17歳からたのしむ「聖書」 の商品レビュー
聖書を読むことで、私たちが住む「世界」が見えてくる。 無数の物語がモザイクのように組み合わさって一つの物語(66巻)を創り出す。 聖書全体を通しての大きなテーマは「神様の愛」。 聖書を読むほど、私たちがただただ「愛されている」と感じられる。 聖書が描く天国は「今」体験することがで...
聖書を読むことで、私たちが住む「世界」が見えてくる。 無数の物語がモザイクのように組み合わさって一つの物語(66巻)を創り出す。 聖書全体を通しての大きなテーマは「神様の愛」。 聖書を読むほど、私たちがただただ「愛されている」と感じられる。 聖書が描く天国は「今」体験することができる。 人間が「神のかたち」に創造された点に「神様の愛」が最も表現されている。 すべての人間が平等に「神のかたち」として創造された。 神様からの「愛」の「ラブレター」として聖書を読むことができる。 エバはアダムを完成させる「ツェラ(片方)」として創造された。 「いのちの木」(神様と繋がる)と「善悪の知識の木」(神様から離れる)。 善悪の知識の木から食べると「必ず死ぬ」=「喜び」のない状態。 「善悪の知識の木」は「自我(エゴ)」を象徴している。 神様は「エデンの園へ帰る道」を備えてくださると約束した。 人間に「自由意志」を与えたのは「喜び」のため。 日常の至るところに「エデンの園」がある。 聖書における「罪」とは「いのちの源である神様」と繋がらない「的外れ」な選択。 「蛇」「サタン」「悪魔」は神様から人間を引き離すものの象徴。 「死」の誕生には「罪」、さらに深めると「自我(エゴ)」の誕生が関係。 満ち足りているのに「満ち足りていない」という「自我」が作り出す「錯覚」。 (ヨナの物語)「祈り」を通して「いのちの源である神様」と繋がる。 自分の中にある「蛇」と向き合うことは「自我(エゴ)に死ぬ」こと。 自我に死んだ先には本当の意味での「いのち」が待っている。 イエス・キリストの方法こそが「エデンの園に帰れない」問題を解決する。 「福音(エヴァンゲリオン)」=神の国(エデンの園)が近づいたという良い知らせ。 イエスの「洗礼(バプテスマ)」は「キリスト(メシア)」としての出発点。 イエスは「荒野の誘惑」(食べ物、権力、神への試み)に打ち勝った。 イエスの生涯は天地創造の「7日目」、すなわち「安息(シャバット)」を象徴。 イエスの福音は「人種・性別・地位」に関係なく全人類に対する「良い知らせ」。 神様が人間に「なった」ことは「エデンの園へ帰るための道」を備えるため。 イエスの「選択」=「大いなるもの(神様)にすべてを委ねる」本当の「信仰」。 イエスの「十字架」は自分の命を捧げて「エデンの園へ帰る道」を示した「愛」。 「十字架と復活」こそが「蛇(死)」を制することに繋がる。 十字架のメッセージ:「死を恐れずに、自分の中にある『蛇』と向き合え!」。 イエスは「十字架」を通して、「エデンの園」は実現した(既にしている)と伝えた。 マリアが墓で見た「園の管理人」は「エデンの園」の回復を象徴。 神様の「愛」は良い行いによらず、ただただ与えられた「賜物(プレゼント)」。 「愛されている」と心底感じた時に「自分自身を愛すること」ができる。 私たちの体は神様の「霊(ルーアッハ)」によって生かされている「器」。 イエスはまさに「歩くエデンの園」であった。 「エデンの園」はいつも「今」「ここにある」。
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