ヤンキーと地元 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
本書は、パシリという役割を担った調査者が、地元で生きるヤンキーたちと共に生活を送りながら、彼らの生きる地元・沖縄社会とそこで営まれている人間関係を詳細に描いたものである。 パシリと聞くと、雑用とか、利用されているとか、いじめられているとか、そんなイメージが浮かんでくるため、パシリとして調査するなんてそんなことできるのか?と思われる。だが、著者はパシリとしての役割を担うからこそ見えてくる世界があるとして、調査としてのパシリを肯定的に位置付けている。 通常調査は、外部から観察するか、内部で観察するかの2つが考えられる。前者はアンケートが挙げられそうだ。後者はインタビューや参与観察などが挙げられるだろう。だが、著者は観察するのではなく内部にいながら当事者になっているのだ。そうすることで、観察するのではわからない世界を描き出すことに成功している。ただし、当事者になることの問題についても念頭においた上で、独自の調査のあり方を生み出している。 このように文字通りこれまでにない調査方法によって生み出された本書は、沖縄のヤンキーという内地に住む我々では接することがないような者たちについて伝えてくれる。そして彼らが、どのように暮らし、そこで人間関係を構築し、何を考え行動しているのかを詳細に伝える。さらに、ヤンキーたちとの関わりを記述することで、彼らの住む地元とは何か、沖縄とは何かを教える。 自分の知らない人たちを知るヒントを得るためでもいいし、沖縄を知るためでもいいし、これから調査を行うためでもいいし、ノンフィクションに興味があるためでもいい。どんな理由でも、一度は読んでみる価値があるだろう。
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特定の地域あるいは社会的集団の文化や行動あるいは内部の構造を明らかにするため、潜入、同化、並走して、できるだけナマの姿を取材・記述する。これを参与観察というそうだが、まずもって熱意と胆力がないとできないし、参与の過程で自分自身の本音の価値観や思考様式が色濃く立ってしまうような人に...
特定の地域あるいは社会的集団の文化や行動あるいは内部の構造を明らかにするため、潜入、同化、並走して、できるだけナマの姿を取材・記述する。これを参与観察というそうだが、まずもって熱意と胆力がないとできないし、参与の過程で自分自身の本音の価値観や思考様式が色濃く立ってしまうような人には無理だろう。意味のあるコミュニケーションを行うためには、同じ場の空気を呼吸し、黙って隣にいても気にならないくらいの薄い共感が芽生えるくらいに距離を近めないといけないと思う。 というわけで、一般の人には近寄りがたい、暴走族やヤンキーの世界を対象としたエスノグラフィーは、「すげえ」という一般の読者の興味本位を刺激するセンセーショナルな色合いを帯びてしまう。 だが、本作を読むと、覗き見の好奇心を満たされるというようりも、何か、しんとした静謐さを感じてしまう。 閉塞感のただよう地域社会の中で幼い時から環境や周囲の条件に苦しめられた人は、一般の社会とは別に彼らだけの集団をつくり、独自の規範や価値観、そしてヒエラルキーの中で過ごすことを選んでしまうが、当然ながら彼ら彼女らは当たり前の人間であり、幸福を追求したい、という心理においてなんら一般の人と変わるところはない。それなのに、なぜ孤立した集団や組織を形成して閉じこもってしまうのか。 区別や排除を生みだすのは優者必勝の社会原理なのか、個人の資質や能力の分布が広いことに遠因があるのか、とにかく考えられさせる。それが社会学の役割ということであろうか。
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沖縄関係の社会学の話題には必ずといっていいほど登場する人で、数年前から対談を読んだりしてはいた。文庫に入ったから「そのうち読もう、」とマークしていたら突然の訃報を聞き、急いで買ってきた。追悼読書になってしまうとは⋯自分より若い前途ある学者の早逝は切ない。 ひとまず巻末の岸政彦の...
沖縄関係の社会学の話題には必ずといっていいほど登場する人で、数年前から対談を読んだりしてはいた。文庫に入ったから「そのうち読もう、」とマークしていたら突然の訃報を聞き、急いで買ってきた。追悼読書になってしまうとは⋯自分より若い前途ある学者の早逝は切ない。 ひとまず巻末の岸政彦の解説を読むだけでもやるせない。こんなにもこの先を期待されていたのに⋯
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