奏鳴曲 北里と鴎外 の商品レビュー
井沢元彦さんの逆説の日本史: 明治激闘編 日露戦争と日比谷焼打の謎 (26)にかなり厳しい森林太郎(鴎外)批判がある。海軍は麦飯で脚気発症を抑えている事実を無視し、米食を続け、日露戦争では戦争での死傷者以上の軍人を死に至らしめている。陸軍の医療衛生の責任者の要職にあったのに、非難...
井沢元彦さんの逆説の日本史: 明治激闘編 日露戦争と日比谷焼打の謎 (26)にかなり厳しい森林太郎(鴎外)批判がある。海軍は麦飯で脚気発症を抑えている事実を無視し、米食を続け、日露戦争では戦争での死傷者以上の軍人を死に至らしめている。陸軍の医療衛生の責任者の要職にあったのに、非難に対し検討会を立ち上げ問題を棚上げして逃げまくったと。 北里柴三郎と森鴎外を主人公にした物語。 鴎外については、「ぼく」と1人称で語られる。津和野の森家の坊ちゃんはプライドはあるが、中身が無いような印象。 北里は豪放磊落。若きに明治天皇に面会する。明治帝「そちの言は正しい。たとえ朕が不快に思っても、自由に話せと申したのは朕である。だがそちの言は無礼であり、これでは気が晴れぬ。なので角力を取って、勝った方が言い分を通す、というのはどうか。」こういう外連味のある海堂節が心地よい。 登場人物たちが自分を誇りながら言い合う場面は、桜宮サーガの火喰い鶏、白鳥が頭に浮かぶ。階上からそれらの騒動を眺めている石黒忠直と長居専斎。石黒は北里と鴎外の行く道に影響を与えるしぶとい妖怪のよう。 後藤新平って医学出身の人だったんだ。行政の根っからの行政の人と思って思っていた。後藤と北里の貶しあいながらも、どちらが上か判らない関係。良いパートナーだと思う。 後藤の検疫対応は早期に立ち上げてきっちり徹底している。新型コロナ騒動のときには後藤のような人がいなかったということだな。 最終的に鴎外は敗者だけど北里が褒めたたえられているわけでもない。偉業も沢山あるが、間違いもあり、効果のないツベルクリンを売りまくったり、伝研は乱脈経営でその金は北里の女遊びに消えている。 あとがきに鴎外と北里の心情的な交流の記録はないとある。解説にも歴史と歴史小説に触れている。しかし、こういう確執はあったんじゃないかなと信じてしまいたくなった。
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北里柴三郎と森鴎外の少年期から死後までを,医事.特に件の脚気論争を中心に描かれる.二人の思想,哲学がどのように形成され,日本近代医学に反映されたのかが対立構造で提示される.何者にも縛られない自由人北里に対し,母に,延いては軍という組織に束縛され続ける中でレゾンデートルを模索する森...
北里柴三郎と森鴎外の少年期から死後までを,医事.特に件の脚気論争を中心に描かれる.二人の思想,哲学がどのように形成され,日本近代医学に反映されたのかが対立構造で提示される.何者にも縛られない自由人北里に対し,母に,延いては軍という組織に束縛され続ける中でレゾンデートルを模索する森の,果たしてどちらが幸せだったのだろう.その呪縛を発端とする脚気への対応間違いのために亡くなった陸軍兵士という生命を,森はどのように総括していたのか.生命は決して文学的要素に過ぎない訳ではない.
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鷗外研究者の端くれとしては、読まねばならぬ作品だと思い、読んだ。北里も新1000円札の顔ではあるし。 どこまでが資料に基づいていて、どこからが作者の想像なのか、とは思うけれど、作品としては面白くはあった。 皆、人なんだなぁ。
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登場して未だ然程経っていない新しい紙幣に肖像画が在る、あの北里柴三郎の画が入った表紙カバーに目を奪われて興味を覚えた一冊だ。そういうような妙な切っ掛けではあったが、本作に出会えたことは幸運だった。愉しく頁を繰り続けて読了した。 本作は、史上の実在人物である北里柴三郎(1853-1...
登場して未だ然程経っていない新しい紙幣に肖像画が在る、あの北里柴三郎の画が入った表紙カバーに目を奪われて興味を覚えた一冊だ。そういうような妙な切っ掛けではあったが、本作に出会えたことは幸運だった。愉しく頁を繰り続けて読了した。 本作は、史上の実在人物である北里柴三郎(1853-1931)、森鷗外(林太郎)(1862-1922)をモデルとした主人公達が活躍する。伝記的な要素も入るような物語である。 北里柴三郎は細菌学の権威で、ドイツへ留学してコッホに師事して実績を重ね、帰国後も色々と活躍した。「鷗外」という筆名がよく知られる森林太郎は陸軍の軍医としてキャリアを重ねている。 敢えて2人の生没年を記したが、北里柴三郎と森鷗外は同時代人である。北里柴三郎は9歳年長で、9年長生きしている。森鷗外が60歳で他界したのに対し、北里柴三郎は78歳で他界している。 北里柴三郎と森鷗外の両者は、親しく交流していたという程でもないかもしれないが、2人の生涯の中で様々な接点が在った筈である。その辺は明確な記録が在るのでもなく、作者の創造の翼が羽ばたいているのだとも思う。本作は、そういうような2人の医学者が、一部は共通する志を胸に、明治時代を駆け抜けた物語ということになる。 本作は、北里柴三郎が主要視点人物となる節と、森鷗外が主要視点人物となる節とが折り重ねられ、「青春」、「朱夏」、「白秋」、「玄冬」という題を冠した4部に纏められている。各部の名前は人生の中の時期と季節とを重ねるような言い方だとも思うが、2人の主人公達の極若かった頃から、壮年期、中年期、晩年近くという人生の場面や出来事が綴られることになる。因みに題名に在る「奏鳴曲」というのは「ソナタ」と呼ばれる器楽曲のことで、4つの楽章で構成されるという。恐らく、4部で構成されている本作の感じと重ね合わせたのであろう。 明治時代の前半頃には「公衆衛生」というような概念が希薄であったと見受けられる。上下水道の整備や廃棄物等の処理、伝染病の広がりの予防というようなこと、疾病等の治療が進め易くすることというような政策的な課題に少しずつ光が当たって行くこととなる。「医療」を通じて、社会に安寧をもたらすこと、社会の発展を底から支えるというようなことを、若き日の本書の主人公達は志す。そしてその概念を「医療の軍隊」というように呼ぶ。 本作の物語は主人公達が志した「医療の軍隊」というようなモノを登場させ、「公衆衛生」に資する活躍が出来るのか否かというような事柄が通奏低音になっていると思う。そして少し対照的な感じもする北里柴三郎と森鷗外の生き様が対比され、更に彼らの周辺に現れる、明治時代の多彩な人達の動きが在る。 本作を読む限り、北里柴三郎は真直ぐで一意専心に物事に打ち込むような感が強く、森鷗外は色々な事情の中で複雑なバランスを取りながら生きているというような感が強い。そういう事が興味深いのだが、本作は全般として「公衆衛生や医学や社会という意味での明治史」という感じで読み応えが在る。 森鷗外に関しては、作家としてよく知られていて「作家の森鷗外」として、既に色々なことが語られていると思う。他方、「軍医の森林太郎」ということになると、本作程度に詳しく語られている例は余り無いかもしれない。 「軍医の森林太郎」は最終的に軍医総監という最高位にも到達している。その軍医としてのキャリアの中、彼は「脚気」という問題で苦慮している。現在では、接種する栄養の偏りによって発生してしまう症状と知られているが、明治時代にはそういうことが判らなかったのだ。その辺の経過が本作に随時登場する。そしてそういう辺りが「事情が分かり悪い問題が生じた場合の対応?」というようなことで、考える材料を提供しているかもしれない。 本作の森鷗外または林太郎については少し複雑だが、北里柴三郎については何か元気をもらえるような感じの部分も多かった。 本作の作者は御自身も医学者であり、公衆衛生の発展経過や、北里柴三郎や森林太郎が携わった仕事や関連事項に或る程度通じているのだと思う。それ故に、そうした分野に然程明るくなくても判り易いように、巧みに纏められていると思った。 その他、本作には山形有朋、後藤新平、大隈重信というような明治期から大正期に活躍したような人物が色々と登場する部分が在って、個人的にはそういう部分も気に入っている。 新しい紙幣の故に少し注目されている北里柴三郎について、同時代人の異色の人材であって、よく知られている森鷗外に纏わる事と合わさって、重厚な物語を構成している本作は非常に興味深い。広く御薦めしたい。
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【感染症と戦う北里と外、その栄光と蹉跌!】民の命を守るため「医療の軍隊」を夢見た北里と外は、なぜ道を違えて対立したか。医師でもある海堂尊が描くライバル物語!
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