三井大坂両替店 の商品レビュー
顧客に貸付を実施するか否かを判断する際の信用調査票(聴合帳)が大変面白い。 聴合帳には、大阪三郷(今の中央区・西区を中心に北区南部・浪速区及び天王寺区北部辺りになるだろうか)の地名が頻出する。江戸時代の大衆社会や金融に関心がある方は勿論、大阪の歴史や地理に関心がある方にも楽しめ...
顧客に貸付を実施するか否かを判断する際の信用調査票(聴合帳)が大変面白い。 聴合帳には、大阪三郷(今の中央区・西区を中心に北区南部・浪速区及び天王寺区北部辺りになるだろうか)の地名が頻出する。江戸時代の大衆社会や金融に関心がある方は勿論、大阪の歴史や地理に関心がある方にも楽しめる一冊になっていると思う。 江戸時代の人々が自分と同時代を生きる人々に感じるし、三井グループの強さの源流を見た様な気がした。 喜久屋書店阿倍野店にて購入。
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三井大坂両替店は元禄四年に三井高利が創業した銀行業の先駆けだ。本書は膨大な史料からその経営手法を読み解く。繁盛の秘訣とは?
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※このレビューにはネタバレを含みます
<目次> 第1章 事業概要 第2章 組織と人事 第3章 信用調査の方法と技術 第4章 顧客たちの悲喜こもごも 第5章 データで読み解く信用調査と成約数 <内容> 江戸時代から続く「三井」。この中心の三井大坂両替店の活動の概要を示した本。三井文庫にある「三井家記録文書」は膨大なデータが残り、そこから読み取れる江戸時代の「両替商」の仕事があからさまになっている。データが細かすぎて、理解できないところも多く、専門書に近い内容か?第4章が面白かった。
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配架場所・貸出状況はこちらからご確認ください。 https://www.cku.ac.jp/CARIN/CARINOPACLINK.HTM?AL=01427087
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本書は、三井大坂両替店の「事業概要」(第1章)からはじまり、以下、第2章から第5章まで「組織と人事」、「信用調査の方法と技術」、「顧客たちの悲喜こもごも」、「データで読み解く信用調査と成約数」という構成となっている。一般読者向けの新書ではあるが、押さえるべきところは丁寧な説明がな...
本書は、三井大坂両替店の「事業概要」(第1章)からはじまり、以下、第2章から第5章まで「組織と人事」、「信用調査の方法と技術」、「顧客たちの悲喜こもごも」、「データで読み解く信用調査と成約数」という構成となっている。一般読者向けの新書ではあるが、押さえるべきところは丁寧な説明がなされており、経済史・経営史の専門家が読んでも興味尽きない一書となっている。また筆者は社会史的分析にも金融史の視角が重要であると述べており(エピローグ、pp.245〜50)、その点の意識も行論から垣間見られる。 第1章では、鴻池や加島屋がほとんど大名貸を中心とした業態であったのに対して、三井が「基本的に民間相手で、小口取引もおこなっていた」(p.10)点がとくに注意すべき点として指摘されている。もちろん大名貸を家訓で原則禁止していた三井が、幕府公金を扱う特権的商人であったことは忘れてはならない。であるからこそ、基本民間相手という商売の方法が際立つのであろう。そして、大坂両替店は「幕府公金を融資に転用するにあたって、幕府公金為替に偽装(正確には擬制)していた」(p.29。これを「延為替貸付」といった)。この興味深いシステムについてははじめて聞いた。ほかにも家質貸や質物貸もあったが、時代を下るにつれ「延為替貸付」が圧倒的に優勢になっていく(図8)。 第2章では奉公人の昇進と報酬のシステムが明らかにされており、事実上の長期雇用を促すための年功序列賃金制度が三井の人事システムに取り入れられていたことを明確にデータで示しているのが重要である(p.77「図16 奉公人が入店から退職までに取得する総所得のモデル)。なお本筋とは関係ないが、「天下の台所」という言葉が『大阪市史』の編者・幸田成友の造語であるということははじめて知った。宮本又次「平沼博士と幸田博士の『大阪市史』編纂」によれば、平沼淑郎(騏一郎は実兄。のち第3代早大学長)が大阪市助役時代にリクルートしたのが幸田で、のちに幸田は渋沢栄一の伝記資料編纂にも初代の編纂主任としても携わった。 閑話休題。第3章では金融業の肝である「信用調査」についてが詳述される。不動産や動産の担保価値をあらゆる面から調査し記録し、取引に役立てられた様子が描かれる。金融業者としては当たり前と言えば当たり前の業務ではあるが、それを史料に基づき明らかにしたことが本書の価値である。 第3章を受けて第4章では信用調査の結果、融資不可だった事例を中心に具体的に紹介されている。驚くのは住友などの豪商でも信用調査結果が芳しくなければ、融資を断っている点である(p.174)。江戸両替店では判断に迷っていたが、大坂では「好ましくない」との判断を下したということも面白い。またかなり幕末に近い時期だが経営不振に陥っていた加島屋(現在の大同生命などの源流である、髙槻泰郎編『豪商の金融史』に詳しい)に対しても公金横領の事実で融資を断っていることも長期取引がどの程度慣行として確立していたのかを考える上で興味深い事実であった。 第5章ではそうした融資対象となった顧客の業種が一覧で整理されているところ(p.214)がとくに目を惹いた。質屋、酒造が多いのは想像の範囲内の結果だが、問屋的なもの(いまで言えば専門商社)が多く見受けられる。まったくの想像だが綿布屋(46人)や紙屋(42人)、油屋(30人)などはそこを経由して生産者にも貸し付けられたのかもしれない。疑問なのは三井大坂両替店は融資に対していつも「受け身」だったのかという点である。つまり新たな融資先を営業部隊が開拓するということはなかったのか。本書ではその点がよくわからなかった。 エピローグでは上述した社会史、社会構造の解明と金融史の架橋について筆者の見解などが述べられている。自分自身の関心から言えば、幕末維新期に三井大坂両替店から政府への出仕も含めて人材流出があった点にもっと注目したい(本書でも宮本又郎先生の本を参照しての指摘だが)。通説的には明治政府の官僚は薩長土肥で占められていたわけではなく幕府官僚がリクルートされたことはよく知られているが、民間(この場合豪商)からの移動もあったということは重要だろう。
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著者はSNSにおいても積極的に情報を出していてそこでは細部にこだわる著者の気質を窺い知ることができるが、本書では特に第3、4、5部でそれを全面に押し出しているように見える。 教養書として読むような私のような一般読者には少々冗長に感じるところがあるが、学術書(学術書として立派な別...
著者はSNSにおいても積極的に情報を出していてそこでは細部にこだわる著者の気質を窺い知ることができるが、本書では特に第3、4、5部でそれを全面に押し出しているように見える。 教養書として読むような私のような一般読者には少々冗長に感じるところがあるが、学術書(学術書として立派な別の本も出版されているが)として評価するとその資料価値としては特筆すべきところがあり、著者の歴史学者としての資質を十二分に発揮していると言えるだろう。 本書ではまず三井両替店の生業である為替業の仕組みを説明している。これはある程度、金融の仕組みを理解していたらまあなんとなく理解できるが、初学者にとっては多少理解に時間がかかるだろう。 幕府との間で特権とも言える関係を気づいた三井家は、そこから生まれる余剰資金を民間融資によって利殖を稼ぐことに専念する。 私が感心したのは、三井家で奉公する従業員の動産(質物)の価値評価においてあらゆる質物を適切に評価することが出来たということである。 例えば、山崎豊子の不毛地帯では舞台の繊維商社において繊維の質を社員が見極める場面があるが、その技術の獲得には相当の時間がかかると見受けられる。同様に担保に供するあらゆる品物の見極めには非常に熟練の技がいると考えられるのは自然であろう。 当然、三井家の従業員のみだけで、価値の評価を行っている訳ではなく、潜在的なステークホルダーである専門業者との情報共有によってそれを実現していた訳だが、多かれ少なかれ三井の従業員にも鑑定眼を持ち合わせていたのだろうと思う。 なぜ潜在的なステークホルダーである専門業者との円滑な情報共有が可能だったかと言うと、言葉通り彼らは三井家に対して融資を申し込む可能性を秘めていたからであり?(ここ間違ってるかも)そこには大坂内での緻密な情報ネットワークが存在していた。 著者はこの当時の大坂の社会を窮屈な監視社会であると表現している。確かに現代の視点から見ると窮屈で、一般にイメージしがちな江戸時代の自由溌剌さとは趣が異なる。私も同意するが違ったアプローチで批判的な見当を考えてみたい(偉そう)。 大坂のプライベートがない窮屈な社会という視点は、前述の通りプライバシーという概念のある現代からの視点であり、同時代の江戸や、現代の極端なイスラム主義国家から江戸時代の大坂という都市を俯瞰してみるとまた違った視点を与えてくれるかもしれない。(江戸やイスラム国家は私は曖昧なイメージしか持ち合わせず間違っているのが前提である) まず江戸から見ていこう。幕府が設置されていた江戸は絶対的な存在として幕府があり、そして各諸藩の江戸藩邸、そして市井を生きる人々と明確な権力の構造があった?そこには幕府の合理性から生まれた理屈があり、それが絶対的な指針だったはずである。その権力構造に組み込むための権力側からの上からの強権的な政策や監視が存在していてもおかしくないだろう。そして不合理であるとしそれに抗う者は絶対的な権力からの制裁があったはずである。 強権的なイスラム国家にある宗教都市からも見てみよう。 そこには過去の慣習から生まれた時代遅れの規律があり、それを守らせる為政者からは不合理であっても厳格な取り締まりが行われる。これはどの時代においても宗教が勢力を誇る都市において見受けられるだろう。 この首都機能を持つ都市と宗教都市とで、権力から離れた、ある程度高度な自治を維持した商業都市である大坂と比べてみると、大坂は経済原理という合理性が持つ力によって都市が運営されていたことが分かる。それは窮屈であっても、損得勘定で動けばある程度満足する結果が生まれるという人々にとっては、ある程度納得させる道理があったと言えるかもしれない。 また当時の日本社会においてプライバシーという概念はなく、情報共有はむしろ貧しい社会の中で人々の効用を最大限にさせるための共同作業の面が強かったのではないだろうか。 現代社会に目を向けると、社会の高度な発展によりプライバシーという概念が産まれて久しい。一方、情報技術などの科学技術の進歩により不確実要素を取り除こうとしている。情報技術の究極の目的は個人情報の取得、応用だろう。今、我々の社会はこの立憲主義の基本であるプライバシーの守秘と情報技術の進歩と決して両立できない2つの概念?がせめぎ合っている。この岐路に経つ中で我々がどう生きていくかはそれぞれの良心に委ねるしかないのだろうか…
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