かわいいピンクの竜になる の商品レビュー
強い意思と共に、苦しみながらも自分自身として生きていく姿は格好良くて、そしてとてつもなくかわいい。まさしくタイトルそのものの姿を体現されていて、どのエピソードも勇気づけられる。
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表紙のイラスト、どんなポージングか分からずに二度見してしもた。 川野先生、アセクアロマの人なんか…なるほど…。 好きなものと自分自身の指標にまっすぐな人なんだなあと実感。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
著者の文体やモチーフが好きなのだけれど、短歌も小説も、どうして姓にまつわるはなしが多いのだろう、それもひどく生々しくて、身に覚えがありすぎて、苦しくなるようなものが。と思っていたところ、エッセイが出ていたので読んでみた。 「女の子らしい」「かわいい」服装=「男性から性的対象として見られたいと思っている」ように見られる。だからと言って、 「男性から性的対象として見られたくない人がみなかわいい服を着ることを避けたら、結果的に「かわいい服を着ている」=「男性から性的対象として見られたい」 が成立してしまう。それはなんとしてでも阻止しなければ、かわいい服だってかわいそうではないか。」 こんなにも性を意識せざるを得ないのは、著者が他者からそう見られがちだから、なんだろうなあ。 「最果ての実り」という小説は、ほぼ実体験だったりするのだろうか。 それは、きっと辛いし怒りも覚えるだろう。 読んでいて思い出したことがたくさんある。 たとえば、私は、若い頃とても痩せていて、胸も全くなくて(今もないが)、職場でそれをいじられて「たいら」って呼ばれていた。すごく嫌だったし、今思えばものすごくセクハラだなあ、と。ただ、別に「たいら」なのは嫌いじゃないし、どちらかというと気に入っている。 それをあるように見せる必要は感じない。 読んでいて思い出した友人たちもいる。 化粧は「身だしなみ」としてするものではなく、「変身するため」にするものだと言っていたひと。 自分の個展のためにウェディングドレスを借りたひと。 自分が感じたことのある「性」に対する違和感や、話の通じなさが言語化された、と思う部分が、とても多かった。 同時に、さっぱり分からん…と思う部分も、たくさん、あった。 「美しいと思うことはつねに対象への搾取である」 このような視点は持ったことがなかった。まだ咀嚼できていないので、心に留めておきたい。 作中に出てきた映画や本は触れてみたいと思った。ロリータブランドもいくつか検索してみた。自分では着ないけど、見るのは好き。 作者の文体や世界もやはり好き。 何かにつけ、思い出す本になるだろうな、と思った。
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ロリータファッションへの愛が伝わってくるだけでなく、女の子や男の子、女性や男性で包括される捉え方に警鐘を鳴らしている。まず自分であることにこだわり、それを支えている戦闘服としてのロリータファッション。面白い。 かわいいは男性が女の子を搾取している言葉というのも納得。
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ロリータファッションがテーマにあるとの事で読みました。が、作者の方とジェンダー観が違いすぎて終始あまり理解が出来ませんでした。
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服の趣味は違っても、自分と感性が似た人の文章だなと思った。 私は女性らしさ(というのをオフィスカジュアルみたいな、無駄に機能性と色鮮やかさが足りない抑えめな雰囲気、と定義して)を纏わない「かわいい」服が好きで、そういう服は大体世間一般からすると奇抜で理解の範囲を超えていてうまくい...
服の趣味は違っても、自分と感性が似た人の文章だなと思った。 私は女性らしさ(というのをオフィスカジュアルみたいな、無駄に機能性と色鮮やかさが足りない抑えめな雰囲気、と定義して)を纏わない「かわいい」服が好きで、そういう服は大体世間一般からすると奇抜で理解の範囲を超えていてうまくいくと性別二元論まで超えてくれるからノンバイナリーの自分にとってすごく都合がいいんだよね。という感覚とこの人は似たものを持っているなと感じた。 全然興味ない他人に気に入られる気持ち悪さについてもかなりこの本では触れられてて、フラッシュバック注意だけど読めてよかった。 以下、気になった部分抜粋。 "私もそんな、誰かの青春をいろどるために摘み取られるのを待っている花のひとつに数えられた。多くのアプローチを受けたし、恋愛的なアプローチというのは、ストーキングやDVや性暴力と一直線で繋がっている。 その中でもある同級生から受けたアプローチは、性暴力すれすれ、というかもう性暴力だったと言ってもよいと思う。p56" →私の中で恋愛的なアプローチが加害に繋がっていることを言及してくれる人にあまり出会えていなくて嬉しかった。未だに「好意」はありがたく受け取らなくちゃという嫌な固定観念が残ってる。 "私が私を裏切った、と思った。私が私を売った。やめてよ、と言いながらあいまいに笑っていた私が、私を彼に差し出した。 私一人のものであったはずの私の意思が、書き換えられた。 自分が、汚れてしまった。と私に何より感じさせたのはそのことだった。 私は、私をもう、信じることができない。p60" →自分の意思が全く尊重されないことで自己有用感が損なわれることを如実にあらわしているなと思った。 "そんな日々の果てに、私は興味のあるものにしか興味を持てないという結論に達した。視野の狭い子供だと言われようと、「みんな」―と称する誰か―が興味を持っているものに自分も興味を持たなければいけないのだろうかと頭を悩ませるのをやめた。ほんとうは興味を持てないものに興味を持とうとすると、自分という指標を見失うし、付け込んでくる人がいるのだと知った。p141" →社会は必死に迎合を迫ってくるけれど皆なれるものにしかなれないんだなっていう当たり前の話を当たり前にしてくれて嬉しかった。 "「人間」と「人間でないもの」の線引きを批判することなく、自分たちも「人間」の枠内に入れてくれと主張するだけでは、差別の構造そのものは変わらない。なぜ「人間」なら保護されるべきで、「人間でないもの」への暴力は許されるのだろう?人間による、動植物に対する虐殺や搾取、侵害がこんなにも苛烈な世界で、「人間」と「人間でないもの」の差別を当然と見なし続けること自体を、問題視するべきではないか?p203" →LGBTQ+を擁護しようとして「愛は美しい」と言うことでAro/Aceの存在を無視することになったり、ジェンダー規範に当てはまらない人を「トランスのフリした性加害者」として悪魔化することで差別していい人としない人とを分断することがある、という文脈でのこの話だった。攻撃したり貶めていい相手なんて存在しない。というのがなかなか共通認識になりにくい。 "自分の身体を、肌を、「自然」な状態ではあり得ない色、あるいは生まれつきではない色に変えるのが、私にはとても楽しい。 きらきらに彩った瞼は鱗みたいだ。 血の気を全部消して、生者であることから自由になる。 真っ黒な唇で魔女になる。 白い睫毛で雪の妖精になる。 私は人間であることから解き放たれて、夢の存在になるためにメイクをしている。p212" →自分と化粧の動機が一緒で嬉しくなった。自分以外の自分になりたくて化粧してる。
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自分も小学2、3年生の時にスカートが履けなくなったことがあった。幼稚園は制服だったから服装を自分で選べるようになったのに、服を着る自由は何かに抑制されていた。それは女の子に見られたくないという抵抗でもあり、ぶりっ子に思われたくないという規範への順従でもあったのだと思う。 今はユニ...
自分も小学2、3年生の時にスカートが履けなくなったことがあった。幼稚園は制服だったから服装を自分で選べるようになったのに、服を着る自由は何かに抑制されていた。それは女の子に見られたくないという抵抗でもあり、ぶりっ子に思われたくないという規範への順従でもあったのだと思う。 今はユニセックス的な楽な服装が好きだけど、スカートは履くし、ヒールはなるべく履かないという風に好きに格好を選べている。 ただ自分を可愛いものに仕立てたくて服をコーディネートするというより、機能的でかつ人とあまり被らないということを基準に選ぶことが多い。(機能的なものは量産的で服選びはけっこう難しい。) だからこそこの本の服の選び方、自己表現論は新鮮だった。 矛盾が悪いとは思わないが、作者は自分をファンタジアな存在や無になりたい気持ちと自分のこと(容姿)を可愛いと思う気持ちはどうやって両立させているのかいまいちわからなかった。自己肯定感が高いようにも自分に関心がないがゆえにマイナスな感情を伴ってないようにもとれる。 そして、自分のことをかわいいと思っている(思えている)作者の矜持、ナルシシズム的な描写に多少の嫌悪があり、自分の未熟さを痛感させられた。フラットで良い人間でありたいのにそれに相反するリアルな気持ちがあり苦しい。この気持ちを解くにはどうしたらいいんだろう。 ジェンダーの問題提起や異性愛規範に感じる違和感、差別的な経験には同意できるけど、倒すべきは敵の思想で、敵は救うべき相手でもあることをその厳しい眼差しからは感じなかった。批判と連帯を同時にやっていく難しさも感じた。 それでもまずは弱い立場の解放が優先だと言うのも理解できる。 作者のように疑問を表し強い抵抗を実行できる人たちが今喫緊の存在なんだろう。 同じアセクシャル寄りの方だけど人柄は少し苦手に感じた。好きではないけど理解はできるし共感もできる奇妙なエッセイだった。
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図書館の本⑥ 自分もロリータファッションに興味があるし、身を包んだ経験もあったため、装飾表現がたくさんある文章は心がときめいた。また、アセクシュアルである著者は女性として消費されたくない思いとは逆に、可愛くて美しいものを身につけたい欲は矛盾しているのではないかという葛藤が垣間見...
図書館の本⑥ 自分もロリータファッションに興味があるし、身を包んだ経験もあったため、装飾表現がたくさんある文章は心がときめいた。また、アセクシュアルである著者は女性として消費されたくない思いとは逆に、可愛くて美しいものを身につけたい欲は矛盾しているのではないかという葛藤が垣間見られた。 可愛い可愛いって褒めるくせに、「自分のことを可愛いと思っている」とマイナス的な意味で言われる矛盾(自分のこと可愛いと思ってますけど?)。ピンクが好きだと公言すると「ぶりっ子」。可愛いね好きだよって寄ってきて、性的に消費した挙句最後まで大切にしてくれなかった恋人。異性や周りからの視線を、受け付けない、性的な消費を肯定させない象徴として「妖精」や「人形」になりたいという思いはとても共感できた。 自分のことをよく理解している人間が書く文章は、はっきりしているし迷いがなく、自分と似ている思考や趣味、世界観があったので読んでて頷けるところがあった。「性」やそれに関する世間の歪みについてよく考えさせられる本だった。 ファッションについての記載が多いので、興味がない人にとってはその部分の内容は薄く感じるかもしれない。
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こんなに自分の気持ちを表現できたらおもしろいと思った。ファッションに興味は持てなかったので、思考を中心に読んだ。思考回路の分析がとてもおもしろかった。自分もできたらなと思う。
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2024年2月 最初のほう、著者のロリータファッションへの愛が語られていて、引き込まれた。 自分の世界を大切にし自分のいいと思ってファッションに身を包む。今の日本でロリータファッションと聞いて、男ウケのためだと考える人はほぼいないだろう。究極の自分ウケ。 あとこのエッセイの魅力は...
2024年2月 最初のほう、著者のロリータファッションへの愛が語られていて、引き込まれた。 自分の世界を大切にし自分のいいと思ってファッションに身を包む。今の日本でロリータファッションと聞いて、男ウケのためだと考える人はほぼいないだろう。究極の自分ウケ。 あとこのエッセイの魅力は著者自身が自分のことをかけがえのない特別な存在だと理解していることだと思う。
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