庭の話 の商品レビュー
ここで登場する「庭」とはメタファーであり、半分閉じて半分開放された空間を指す。そこでは独自の生態系がそこに棲む生き物たちの共進化によって成り立っており、「庭」の主たる人間の思惑や思想を超越した偶発性が発生することで人生をより豊かにしていく機会となる。 果たして、科学技術の発展は...
ここで登場する「庭」とはメタファーであり、半分閉じて半分開放された空間を指す。そこでは独自の生態系がそこに棲む生き物たちの共進化によって成り立っており、「庭」の主たる人間の思惑や思想を超越した偶発性が発生することで人生をより豊かにしていく機会となる。 果たして、科学技術の発展は私たちの暮らしを本当に豊かにしているのだろうか。とくにインターネットの登場は、Web2.0⇒Web3.0とバージョンアップが図られるとともに、誰もが発信者たり得ると無邪気に信奉されてきた。その結果がFacebookやXのプラットフォーマーによる寡占と、フェイクや陰謀論に扇動・動員される民主主義の危機である。 筆者はこのSNSの潮目を読みながら情報の真偽よりも人間関係の承認獲得に勤しむ状況を脱するために、「庭」の重要性を説く。折しもSANCHACOは、保護猫という存在が人間の思惑を超越した生物として君臨し、訪れる人間たちに偶発性を提供している「庭」となっている。個人的にはXを辞めて、Facebookもあまりログインしなくなっている状況だが、高校生からお年寄りまで地域の人間関係が広がっている。 SNSの功罪について、あまりにも露悪的に語っている傾向はあるが、アメリカ大統領から街のお店までSNSでバズることを目的に短期的な利得と承認獲得を目指す社会になってしまった現在において、未来をどのように志向していくべきか個人の行動指標となり得る内容となっている。物事に対する見方や取組み方を他者の承認という外部評価によって決めるのか、それとも「庭」を持って自分と物事の距離感を最適化させるのか、多くの現代人にとって示唆に富む内容である。
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SNS上で潮目を読んでそれっぽいことをつぶやくことで安易に承認欲求が満たせることで、承認欲求中毒となってプラットフォーム上で踊らされてることへの警鐘。他者世界との関係性の中で無意識下にもある自己承認欲求を拗らせずにどうあるべきか。庭を例えに場と個人という観点で深掘りされてる。随所に著者のアナキズムというか偏屈さを感じるけどだからこそ生まれてくる問い、見方が新鮮。 地域のつながりがーコミュニティがーと言ってるうちは、共同体に参加しない自由がないというか、排除的な要素が含まれてしまってるなとハッとさせられた。 デモでも選挙でもなく、日々の自分の選択が社会を作るっていう実感を持つ上で、デジタルプラットフォームの果たす役割は大きいと思うのだけど、そういう庭にできてるかって言うと、問いを立てる側の力量が試されてるなとも思う
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めちゃおもしろかった。が、最後の方理解が追いつかなかった。 個人的には、仕事、家族以外のコミュニティにゆるくかかかわっていたい、それが自分の助けになると思っている。 でも、元来の飲みニケーションや、自治会みたいなもの、、、昔ながらの場を考えるとちょっと違うなぁそのままではなと思...
めちゃおもしろかった。が、最後の方理解が追いつかなかった。 個人的には、仕事、家族以外のコミュニティにゆるくかかかわっていたい、それが自分の助けになると思っている。 でも、元来の飲みニケーションや、自治会みたいなもの、、、昔ながらの場を考えるとちょっと違うなぁそのままではなと思っていて この本の庭の概念、条件が、よりよい場のヒントになるのではと思ったし、生きていくうえでの選択の参考になるのではと。 この本は、社会への提案だが。。 孤食より共食、でなく縁食という話 からのやっぱり孤独が必要という展開も面白かった。 縁食論にしっくりきて好きな考え方だったから、 そこからこうきたかという。 動いている庭、中動態も本を買ったものの積読だったもの。縁食論は読んでた。とか少し自分の興味と通じて、でも出てくる話は多様で、 いろんな場所に連れて行ってもらえた本という感想。
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・資本主義ゲームのゲームマスターたるanywhereな人とプレイヤーにすぎないsomewhereな人がそれぞれで多層的にゲームをプレイしている ・プラットフォーム空間で画一化された身体を通じ、他人の承認、賞賛、評価、嫉妬、欲望といったのものにひたすら突き動かされる、承認の交換の奴...
・資本主義ゲームのゲームマスターたるanywhereな人とプレイヤーにすぎないsomewhereな人がそれぞれで多層的にゲームをプレイしている ・プラットフォーム空間で画一化された身体を通じ、他人の承認、賞賛、評価、嫉妬、欲望といったのものにひたすら突き動かされる、承認の交換の奴隷化する人々 ・web2.0がもたらしたのはインタラクティブ性と多様性ではなく低コスト承認交換という実態。事物への思考を奪い、反射的に承認獲得に動いてしまう ・人間関係を切り出して肥大化させたSNSの中はまさに承認交換ゲームの檻である。ここに、自然と偶発、そして人間関係以外の虫や花やあるいはふらりと立ち寄った本屋で見つける本のようなセレンディピティを産む、カオスの場としての庭が必要 ・SNSでは簡単に自分の投げかけが波紋を起こせるが、公園などの公共物に影響を及ぼすにはコストが相対的にかかりすぎる ・自分が関わり変えられること、手触り感が当事者意識にも結びつく ・庭は人間外の事物とコミュニケーションがとれ、その事物同士でも外部に開かれた生態系構築でき、人間も関与できるが支配できない場所 ・秩序だった組織グループと、バス停の行列のような集団であるコレクティフ、ムジナの庭は後者を意図して設計された ・ ・
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初出は文芸誌『群像』の評論。とはいえ硬い評論というよりはエッセイのように楽しめる読みあじだった。障害者雇用施設「ムジナの庭」の事例や銭湯のくだりは雑誌のような構成で、かたや國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』『中動態の世界』といった哲学書(一般に読まれている状態をふまえ)に対する論考...
初出は文芸誌『群像』の評論。とはいえ硬い評論というよりはエッセイのように楽しめる読みあじだった。障害者雇用施設「ムジナの庭」の事例や銭湯のくだりは雑誌のような構成で、かたや國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』『中動態の世界』といった哲学書(一般に読まれている状態をふまえ)に対する論考もある。ボトムアップに築かれているSNSでの“承認の交換”の懸念を、“事物と自己との接し方“を強く志向する「庭」でもって対向していくという理解をした(今は)。
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