大きなシステムと小さなファンタジー の商品レビュー
まちを作りたいと思っていました。 でもなんか、町作りをしてるような企業を見てもしっくりこなく、関わってないからそう思ってるだけなのかなと思ってたけど、この本のまちの作り方が一番しっくりきました。 別に**町の町おこしをしたいわけじゃなくて、イベント企画屋をやりたいわけじゃない。...
まちを作りたいと思っていました。 でもなんか、町作りをしてるような企業を見てもしっくりこなく、関わってないからそう思ってるだけなのかなと思ってたけど、この本のまちの作り方が一番しっくりきました。 別に**町の町おこしをしたいわけじゃなくて、イベント企画屋をやりたいわけじゃない。自分が生きてる場所を作りたいんだなって思いました。 この本では、まちを超えて「くに」まで作ろうとしたいて、もう何歩も先を見据えていて、やられた感がありました。 クルミドコーヒーはカフェからまちを作ろうとしている。 僕はそれを畑から作れないかと思っている。 畑からでも作れると思っていた。 でも、本書の中にお米作りプロジェクトの話があり、クラフトビールなんかも作っていて、まさに僕がやりたいことと思ったけど、なんと5年の活動期間をもって終了したとのこと。続けられなかったと書いてあった。 これはショックで、経営のプロが続けられなかったのなら、私がやっても無理なのかも。いや、諦めない。畑から始まるまち作りをカフェに負けないようになんか頑張りたい。 経営としてしっかりやるところ。 そして、小さなファンタジーを育てるところ。 しっかり両輪を楕円軌道で回していきたい。 影山さん、私も頑張ります ※この感想を書いてる時に、影山さんから朝モヤ500回記念イベントのお誘いメールが届きました。なんという偶然。朝モヤは前著の『ゆっくり、いそげ』を読み終わった後に一度参加しただけで、なんならカフェにも行ったことないのに、このタイミングでメールきたら行かなあかん気がしてきます。行けるかな。。
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もうなんか大人の教科書ってことでいいよな。目からウロコがボロボロ。俺の西国分寺はどこにあるんだろうか。システムの外に。
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すでにあるやり方を変えることの躊躇やしんどさ。マニュアル通りが繰り返されることによる固定化。システムは人間が作る物なはずなのに、きづけばシステムに人間が従属していること。 自分の時間を生きている、という感覚が持てること。今の仕事の心地よさはここだな。 遊びの本質は、何をしてるか...
すでにあるやり方を変えることの躊躇やしんどさ。マニュアル通りが繰り返されることによる固定化。システムは人間が作る物なはずなのに、きづけばシステムに人間が従属していること。 自分の時間を生きている、という感覚が持てること。今の仕事の心地よさはここだな。 遊びの本質は、何をしてるかではなく、それを本人が"やってみたい"と思ったかどうか、その動機のほうにある 何かを成し遂げるために生まれてきたわけではない。……わたしはここで生きている、と提示することが大事。 …周りがよく見えることもあるけれど、魅力的なのではなく、魅惑的なだけ。惑わされているだけ。 今目の前にあるあなたと一緒にできることをやろうという姿勢、ブリコラージュ。 ナイスファンタジー ひとつひとつの生が大切にされる社会 懐中電灯で最後に照らすべきは自分。 ブラック企業ならぬ、透明企業。そういう意味でも、同質じゃない人がいることの意味がすごくある。 事業計画ではなく、ブリコラージュで進めること。
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タイトルを見ても表紙を見ても、何の本だか分らなかった。 例によって著者の話を聴いて予約したのだろうが、 間が空いてしまって、記憶のかなた。 読み始めればわかるだろうと思ったが、、、 読み始めてもしばらくは何のことだかわからなかった。 470ページもの分厚い本を読み終えて、よう...
タイトルを見ても表紙を見ても、何の本だか分らなかった。 例によって著者の話を聴いて予約したのだろうが、 間が空いてしまって、記憶のかなた。 読み始めればわかるだろうと思ったが、、、 読み始めてもしばらくは何のことだかわからなかった。 470ページもの分厚い本を読み終えて、ようやく思うのは、、 この本の舞台はクルミドコーヒーという喫茶店だが、 ビジネスを立ち上げ、継続するうえで、 我々は「こうしなくてはいけない」という呪縛にとらわれてないか? それを大きなシステムといっているのではないか? その呪縛から解き放たれた、自由なビジネス(といっていいのか?)が あってもいいのではないか。 この人がいなくなるなら、昨日まで出していたメニューは出さない、とか、 事業計画を立てず、その店らしいかどうかだけを判断基準にする、とか、、 それで経営が成り立つなら、ビジネスとしてうまくまわるなら、 それでいいじゃないか、と。 理想主義、絵空事、というとネガティブだから、 それをしてファンタジーといっていいのではないか。 なんて思いがタイトルになっているのかな、と勝手に思った。 それを言うために470ページもかけたのでは、と。 国分寺市という街を大事にしている。 投票率をあげようと。 ・・・投票が増えたところで政治が良くなるかどうかはわからないがあ、 少なくとも、利害関係のある人だけが選挙に行って勝手に首長やら議員が決まるのはよくないだろう。 みなでわいわい意見をかわして、その結果前に進む、 クルミドコーヒーの精神がこういうところにも生きているのかな。 読んでいる最中はなんだか雲をつかむようだったけど、 こうしてまとめていると、なんか腑に落ちる。 「ゆっくり、いそげ」という本の続き、集大成らしい。 何か、面白い。 第一部 自分の時間を生きる (こどもたちのためのカフェ;ファンタジーの森) 第二部 いのちのありようから学ぶ (植物が育つようにお店をつくる;種の話;土の話;いのちをいかし合う組織;いのちはどのような形をしているか) 第三部 大きなシステムをひっくり返す (友愛の経済、友愛の金融;一つ一つのいのちの形をしたまち;もう一つの道)
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現代の経済第一主義、資本主義の世界に安易に飲み込まれないようにする、別のパラダイムを提示しようということをベースに、さまざまな切り口で人がどうその人らしく生きていくかということを語っている。 「いのち」という言葉がたくさん出てくる。目的から逆算して、トップダウンでリザルトパラダイ...
現代の経済第一主義、資本主義の世界に安易に飲み込まれないようにする、別のパラダイムを提示しようということをベースに、さまざまな切り口で人がどうその人らしく生きていくかということを語っている。 「いのち」という言葉がたくさん出てくる。目的から逆算して、トップダウンでリザルトパラダイムで歯車のように人の役割が決まるのではなく、一人ひとりが活きるやり方を考える、という視点もそこから出てくるのだなと思う。 一方で、リザルトパラダイムとプロセスパラダイムのような対立する構造を単純な二項対立としてどちらかに立つとするだけではなく、楕円の軌道の焦点のように捉えてその周りをどうまわっていくか、というものの見方をするというのは、単純に二項対立のどちらかに偏るのではなく、また単純な「バランス」という言葉で片付けるのでもない、違った視点のように感じて面白かった。仕事でも、経済的利益と現場の質みたいなものをトレードオフとして捉えがちだが、そうではないものの見方を大事にしたい。 国分寺を中心にシェアハウス、カフェ、地域通貨、その他地域活動・地域経済を回していくこと、という発想は、いい意味で安易に共同体回帰にならない程度に、規模感が小さすぎず大きすぎないのではないか。そういう意味でも興味深い。観察したい。
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近年、贈与、ケアが思想として注目されてきている。また、人的資本経営なども盛り上がっている。その流れと合わせてこの本を読むと、具体的な話で理解も深まるし、このレベルで実践しているのか、ととても刺激になった。
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読書会の課題図書。「クルミドコーヒーはエリートによるエリート集団ではないか?」という考察も。興味深い。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
私が大切にしたいことを言葉にしてくれた感じ。 ・そもそもにおいて、生み出したい成果を先に定義してそこへ最短距離で行こうとするやり方は、人間の組織で実現しようとしたときどうしても深刻な矛盾をはらむことになる。一人一人のいのちの形は生まれながらにして違う。それを一定の枠や型に当てはめようとすると、どうしてもはみでたり足りなかったりすることになる。それは△(リザルトパラダイム)の文脈では無駄や不足とされ、改善を求められる対象となる。そうして人間が規格化されていく。その「規格」にうまく自分を当てはめられない者は、「不適合」とされる。 ・△の社会作りを突き詰めていくと、人間が手段になる。成果に貢献できる人材はいい人材で、貢献できない人材はよくない人材ということになる。人間が利用価値ではかられるようになる。今の世の中がはらむ生きづらさの大きな原因はここにある。 ・そうではなく、それぞれがそれぞれのいのちを最大限発揮し、周囲との関わりの中から、それぞれにしかできないユニークな仕事をなしていくこと。そしてそのことを、お互いに支援し合うこと。そうすると、そうしたいのちや仕事の集合体としてできる社会は、偶発性に導かれながら、末広がりに枝を広げた木の形―▽―になる。(プロセスパラダイム) ・これらのどちらかという選び方ではなく、これら 双方を包含するような、これらの矛盾を乗り越えた先にあるような、第三の道を構想できないかということだ。 ・マニュアルのようなシステムは人間がつくるものなのに、皮肉なことに、そうしてつくったシステムにやがて人間が 従属していく。そのシステムがよくできたものであればあるほど。 ・少し頭を休めて、心と体に従えるといい。まずは、「やってみたい」にしても「いやだ」にしても、自分の中でその情動が起こったときにそのことを認めてあげることだ。自分の中にそういう感情や反応があるのないことにしてしまわないこと。そうすることで、情動という筋肉はその分だけ育つ。そしてそこから自分の時間が動き始める。 ・誰かのファンタジーは、それに触れたまた別の人のファンタジーを刺激して、波になっていく。波はいずれ 渦になって、望む未来を実現化していく。 ・世界は問いかけられることによってはじめて自分を開く。自分自身が関心を持って見たものしか、われわれの目にはもともと映らないのだ。 ・あなたの中に種があることをやりなさい。 ・ぼくらが「私は」から話すことを苦手にする状況があるのだとすると、それは一つに「あなた」や「彼ら」の不足、つまり 他社との対話の機会が不足しているからということになるのではのあるまいか。たくさんの「あなた」や「彼ら」に取り囲まれ、関わり、対話し、そこに映る数々の「私」の像と向き合う中から、それはようやく 形作られていくものなのだろう。 ・ときに、「自分の『好き』を仕事にしよう」というような表現に出会うことがある。ただ、ぼくはその考えにあまり賛成しない。なぜなら、仕事とは「誰かをよろこばせるためにすること」なのであって、「自分をよろこばせるためにすること」は趣味なのではないかと思うからだ。 ・内側からの力と、外側からの力。その半分はコントロールできないものであることを自覚しつつ、力を育て、蓄え、熟成させ、その機を待てばいい。自分の中の種を発芽させる、その時を。 ・反応を示すことは、その人が生きていることを祝福するようなことだ。 ・秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。 ・収支構造を改善するため、収入を増やすことよりもむしろ、「あるものを使う」「関係性をいかす」「自分たちでつくる」で、出て行くお金を減らすことを大胆に考えてみてはどうか。お金に頼り、利用し合う関係を繰り返すことで失ってきた相互理解や信頼といった関係性にもう一度目を向けることで、そうした方策も 絵空事ではなくなる。そして 関係性が育つほど、お金に頼る部分は減らしていける。 ・人は、人によって傷つけられるけれど、人を癒すのもまた人。そして、人は人によって磨かれる。人の中で生きることで、人は安らぎ、成長していく。
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『ゆっくり、いそげ』から約10年。実際に自分が『ゆっくり、いそげ』を読んだのは最近だけど、この時間の流れを感じる1冊。西国分寺という街やお店の話から、生命や組織、資本経済、試行錯誤しながら進むクルミドコーヒーの軌跡やその哲学は自分の価値観に対して心地よい揺さぶりと刺激を与えてくれ...
『ゆっくり、いそげ』から約10年。実際に自分が『ゆっくり、いそげ』を読んだのは最近だけど、この時間の流れを感じる1冊。西国分寺という街やお店の話から、生命や組織、資本経済、試行錯誤しながら進むクルミドコーヒーの軌跡やその哲学は自分の価値観に対して心地よい揺さぶりと刺激を与えてくれている感じがある。 西国分寺自体は特に思い入れのない街ではあるものの、こういう街はとても素敵だし東京のような一極集中があったとしてもこれから必要になっていくベースになると思う。
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お店に、国分寺市にいき歩かないといけないな。計画しよう。「モモ」がいっぱい出てくるだけでも私には興味と改めて読み返す機会にもなる。内容を読み取るには付箋と書き込み線をもう一回整理する。自分事に重なるところから。前作「ゆっくり、いそげ」の時は自信飲食業界に足突っ込んでいたけど、今は...
お店に、国分寺市にいき歩かないといけないな。計画しよう。「モモ」がいっぱい出てくるだけでも私には興味と改めて読み返す機会にもなる。内容を読み取るには付箋と書き込み線をもう一回整理する。自分事に重なるところから。前作「ゆっくり、いそげ」の時は自信飲食業界に足突っ込んでいたけど、今はその縁から違う業界にいるのもカフェ、喫茶店って街の拠点になりうるだよね。
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