わたしの名前はオクトーバー の商品レビュー
森育ちで社会性が育っていない少女オクトーバーが、同居する父の怪我をきっかけに街暮らしの母と一緒にロンドンに住み、成長していくお話。 地の文がオクトーバーの独白のような表現で、彼女の生の感情が伝わってくる。周りの大人たちが良い人ばかりで、現実において子供と向かい合う大人はかくある...
森育ちで社会性が育っていない少女オクトーバーが、同居する父の怪我をきっかけに街暮らしの母と一緒にロンドンに住み、成長していくお話。 地の文がオクトーバーの独白のような表現で、彼女の生の感情が伝わってくる。周りの大人たちが良い人ばかりで、現実において子供と向かい合う大人はかくあるべしというのを暗示しているのかな。 結末は、言ってしまえばある種の予定調和的とも言えるかもしれませんが、私はこの物語の持つ穏やかな優しさが好きです。 それと、学校で映画を観る場面があるのですが、「その子の名前をぬすみたい魔女から両親をブタに変えられてしまった女の子の物語に夢中になる」という一節がありました。これって……。
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_わたしたちは森に暮らしていて、わたしたちは野生だ。_ まもなく11歳の誕生日を迎えるオクトーバー。父さんと森にくらしている。母親とかいう人は、彼女が4歳の時に森を出ていった。 嵐のあと父さんと森の点検をして回るうちに美しいフクロウの凍りついた死体と、近くに赤ちゃんフクロウ...
_わたしたちは森に暮らしていて、わたしたちは野生だ。_ まもなく11歳の誕生日を迎えるオクトーバー。父さんと森にくらしている。母親とかいう人は、彼女が4歳の時に森を出ていった。 嵐のあと父さんと森の点検をして回るうちに美しいフクロウの凍りついた死体と、近くに赤ちゃんフクロウを見つける。 人が自然のものに手を出すのはいけないというのが父さんの教えだが、小さなフクロウはオクトーバーによって救われる。初めての友だちだ。仕方なく父さんは育てかたを指南してくれる。本ならドッサリある家なんだ。 オクトーバーは学校にも行かない。必要な物を街に買いに行けば、2人は当然変人扱いだ。 でも、どちらが変なのだろうと思う。 コンクリートとプラスチックでできた街の喧騒や無駄な光は狂気だ。自然の音と闇と豊かな光に包まれるオクトーバーにとっては。 オクトーバー、オクトーバー。 彼女の誕生日に母親とかいう人が訪ねてくる。 あの人には触られたくない。 オクトーバーはこの人を憎んだまま11歳になってしまった。そして、大変なことが起きる… 街で暮らさざるを得なくなったオクトーバーが、学校に通い始める。もちろん最初は酷いものだけど、森での知識はオクトーバーを助け、この変わった子をおもしろいと思える友人を得る。 オクトーバーは宝物から物語をつむぎ、父さんに話して聞かせることが大好き。テムズ川に連れて行ってもらったことから、森での宝物とテムズ川の宝物が共鳴してゆく。。。 イギリスの歴史の中にテムズ川の泥ヒバリ と呼ばれた人たちがいたことを初めて知りました。 小さなフクロウ 父さん 母親とかいう人 指環 友だち 泥ヒバリ 森の家 自然へのリスペクトに背筋がのびるような気持ちと、とってもあったかな人たちにおおらかにつつまれた時間でした。
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詩的な文章が美しい、素敵な物語。 自分を置いていった母親への激しい怒りや、父親への罪悪感。 11歳の身に大きすぎる感情を持て余す主人公に心が痛みました。 環境の変化に戸惑いながらも素直な表情を見せるオクトーバーは、とても可愛らしくて賢い子だと思います。 困ったらすぐ逃げ出し...
詩的な文章が美しい、素敵な物語。 自分を置いていった母親への激しい怒りや、父親への罪悪感。 11歳の身に大きすぎる感情を持て余す主人公に心が痛みました。 環境の変化に戸惑いながらも素直な表情を見せるオクトーバーは、とても可愛らしくて賢い子だと思います。 困ったらすぐ逃げ出したり、言葉が追いつかずにかんしゃくを起こしたりしていたけれど、友達や大人たちに見守られ、自信をつけていきます。 前向きなラストがとても清々しく、新しい環境に向かう時期に読むと勇気をもらえそうです。 ※表紙のオクトーバーは髪が長いけど「父さんが料理用のはさみで短く切ってくれた」とあるし、内容は性別に触れる表現がほとんど無いので、もっと中性的にしてほしかったなと思います。
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歌うような主人公の心の描写が、紡がれていく物語の中で変化していく微細な心の動きに合わせて素敵に描かれている。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
森で、父親とふたり、真に「野生」の暮らしをしているオクトーバー。11歳になるけれど、学校に行ったことはなく、年に1度か2度町に行って必要なものを買い出すだけで、人と交わったことがない。母はオクトーバーが小さいとき、森の暮らしを断念してロンドンに行ってしまった。だからオクトーバーはその人のことを「母親とかいう人」と呼んではげしく憎み、手紙がきても封を切ろうともしない。 ところが11歳の誕生日の日、その母親が、どうしても会いたいからといって、車で森に乗り付けてきた。オクトーバーは逃げ出して高い木に登ってしまう。そのとき……。 思いがけない事故によって、「母親とかいう人」とロンドンで暮らすことを余儀なくされるオクトーバー。森で助けて面倒を見ていたフクロウも、保護施設に預けざるを得ない。しかも生まれてはじめて「学校」というものに通わされる。何もかもがいやでたまらないけれど、学校の友だちが意外と親切で、固く閉ざされたオクトーバーの心の扉が少しずつひらきはじめる……。 何かにつけてパニック発作のように爆発してしまうオクトーバーは、引きこもりの人を想起させる。自分のいけないところ、欠けているところをするどく自覚しながらも、心理的に距離がある(しかし身近にいる)母や、大好きな父にまでひどい言葉を投げつけたり、物理的に家のなかのものを投げつけて荒れてしまう。その様子は、引きこもりの若者の家庭内暴力とすごく似ている。 そんなオクトーバーの心情が「意識の流れ」のような途切れのない文体で描かれているのだけど、わたしはむしろ、母親や「泥ヒバリ」クラブのケイト先生の視点で読んでしまった。それはきっと年取ったからでもあるし、そういう家族の気持ちが少しわかるからでもあるかな。彼女たちの忍耐強さは特筆もので、「引きこもりの家族はかくあるべし」という姿勢なのだ。そうやって、ずっとオクトーバーを受容しつづけたことで、心の扉がひらいていったのではないか。 そういえば、原書で読んだ ナターシャ・ファラントのThe Rescue of Ravenwood も、やはり娘が森の暮らしが気に入ってしまって、両親の住む都会の家に帰りたがらず、けっきょく両親と別居生活になるという話だった。 森の暮らしが高潔で、都会で暮らすのが劣っているとはぜんぜん思わない。どの場所が自分の心にぴったりはまって、暮らしていきたいと思えるかというのは、やはり人それぞれで、誰からも強制されることなく選べるのが「自由」というものなのだろう。ただ、自分が選ばなかった場所のこともよく知って、受けいれられるようになったほうが幸せなわけで、そういう人間らしさみたいなものを感じさせられる読書だった。
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