庭の話 の商品レビュー
「家」族から国「家」まで、ここしばらく、人類は「家」のことばかりを考えすぎてきたのではないか。しかし人間は「家」だけで暮らしていくのではない。 (#1 プラットフォームから「庭」へ) なるほど!だから「庭」なのか。 時折り目にしていた書評やニュースなどで名前だけは覚えていたが、...
「家」族から国「家」まで、ここしばらく、人類は「家」のことばかりを考えすぎてきたのではないか。しかし人間は「家」だけで暮らしていくのではない。 (#1 プラットフォームから「庭」へ) なるほど!だから「庭」なのか。 時折り目にしていた書評やニュースなどで名前だけは覚えていたが、一冊丸ごと読むのは初めて。 SNSに日頃感じていること、“ほぼ日”の話、他人との距離感、さまざまな場面で、驚いたり感心したり行きつ戻りつしながら読了。読み応えあり。きっとまた読む。
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あまり庭の話をしていない。プラットフォームのもたらす相互評価交換のゲームから逃れられる場所を「庭」と呼ぶ、そして「庭」の条件を満たす場所とは例えば就労継続支援B型、銭湯、コインランドリー、戦争…てなわけで、ちっとも庭じゃなかった。比喩として駄目だと思う。 そもそも庭の発想に至った...
あまり庭の話をしていない。プラットフォームのもたらす相互評価交換のゲームから逃れられる場所を「庭」と呼ぶ、そして「庭」の条件を満たす場所とは例えば就労継続支援B型、銭湯、コインランドリー、戦争…てなわけで、ちっとも庭じゃなかった。比喩として駄目だと思う。 そもそも庭の発想に至ったきっかけである『「自然」という幻想』自体が仮想の敵に向けてシャドーボクシングしているような本だが、本書もそれを追いかけるかのように解像度の低い敵を殴り続ける為にこじつけを重ねており、主張が迷走して痛々しかった。 共同体憎悪を募らせた著者は知らないだろうが、全ての共同体が常時連帯の為に敵を作って戦っているわけではないし、共同体の構成員としての在り方は色々あるし、何より著者の好きな小網代の森を管理しているのもコンビニに醤油を仕入れてくるのも共同体だし、アリゲーターだのタンザニア商人だの「弱い自立」としての働き方もまた能力主義やコミュニケーション能力に大きく依存しているので著者が気にするSomewhereな大衆…というか弱者向きでは全くないという事実を著者はもっと踏まえて語るべきだったんじゃないか。 というか、陰謀論に嵌まる腐女子なんて今日幾らでも見られるのに制作する者はプラットフォームから解放されているなんて、そんな訳ないってことは日々ツイッター見て著者は知っているだろう。それはそれ、これはこれだ。 しかし、糸井重里批評のくだりは素晴らしい。現代日本において非常に必要とされている言葉だと思う
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SNS等のプラットフォームを含む共同体、コミュニティといった「家」的なものを相対化するものとして「庭」のようなものが必要なのではないか?その「庭」の概念とは?どこにあるのか?といった考察を行った一冊。 共同体、コミュニティを否定した本なのかな、と思って距離を取っていたが、どうも...
SNS等のプラットフォームを含む共同体、コミュニティといった「家」的なものを相対化するものとして「庭」のようなものが必要なのではないか?その「庭」の概念とは?どこにあるのか?といった考察を行った一冊。 共同体、コミュニティを否定した本なのかな、と思って距離を取っていたが、どうも違うらしい、という噂を聞いて読んでみた。まず分厚さに怯んだが、中盤までは人文系でない自分にも読みやすかった。それ以降は、段々馴染みのないカタカナや人文書を読んでる前提の話が増えてくる。 断定口調が鼻に付く。何の根拠があって、そこは断定できるのか?という疑問が湧いた。いちいち挙げるとキリがないが、例えば『戦争と一人の女』という小説から引用して語られる欲望。この欲望は大雪とか台風の時に感じる期待感のようなものに似ていると思う。その欲望自体は認めるが、特に根拠もなく、これがとても大きな欲望であるかのように語られていて違和感を感じた。 会社の飲み会などをやり玉に挙げて共同体やコミュニティを敵視しているが、共同体とかコミュニティの見方が一面的で雑なのではないか。一言に共同体とかコミュニティとか言っても、規模や結び付きの強さなど様々なはずだ。コミュニティによっては、内部の力関係が時と場所によって可変的で流動性がある。著者はどんなコミュニティでもあぶれてしまう者がいることを懸念していて、その点は好感が持てた。個人的にも、自助グループや哲学カフェで出禁になってしまう人物を見て、彼らに居場所はあるのだろうか?と思ったこともある。しかし、多様なコミュニティがあれば乗り換えも可能だし、どれか1個くらいは引っ掛かるのではないか?それすら引っ掛からないのなら、それはもう医療や福祉の対象であって、庭にもいられない気がする。 散々庭の話をしておいて、結局、庭にはプラットフォームやコミュニティを相対化する力はない、と結論する下りにはヒザかっくんを食らった気分だった。前置きをさんざんこねくり回したくせに、やけにあっさりしている。そこはもっと粘るところなんじゃないのか?それとも、このあっさりがおもしろい、とでも思っているのか?そこから庭を成立させる条件を語り出したかと思ったら、結論は「人間の条件」のアップデートなんだと。なんだそりゃ。アセンションか?ニュータイプか?ダブルでヒザかっくんだ。そもそも、人のアップデートなんて不要な場所が庭ではないのか? いちゃもんを付けてしまった。著者の文章にはいちゃもんを付けたくなる力がある。章を締める文章がいちいち格好付けていて、著者のドヤ顔が目に浮かんでむかつく。ただ、著者が人間の居場所を真剣に考えているのは伝わった。残念ながら自分は著者と近いタイプの人間で、会社の飲み会は殆ど断ってきたし、食事も殆ど一人で取る。著者も自分も人間として間違ってると思う。もちろん、より間違っているのは自分の方だが。間違ったまま生きていけるのが幸福なのか不幸なのかはよくわからない。
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https://x.com/nobushiromasaki/status/2029766541944967304?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
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時間をかけて少しずつ読み完読。私の読み方が浅いのか、読み取れてないだけなのか以下のように思った。 現代における問題意識も、過去に言われた諸問題の批判のアップデートも理解できるし面白かったけど、その問題の解決の提案が弱い気がした。 人間本来の欲望を取り戻すために、「制作」という結...
時間をかけて少しずつ読み完読。私の読み方が浅いのか、読み取れてないだけなのか以下のように思った。 現代における問題意識も、過去に言われた諸問題の批判のアップデートも理解できるし面白かったけど、その問題の解決の提案が弱い気がした。 人間本来の欲望を取り戻すために、「制作」という結論が導かれたのは良かったけど、まだプラットフォームにおける承認の交換による快楽をその「制作」による欲望が乗り越えられるかということまで言及できてないように感じた。 結論に至るまで様々な事例を紹介してきたのに、最後がクラウドロー以外の例を提示できていないのが残念だった。また、クラウドローへの参加へのハードルも社会的格差があることが想像され、解決の結論の提示例として正しかったか疑問が残る。 この「制作」の行為への解像度が薄いため、最後納得できずふわふわした問題意識だけが残った。 「庭」の条件を満たすものが、戦争というのも少し解りかねた。軍人として参加する視点と、飲み込まれる民衆の視点が交差しており、一個人として「庭」の条件を完全に満たすかは人によると思った。坂口安吾の小説「戦争と一人の女」を引用したのも混乱を極めた。
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インターネット時代がもたらした Somewhere な人々と Anywhere な人々を概観し、そこには庭が必要だよねというもの。世界観がわかりやすくまとめられていて、平易だが安易に閉じない議論で非常によかった。読後感がぬるっとした感じであったのがややもったいない気持ち。
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京都市役所葉山さんと語る「庭の話」 https://listen.style/p/jamsessionz/68awuju8
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さいきん流行りの交流の拠点としての飲食店、みたいなものに憧れを抱きながら、いざあたらしい町に越してきてみるとその敷居をまたぎ、且つ継続的に顔を出すことの困難さを痛感してしまう自分にとり、後半の共同体批判にはおおいに共感するところがあった。また、われわれが世界への手触りを求めてプラ...
さいきん流行りの交流の拠点としての飲食店、みたいなものに憧れを抱きながら、いざあたらしい町に越してきてみるとその敷居をまたぎ、且つ継続的に顔を出すことの困難さを痛感してしまう自分にとり、後半の共同体批判にはおおいに共感するところがあった。また、われわれが世界への手触りを求めてプラットフォーム上で(画一化された身体でもって)承認獲得のゲームにのめりこみ、実空間までもがその延長となってしまうのも当然思いあたることであるし、たとえば絵を描いているときのたのしさがここで説かれている制作の快楽としてその処方箋となることも腑に落ちる。そういった事柄が庭の比喩を巡って展開されるのは非常に読んでいてたのしいが、しかし作庭のみならず人間の側も変容しなければならないのだと言って展開される終盤の議論は(それまで積みあげてきた議論に比して)性急かつ非現実的で、そのわりにそこをどうにもしないとどうにもならないというか、むしろそれが解決されていれば庭などどうでもいいのではないかとすら思えるもののように感じた。現行の資本主義のもとでの活路を見出すのは現実的な発想ではあると思うが、都度都度括弧書きで記される「適切な再分配がなされれば」という断りや、個人の能力主義を加速させかねないアグリゲートという考えに弱い自立の手がかりを求めようとする点に、まるで賃労働者の実態・実感覚が反映されていない印象をうける。それを馬鹿なやつらは反論だけでうんぬんなどとあらかじめ反論をおさえこもうとする態度は不誠実だと思うし、論理のあやしい主張を感情的な書きぶりで乗りきろうとする姿勢はほかの箇所にも見受けられた。また、あまりにも変化がはげしいから議論に取り入れるのには相当の困難が伴うだろうと思いつつ、この時代に・この話題を展開するうえで、生成AIの話は避けては通れないだろうと思うが、それへの言及がまるでないのにも違和感というか、現実との乖離を感じた。資本主義のもとでは、生成AIが労働における制作を代替する流れを食い止めることはできないだろうと思う。しかし現代人には朝と夜しかなく、だから夕方をもつべきだ、という話は今後もおぼえておきたいと思った。
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おすすめされて。 コミュニティ賛美に反発する目的で無理やり論理を作っているように感じられてもやもやするところが多かった。 国内人文書の潮流とか関係図とか頭に入っていれば理解が進んだかもしれない。 「庭の手入れ」をメタファー的に捉えて、大きな目的ではなく日々の手入れに目を向けてプロ...
おすすめされて。 コミュニティ賛美に反発する目的で無理やり論理を作っているように感じられてもやもやするところが多かった。 国内人文書の潮流とか関係図とか頭に入っていれば理解が進んだかもしれない。 「庭の手入れ」をメタファー的に捉えて、大きな目的ではなく日々の手入れに目を向けてプロセス重視でやっていくのは良い
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
問題意識があり、それを解決するための思考の筋道があるが、結論は未来にあるため、決定的ではない。しかし、その過程の話は示唆に富む。 ここでいう問題意識=前提条件、社会的背景は、 1.国内問題としての経済的な格差から、大衆の政治(敵味方をはっきりさせる承認行為)への傾倒がみられる。 2.それを加速しているのは、Xを代表とするプラットフォームの存在。 という点だ。 この社会のプラットフォーム化を乗り越えるために、著者は「庭」をつくる必要性を説いていく。 ここで庭とは、 1.人間が人間外の事物とコミュニケーションをとるための場 2.その事物は事物同士が連携し、外部に開かれた生態系をなしている 3.人間は関与できるが掌握は出来ない 2.そこには共同体はあってはいけない。孤独であるからこそ事物=自然と向き合えるからだ。 以下メモ ・トランプ現象は、経済のグローバル化で、アメリカとベトナムの格差が縮まる一方、国内の格差が広がることを受けて、その後者の負け組が反応した現象。 ・Anywhere な上位層と、somewhere(土地に固定された人々)の対比。しかし、上位すら、下位と相似形だ。 ・庭(介入できるけど完全管理はできない)の比喩が示唆に富むのはわかる。SNSの承認だけに制約された人格で、魔法の靴を履いているように、絶望へと走り続けているからだ。 ・國分の説いた中動態の世界はネットプラットフォームでは回復してしまっている。リアリティショーでのSNS誹謗中傷から自殺した事例がそうだ。 ・実は庭はすでに存在している。戦争という状態で。
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