働くということ 「能力主義」を超えて の商品レビュー
■大事なのは一つの勝ちパターンのみを良しとしないこと。仕事の仕方はその人のあり方の数だけある。一元的なやり方を「正攻法」のように扱わず、多様な顧客の多様なニーズを人地の個人に背負わせるより、多様な持ち味の多様な営業パーソンで分担し合いながら負ったら良い。つい「売れる営業はコレ」と...
■大事なのは一つの勝ちパターンのみを良しとしないこと。仕事の仕方はその人のあり方の数だけある。一元的なやり方を「正攻法」のように扱わず、多様な顧客の多様なニーズを人地の個人に背負わせるより、多様な持ち味の多様な営業パーソンで分担し合いながら負ったら良い。つい「売れる営業はコレ」と決めがちだが、そうではない。一元的な基準ではこぼれてしまう人に、その人にあった役割、在り方を提案できるのが「脱・能力主義」。つまり個人の能力一辺倒ではなく、凹凸の持ち寄りという「関係性」で何とか前に進む方向性を提案できるというのが組織開発の強み。 最も重要なのは、「優秀な営業」を「選んで育てよう」というスタンスから、今、眼の前で試行錯誤しながら頑張ってくれているメンバーの持ち味を認め、それを活かして職務を組み立てる道もあるということ。これがマネジャー側の変革。
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で、結論は?という部分については微妙な読後感。とはいえ問題提起としては本当に共感だし、著者が「我が子や次世代のためにもっと生きやすい世の中を遺していきたい」という姿勢で書いているという背景も胸に響く。 これから人口減と生き方の多様化がますます進めば、選ぶとか選ばれるとか言ってる場...
で、結論は?という部分については微妙な読後感。とはいえ問題提起としては本当に共感だし、著者が「我が子や次世代のためにもっと生きやすい世の中を遺していきたい」という姿勢で書いているという背景も胸に響く。 これから人口減と生き方の多様化がますます進めば、選ぶとか選ばれるとか言ってる場合でなくなるのは明白。「たまたま隣にいた人とお互いうまくやっていく」「置かれた場所で咲く」という覚悟が必要になるということなのかなと、自分の中で結論づけてみたり。
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なるほど、苅谷剛彦先生に師事していたと言うことで、共感して、グッと胸についたり、世の中に怒りを覚えたり、そう、それを言いたかったのよ、と思うことあり。(前半の教育社会学のくだり) 本田由紀先生や苅谷剛彦先生の本を改めて読みたいね、と思う。 一方、本書はなかなか難しい。と言うの...
なるほど、苅谷剛彦先生に師事していたと言うことで、共感して、グッと胸についたり、世の中に怒りを覚えたり、そう、それを言いたかったのよ、と思うことあり。(前半の教育社会学のくだり) 本田由紀先生や苅谷剛彦先生の本を改めて読みたいね、と思う。 一方、本書はなかなか難しい。と言うのも、私がガッチリガチガチに能力主義の中で生きていて、より良く、より成長を、もっともっと、と生きているから。 じゃぁ、褒め合うだけで、どうより良くなったら良いの、より成長するには?が、頭を擡げる。 高度成長期じゃあるまいし、という一節もあるが、それでも、頭を支配して離れない、成長志向。 これが生きづらさの根源と言われても。 そもそも論としての、能力とは、その人が勝ち取ったものじゃなくて、そう言う状況がもたらしているものである。 『どのような社会においても、人間は親から受け継いだ遺伝子や生まれた環境に大きく作用され、それらは多く偶然と言わざるを得ない。「市場競争」の結果もまた多く「偶然」に影響されるものであるとすれば、その結果は常に各人の自己責任に帰すべきであるということも成り立たないはずである。』 には、賛成なのだが、でも、その、実装に頭が追いつかないのである。 ありたい姿は、そこなのに。 新自由主義に、資本主義に、絡め取られているのです。 組み合わせの探究、と思って、余裕を持って、柔らかく、苦しまない、思考を「選択」したい。のだが。 競争から、包摂へ。。。
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今年のマイベスト! ここ数年モヤモヤしていたことの輪郭がつかめてきた気がする。能力主義という実態のない曖昧なものに振り回されて、他人からの「評価」「選ばれる」かどうかに一喜一憂してきた。効率・タイパなどがもてはやされることで、見落とされしまうことがある。 問題はあっても、今現...
今年のマイベスト! ここ数年モヤモヤしていたことの輪郭がつかめてきた気がする。能力主義という実態のない曖昧なものに振り回されて、他人からの「評価」「選ばれる」かどうかに一喜一憂してきた。効率・タイパなどがもてはやされることで、見落とされしまうことがある。 問題はあっても、今現在進行形で私たちは日々を送っている。そのことの価値と、では、他者と少しでも心地よくやっていくために、自分のモードをどう選んでいくか。「あ、そういうモードもあったのか!」と気づけることの豊かさを再確認した。 何でも数値化すること、○〇力の育成、向上に振り回されているのは教育現場も一緒。評価するのではなく、それぞれの持ち味を見つけ、認め合うことの大切さが広がっていくような何かを見つけたい。
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個人の能力が分配と直結している社会への違和感に著者なりの答えが提示されている。能力に応じて分配が決まるのはおかしい、との意見は一見社会主義的な発想につながるのではないかと思ったが、著者は組織論の立場から個人の組み合わせが重要なのだと語る。個人の能力に課されている役割が大きすぎる気...
個人の能力が分配と直結している社会への違和感に著者なりの答えが提示されている。能力に応じて分配が決まるのはおかしい、との意見は一見社会主義的な発想につながるのではないかと思ったが、著者は組織論の立場から個人の組み合わせが重要なのだと語る。個人の能力に課されている役割が大きすぎる気はするものの、だからこそ自分の能力が評価された時の喜びも実際に存在するため、一概に能力の重要性を否定するのも難しいと感じた。ともあれ、本書終盤の変えるべきは他人ではなく個人のモードという主張は多くの人に届くべきだと思う
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他者に「選ばれる」とか他者を「選ぶ」と言うことが「正しい」世の中、つまり「能力主義」に洗脳されている世の中は、新自由主義が闊歩する現在、さらに強まってる。選ばれなけれが自己責任、また選んだつもりがそうでもないとか、最高の人材を集めたら会社の業績が上がるかといったら違うもので、スポ...
他者に「選ばれる」とか他者を「選ぶ」と言うことが「正しい」世の中、つまり「能力主義」に洗脳されている世の中は、新自由主義が闊歩する現在、さらに強まってる。選ばれなけれが自己責任、また選んだつもりがそうでもないとか、最高の人材を集めたら会社の業績が上がるかといったら違うもので、スポーツでもスーパースターを集めると城主軍団になるかと言ったら違うものである。最後に「ケアの倫理」に触れているが、「正しさ」を疑ってみる思考、「周縁」とされる存在は作られた存在でないかと疑ってみることが大事という、改めてリフレーミングさせてくれる書であった。
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小学生の頃から中学受験に向けて「選ばれる」ための教育を受けてきた私は恥ずかしながら、20代半ばになるまで「自分が下駄を履いている」意識があるようでないままに、疑いもせず能力主義のレールに乗って生きてきてしまいました。 でも、働くことでさまざまな他者と出会いを重ねるうちに、どうや...
小学生の頃から中学受験に向けて「選ばれる」ための教育を受けてきた私は恥ずかしながら、20代半ばになるまで「自分が下駄を履いている」意識があるようでないままに、疑いもせず能力主義のレールに乗って生きてきてしまいました。 でも、働くことでさまざまな他者と出会いを重ねるうちに、どうやら自分のこれまでは、決して自分の手柄ではないということが徐々に分かってきます。そもそも食べることに困らない家庭環境の影響を多大に受けていること、アダム•スミス同様に夕食は専業主婦の母に作ってもらっていたこと、それらが当たり前のことではないこと…。要するに運が良かっただけなのだと。 また、「ゴールを明確にし、逆算して効率よく物事を進めることが正しい」などという一元的な価値観を疑うことなく仕事をしてきてしまったがために、職場で直面する誰かの「怒り」(つまり「困り」)などの“非効率な”感情をどこか無意識に忌避してしまい、そこに眠る宝物のような「自分のあり方やモードを変える機会」を何度逸してきてしまったか分かりません。私は弱いんです。 本書は、そうした自分のこれまでのモードを改めて深く内省し、見直すきっかけをくれました。他者に対し慎み深く関わること、それを今後の人生の指針として心の中に持ちたいと思います。 加えて、かつて私の数学の恩師が「わからない問いにぶつかったら実験しろ」と言ったように、レゴ(led godt)社が社名から「あーでもこーでもないとよく(godt)実験し(lege)続けているか?」問いかけてきているように、「完成」を目的としない実験的な仕事•プロジェクト•組織•人への関わり方を探究したくなりました。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
なかなか意識を変えていくのは難しいけど、自分が何を「選ぶ」かは変えられそうだし、自分の身の回りからとかはできなくもない? みんな同じような考えを持って働けたらなとは思う。
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能力主義への反発は内心唱えてきたけれど、そもそもなんらかの基準によってもらいに偏りが生じることへの疑いはもてていなかった、と気づいた。働くことは人間どうしのかかわりである点がより前作よりいっそう強調されて、われわれのかかえる生きづらさは、本来組み合わさっている人間たちを個人に分断...
能力主義への反発は内心唱えてきたけれど、そもそもなんらかの基準によってもらいに偏りが生じることへの疑いはもてていなかった、と気づいた。働くことは人間どうしのかかわりである点がより前作よりいっそう強調されて、われわれのかかえる生きづらさは、本来組み合わさっている人間たちを個人に分断して序列をつけて競争させる仕組みによるものだ、という説得が胸を打つ。既にいま在ることを認める、励ましを得た。
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人が人を能力によって選び、選ばれるという社会の構造に疑問を投げかけ、そのような能力主義を脱するために個人ができること、経済界や教育が変わらなければならない点が述べられていました。 人からの期待に応えることに生きづらさを感じている人は多いと思います。今思えばそういう教育を受けてき...
人が人を能力によって選び、選ばれるという社会の構造に疑問を投げかけ、そのような能力主義を脱するために個人ができること、経済界や教育が変わらなければならない点が述べられていました。 人からの期待に応えることに生きづらさを感じている人は多いと思います。今思えばそういう教育を受けてきたんだなと思います。 少なくとも私は、家族や友人が「ただ居てくれる」ことに感謝して持ちつ持たれつで生きていきたいなと思いました。
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