本地垂迹 の商品レビュー
・ 村上修一「本地垂迹」(ちくま学芸文庫)は書名だけ見て他は何も考へもせずに買つた。そして読んだ。一応は読み終へた。時間がかかつた。小説とは違ふ。さすが学芸文庫、専門書である。段落が長いのにも読みにくさはあるが、それ以上に内容が専門的であつた。かうなると私には分からな い。私の日...
・ 村上修一「本地垂迹」(ちくま学芸文庫)は書名だけ見て他は何も考へもせずに買つた。そして読んだ。一応は読み終へた。時間がかかつた。小説とは違ふ。さすが学芸文庫、専門書である。段落が長いのにも読みにくさはあるが、それ以上に内容が専門的であつた。かうなると私には分からな い。私の日本史の知識はほとんど教科書程度である。本書では奈良から江戸までを扱ひ、それは基本的に宗教史といふ内容であつた。 この宗教史といふもの、日本史の授業ではせいぜい誰が何宗を開いたといふ程度で、それ以上の詳細についてはほとんど触れてゐかなかつたと思ふ。そんな人間がこれを読んでも理解できるものではない。例へば空海の神道観、親鸞の神道観とかと言はれても分かるはずがない。何しろ知らないのである。知らなくても理解できるのならば苦労しない。全く私の想像外のことどもが並んでゐる。そんなわけで本書の詳細については理解できてゐない。何か理解できることがあつたのかと言はれると、これも当然心許ない限りである。それでも筆者は最後に本書のまとめを記してくれてゐる。このごく短い部分(410頁分の4頁!)だけでも、何か分かつた気になれさうな気がする。 ・私の本地垂迹に対する理解は末木文美士「文庫版解説 神仏の源流を求めて」の「2、本書の読み方」の最初にある、「本地垂迹は神仏習合の一形態であるが、仏が世界の中心であるインドから離れた辺地にある日本の衆生済度のために、在来の神の姿をとって現れたとする説」(441頁)に尽きよう。仏が神の姿を借りて衆生を救済するのである。「院政期頃に完成した形態では、それぞれの神とその本地となる仏の対応関係がほぼ一義的に確定され」(同前)てゐた。これは牛頭天王は薬師といふやうな関係(201頁)である。これは後に変化していく。本書のまとめの1に、「わが国にお ける本地垂迹説は、いうまでもなく、わが神祇と伝来の釈尊を関係づける理論として展開したものであるが、これを詳細に検討すれ ば、たんに神と仏の関係と単純に片付けられるものではなく云々」(416頁)とあるのは、「道教・陰陽道・儒教など、仏教と前後して伝来した中国固有の思想や宗教がこれに纏綿し、複雑な様相を呈しているのである。わけても初期における神仏関係に陰陽道が大きく媒介的役割を果した云々」(同前)といふことである。本地垂迹にはかういふ複雑な様相があつたのである。「密教の神秘的・呪術的要素は陰陽道や道教のこれと通ずるものがあって(中略)外来思想として受け入れた日本人には、その間あまり区別は意識」(同前)せずに受け入れてゐたといふ。言葉は悪いがごつた煮であらう。さういふ形で本地垂迹が形作られてきたといふ。私にはかうい ふ考へはなかつた。ごく単純に仏が神の姿を借りてといふだけである。さうではなく時代とともにこれも変はつてきた。それは2の、本地垂迹説は「広く伝播するに伴い、たんに上層知識階級や特定の宗教家達だけの宗教的知識に終はったのではなく、広く庶民の社会に普及し、彼らの日常生活にも入り込み、これが信仰の実践につながった」(417頁)といふことにも関係してゐよう。それに関はつたのは「修験者・説経師・高野聖(中略)その他民間の芸能者たちであった」(同前)となると、本地垂迹とは何だと考へてしま ふ。だからこそ幕末明治期に神仏分離の運動が起きた。所謂草莽の国学も、一般庶民の間に本地垂迹が生きてゐたからこそ生まれた動きでもあつたはずである。芸能者達は様々なことを伝へてそこに生きた。どのやうに広く見ても、私の知る本地垂迹とはその程度のものであつた。奥は深い。
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最近、日本の宗教の歴史に関心を持ち始めたのだが、中でも神道と仏教の関係、神仏習合のことを知りたく思っていたので、本書を読んでみた。 <参考になったところ> 〇本地垂迹説のそもそもの起源として、仏教教学において、権現・化身という権実(権は仮、実は真)思想により、歴史的な釈迦...
最近、日本の宗教の歴史に関心を持ち始めたのだが、中でも神道と仏教の関係、神仏習合のことを知りたく思っていたので、本書を読んでみた。 <参考になったところ> 〇本地垂迹説のそもそもの起源として、仏教教学において、権現・化身という権実(権は仮、実は真)思想により、歴史的な釈迦と超越者の仏陀についての教理的な説明がなされたこと。(17頁) 〇律令国家完成期に至る神仏両信仰に、陰陽道が関係していること。(三章) 〇神仏習合の具体例(五章ー十章) ・八幡宮 ~宇佐八幡宮、石清水八幡宮 等 ・御霊信仰 ~御霊会、牛頭天王と祇園社、天満天神信仰(北野天満宮等) ・修験系 ~蔵王権現(吉野・金峯)、熊野三山 〇鎌倉新仏教と神仏習合の関係(十一章、十二章) 〇縁起譚と習合文芸(十三章) ・本地垂迹思想が基盤となっている『神道集』、その中の甲賀三郎伝説の紹介(名は知っていたが、こんなお話だったのか!) 〇神影図と習合曼荼羅(十四章) ・取り上げられている画像がやや見づらいが、図柄、描かれているものが何なのか詳しく説明されており、神仏習合の表現について知ることができた。これからは注意して見てみたい。 ここまはそれなりに理解できた。しかし、十五章以下の天台の神道、真言の神道で、それまでの仏本神迹が神本仏迹へ転換したことについて、かなりのページを割いてそれらの神道論が説明されているのだが、どうしてそのような転換が生じたのかは、良く分からなかった。公武対立や元寇によって神国思想が活発化し、仏家をして神道の再認識を余儀なくさせたという外的要因のことはともかく、思想的な根本的要因は”本覚門思想”の興隆にあると著者は言う。その本覚門思想が??だった。 ・天台教学 →山王一実神道 ・真言教学 →両部神道 ・吉田神道(唯一神道) 本書では、本地垂迹とはどのようなものだったのか、上層階級から庶民がそれぞれどのようなイメージで信仰していたのか、(現代にいう)文芸や美術にいかなる影響を及ぼしたのかなど、その全体像が総合的に論じられている。自分の能力不足から、終盤の論述に付いていくことはできなかったが、とりあえずその歴史的展開を知ることができたことで、ひとまずは良しとしよう。いつか再チャレンジしてみたいものだ。
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