凡人のためのあっぱれな最期 古今東西に学ぶ死の教養 の商品レビュー
妻が動揺せず平常心で亡くなったことをきっかけに、なぜ彼女は穏やかにいわゆるあっぱれな最後を迎えることが出来たのかを、古今東西の本や歴史の思想から紐解こうとした本書。 しかしながら所々で知識のひけらかしに思えるところや家族だけで共有しておいてほしい話などがあり、途中で読むのを辞め...
妻が動揺せず平常心で亡くなったことをきっかけに、なぜ彼女は穏やかにいわゆるあっぱれな最後を迎えることが出来たのかを、古今東西の本や歴史の思想から紐解こうとした本書。 しかしながら所々で知識のひけらかしに思えるところや家族だけで共有しておいてほしい話などがあり、途中で読むのを辞めようと思ったが、途中で重要と思う概念があり、それを軸に読了した。 穏やかに最後を迎えたいのであれば、自分を特別な存在と思わない事。自分が特別で優れていると思うほど、それを手放すのが恐ろしくなり縋りつきたくなる。 それというよりは野山でひっそりと咲き枯れる菫のように生きる事。 これにはなるほどと納得した。
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祖父が亡くなったこともあり、何かに縋る思いで手に取ってみた。 著者の奥さんが亡くなる描写はリアルで、少ししんどくなった。 内容は、奥さんの紹介がほとんどで、読み物としては面白かったが、求めていたものはあまり書かれていなかった。 一方で、自分を特別と思わなない、ということは大事だと思ったし、大きな気づきを得ることができたと思う。 以後の生活に活かしていく。
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最近、死ぬとき私はどうしているか、どう死に近づいていくか、を考えることが多い。妻を亡くした音楽評論家が、「妻はどうしてあっぱれな最後を迎えることが出来たのか」を解きほぐしていく。 怒りっぽく、人に文句を言うことをためらわない性格だった妻。その妻が人に精神的な負担をかけず、逍遥として死を迎える。 中盤の、哲学的、音楽的な死の分類は本筋とは少し離れ冗長さを感じた。 また、抗がん剤治療で意識が混濁しコミュニケーションが取れないこともあったが抗がん剤治療を止めると正常に戻る、というところ、深く考えさせられた。これが私だったら…?
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家族がガン闘病中につき、読破。 著者の妻が癌にて逝去し、 妻の死に方について、および「死」について考察している本です。 読む限り、私でも 著者の妻はすごくあっさりとされていた印象でした。 人間、そんなにあっさり逝けるものなのかと思うくらいです。 そして読みながら著者の妻の性...
家族がガン闘病中につき、読破。 著者の妻が癌にて逝去し、 妻の死に方について、および「死」について考察している本です。 読む限り、私でも 著者の妻はすごくあっさりとされていた印象でした。 人間、そんなにあっさり逝けるものなのかと思うくらいです。 そして読みながら著者の妻の性格等を考えると 天国で著者は怒られるのでは?(笑) と私自身感じましたが、著者も言及していてそこはとても印象的でした。 まぁ死に方に正解はないだろうし、 「死」についての受け止め方も人それぞれなんだな… というのがこの本を読んで感じたことです。
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あっぱれな奥様だったのだと思う。 年取って病を得たりして身近になってきた死について考えたり、無くなった奥様が同年代だったりしたこともあったので、久々に小説以外のものを読んでみた。 国、時代、宗教、哲学…色々な考え方、結局、生き方に対する考えや思いが、そのまま死の受け止め方に繋がる...
あっぱれな奥様だったのだと思う。 年取って病を得たりして身近になってきた死について考えたり、無くなった奥様が同年代だったりしたこともあったので、久々に小説以外のものを読んでみた。 国、時代、宗教、哲学…色々な考え方、結局、生き方に対する考えや思いが、そのまま死の受け止め方に繋がる、まあ、当たり前といえば当たり前だけど、そんなことを思った本だった。 さて、私はどんなふうに生き、筆者の奥様のようにあっぱれに死にたいのか? ちょっと考えるきっかけにはなった。 そして、後書きにもあったけど、奥様、ぷんぷん怒ってそうですねwww 私とは友達になれそうにない性格の奥様、でも家族みんなにはとても愛されてたんだなあと、ちょっと難しい内容ながら、ほっこりしてしまった。
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あっぱれな最期。 つまり潔く死に臨むためには、極めて大雑把にまとめると、自分などちっぽけな人間だと自覚し、自然の流れを感じながら身の丈に合わせた暮らしをすることと言えると思います。 人間はもちろん、生物は必ず死ぬ。 生き切ったのだから当然と言う自然な流れを、受け入れることが出来...
あっぱれな最期。 つまり潔く死に臨むためには、極めて大雑把にまとめると、自分などちっぽけな人間だと自覚し、自然の流れを感じながら身の丈に合わせた暮らしをすることと言えると思います。 人間はもちろん、生物は必ず死ぬ。 生き切ったのだから当然と言う自然な流れを、受け入れることが出来ると言うことでしょうか。 かつて別の本で、医師である著者の方が患者さんに、死とは何ですか?と訪ねたところ、「変化だよ」と即答されたと言う話を思い出しました。 生と死の研究は、本書でも紹介されていますが無限の考え方が古くからあります。 誰も答えを知れないこそのことですが、それらを読めば読むだけ、死後には何も残らないのかもと、悲しい気持ちに僕はなりました。 僕は、死後何かしらの世界があると考えています。 そこには死を恐れる気持ちがあることを、読みながら気付きました。 何も無くなるなんて、悲し過ぎます。 しかしこの考えの根底には、僕は特別であり死ぬなんてもったいないと自惚れているのかも知れません。 よく、(僕は)自分が可愛いもんねと指摘されます。 僕の自意識がこうさせたのかと思うと同時に、自意識を膨らませる装置の多いことよ!と責任転嫁してしまいます。 そこから距離を取るのも、潔い死には有効と思いました。 死に自然に移れる生き方。 もちろん身の回りだけは誠実な態度を取ることは忘れずに、心掛けたい。 こう思いながらも僕は、やっぱり死は今のところ恐れてしまうのです。
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