奪還 の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
膨大な資料からよくぞココまでの作品に仕上げられた功績は素晴らしい。後世に残すべき一作。 欲を言うならば、事実を基にしたノンフィクションにして欲しかった。 後半は小説ぽくもなったけど、全編を大脱出劇に仕上げてることができたなら、世紀の大傑作になり得たのにと考えてしまう。 シンドラーより千畝より功績は大きいかもしれない。帰国後の不遇が残念で仕方ない。
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1945年8月15日、日本の植民地支配が終わった朝鮮は北緯38度線を堺に米軍とソ連軍の分割占領下に置かれた。当時、朝鮮半島には約70万人の一般邦人が住んでおり、うち南朝鮮在住の約45万人は米軍の方針で1946年春までに日本本土への引き揚げがほぼ終了した。 だが、北朝鮮ではソ連が北...
1945年8月15日、日本の植民地支配が終わった朝鮮は北緯38度線を堺に米軍とソ連軍の分割占領下に置かれた。当時、朝鮮半島には約70万人の一般邦人が住んでおり、うち南朝鮮在住の約45万人は米軍の方針で1946年春までに日本本土への引き揚げがほぼ終了した。 だが、北朝鮮ではソ連が北緯38度線を封鎖、約25万人の邦人が移動を許されず、閉じ込められ、さらにソ連の侵攻で戦火にさらされた。避難のため、南下した人々は必死の思いで山間部を歩き続け、疲労困憊、ほぼ無一文で避難先にたどり着いた。だが、食料不足、劣悪な環境下での集団生活、感染症も猖獗を極めた。 そんな苦境にさらされた日本人を日本本土へ引き揚げさせるため、南朝鮮に次々と集団で脱出させた「引き揚げの神様」がいた。 彼の名は松村義士男。戦前は労働運動に加担したなどとして治安維持法違反で二度検挙された左翼活動家だった。だが、北朝鮮に渡ってから、共産主義の知己が多い人脈や、ソ連軍司令部の嘱託という職を生かし、日本人救済に尽力した。 彼は、当局と粘り強く交渉したり、鉄道での大量輸送や海路での試験的脱出など多岐にわたる工作を講じたりして、時には身の危険も省みず、また、多額の借金までして6万人の避難民を救済した。 本書には、様々な文献から埋もれていた事実や関係する人物像、元難民の声が多数集められ、松村に関する情報が掘り起こされている。松村が日本に帰ってからの半生は寂しく惨めで謎めいた部分も残されているが、全体として、感動的であり、「究極の利他」を学べた気がしている。
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終戦直後、日本へ帰国しようとする日本人難民の運命は38度線で分かれる。米ソそれぞれの統治の違いから北朝鮮に遺された難民を救うべく奮闘したのは34歳の一民間人だった。 人脈を駆使しつつ様々なルートを利用して数万の難民を脱出させる。 忘れられた歴史にスポットをあてたノンフィクション。
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敗戦後の朝鮮半島には多くの日本人が住んでいた。米国に占領された南半分からの引き揚げはスムーズに行われたが、ソ連が駐屯した北半分ではそう簡単にはいかなかった。女を襲いにくるソ連兵、日本人の持ち物を奪う賊などにより、極寒の地で日に日に困窮していく日本人。 そんな同胞を祖国に帰すため...
敗戦後の朝鮮半島には多くの日本人が住んでいた。米国に占領された南半分からの引き揚げはスムーズに行われたが、ソ連が駐屯した北半分ではそう簡単にはいかなかった。女を襲いにくるソ連兵、日本人の持ち物を奪う賊などにより、極寒の地で日に日に困窮していく日本人。 そんな同胞を祖国に帰すため、一人の男が奮闘する。松村義士男。 特に組織に属する者でもない彼は、流暢な朝鮮語、朝鮮人やソ連人との人脈を活用し、孤軍奮闘して数万もの日本人を祖国に帰したという。 戦後、各地から引き揚げをした人の個人的な手記などは残っているが、北半分からの引き揚げに焦点を当てて纏められた本は本書が初めてではないだろうか。 興味深いのは、松村が「引き揚げの神様」として有名になっていくにつれて、共に日本人引き揚げのために努力をしていた人の中に「嫉妬」の感情が生まれ、足を引っ張るような動きをした可能性があるというところだ。身震いするような人間臭さ。 しかし、松村はそんなことも乗り越え、各地を回っては日本人を帰国させるために身を粉にして活動する。単なる一個人であった彼に、なぜそんな精神力があったのだろうか? 彼のことは現在に至るまであまり知られておらず、資料も多くはないようである。著者は、同書を発表することで、新たに彼のことを知っている人、あるいは資料が出てくることを期待している、とのことだ。
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日本政府何やってたん?尽力した人たち、ノーベル賞ものじゃん。ノーベル賞はさて置いても、何かあげて欲しいよ。遅いけど。私も生まれてなかったんだと思うしな。 金日成に会いに行った東大生も凄いな。
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