞聖人は静かに否定する。 「人は自らを救うことはできない」と。 その響きは一見冷たく聞こえるが、 実は限りなく優しい真実でもある。 ...
私たちは、いつも「自分の力」で何とかしようともがいている。 努力すれば報われる、正しく生きれば救われる―― そんな言葉を信じながら。 けれど、親鸞聖人は静かに否定する。 「人は自らを救うことはできない」と。 その響きは一見冷たく聞こえるが、 実は限りなく優しい真実でもある。 この本は、そんな親鸞の「他力の思想」を 現代の言葉で丁寧にほどいていく。 生きるという行為の底には、 計算も、努力も、功績も届かない領域がある。 そこにただ「生かされている」という 不可思議な事実だけが横たわっている。 愚かでいい。 弱くていい。 人は完全ではないからこそ、 誰かに、何かに、委ねることができる。 その“委ね”こそが、他力という名の慈悲なのだ。 人は、なぜこれほどまでに孤独なのだろう。 誰かと語らい、笑い合い、 温もりに包まれているはずの時でさえ、 心の奥底ではひとりきりの静寂が鳴っている。 親鸞聖人は、その孤独を否定しない。 むしろ、それを「人間の原点」として見つめている。 孤独とは、欠陥ではなく、 “他力”を知るための入り口なのだ。 ページを閉じたあと、 自分の中の「頑張らねば」という声が 静かに遠のいていった。 代わりに残ったのは、 「それでも生きていく」という 不思議な温もりだった。 生きるとは、 すべてを理解することではない。 すべてを抱えたまま、それでもなお歩き続けること。 親鸞の教えは、 その“愚かさの中にある尊厳”を見せてくれる。 夜明け前の薄闇のように、 静かで、けれど確かに温かい―― そんな光がこの本には宿っている。
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