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戦争語彙集 の商品レビュー

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13件のお客様レビュー

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2024/10/07

戦争の体験は、一人ひとりが言葉に抱く意味を変えてしまう。 前半は、ウクライナの詩人が実際に避難者の支援をしながら聞き取った証言たち。あらゆる証言に一切の優劣をつけることなるフラットに並べ提示する。マドレーヌ、ニュース、悦び、スイーツ、ゴミ、記事などの語彙にまつわる証言がとくに、...

戦争の体験は、一人ひとりが言葉に抱く意味を変えてしまう。 前半は、ウクライナの詩人が実際に避難者の支援をしながら聞き取った証言たち。あらゆる証言に一切の優劣をつけることなるフラットに並べ提示する。マドレーヌ、ニュース、悦び、スイーツ、ゴミ、記事などの語彙にまつわる証言がとくに、戦時の人々の人生や心の置き方として強く印象に残った。 「(…)その時に気づくんです。何もかも、以前とは違うのだと。朝ご飯も、犬の散歩も、表面や膜に過ぎないのだと。では、膜の内側にはいったい何が入っているのだろう?戦争が始まる前にそこにあったものは、一体何だったのだろう?」 (ニュース p.77) 「わたしの家も、この街も、置いていけばゴミになるの?そもそも、そんなことを考えている場合なの?」 (ゴミ p.93) 後半は、ロバート・キャンベルさんが実際のウクライナに入って、詩人や実際に避難を経験した人たちに会って聞いたこと、見たもの、感じたことがエッセイとして書かれている。前半の断片的な証言の奥行きを理解し、立体的にその経験を想像することができる。 その中で、日本からの人たちが無邪気に言う「平和」を求める言葉の数々が、ウクライナの人たちにある種ネガティブに受け止められる場面がある。 「ふわっとした着地点の見えない『平和』では、むしろわたしたちの言語も文化も、わたしたちの生命すら脅かされかねないからです」(p.175) 日本の平和思想と、まさにいま侵略されている国の避難民の現実は一致しえない。私は国際政治においてはどちらかというとリアリズムの立場を取るので、無条件な平和思想には同意できない。前者に基づく言葉は、戦地において空虚に響くだろう。しかしだからといってどちらかをお花畑、どちらかをリアリズムと切り分けるのではなくて、日本において平和思想が根付いた背景も軽んじるべきではないと思う。キャンベルさん自身も、エッセイの中でどちらかが正しいと結論付けることはしてない。 いまのわたしたちは同じ現実を生きているわけではないからこそ、現地での経験をきちんと知らないといけないと思う。

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2024/07/24

言葉がシェルターになる。 戦争・侵略は、言葉の意味を変える。 避難してきた方々から、溢れでる言葉から、感じ、想像する様々な感情、風景。 そして、単なる語彙集とせず、現地を訪れ、その語彙の周りも丁寧に取材され、記録されたロバートさんの手記で、その語彙の奥行きが深まる。 この語...

言葉がシェルターになる。 戦争・侵略は、言葉の意味を変える。 避難してきた方々から、溢れでる言葉から、感じ、想像する様々な感情、風景。 そして、単なる語彙集とせず、現地を訪れ、その語彙の周りも丁寧に取材され、記録されたロバートさんの手記で、その語彙の奥行きが深まる。 この語彙集は、本望では無いにしろ、続巻が出るのだろう。そして、必ず読む。他人事ではなく、隣人のこと。

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2024/06/22

戦地から避難してきた人々の証言で集めた言葉をまとめたもの。悲惨な話、ユーモアのある話、詩的な話と色々あった。私はきっとこれから祈る度に、占領地を脱出する際にイスラム教徒の女性に祈り方を教わって一緒に祈った人のことを思い出すと思う。 …とはいえ、訳者の旅行記パートによって全体的にあ...

戦地から避難してきた人々の証言で集めた言葉をまとめたもの。悲惨な話、ユーモアのある話、詩的な話と色々あった。私はきっとこれから祈る度に、占領地を脱出する際にイスラム教徒の女性に祈り方を教わって一緒に祈った人のことを思い出すと思う。 …とはいえ、訳者の旅行記パートによって全体的にあざとい作りになってしまった感は否めない…

Posted byブクログ

2024/06/17

2022年2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻を始めた。 普通の暮らしを営んでいた人々は戦火に見舞われた。危険の中、留まる人もいれば、ウクライナ西部へ、さらには国外へと逃れた人もいた。いずれにしろ、それまで築いてきた家や財産を奪われ、将来設計を覆され、先の見通しが立たない絶望...

2022年2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻を始めた。 普通の暮らしを営んでいた人々は戦火に見舞われた。危険の中、留まる人もいれば、ウクライナ西部へ、さらには国外へと逃れた人もいた。いずれにしろ、それまで築いてきた家や財産を奪われ、将来設計を覆され、先の見通しが立たない絶望の淵に立たされた。戦闘そのものがいつ終わるのかもわからない。 そうした中、西部リヴィウに逃れてきた人々の支援活動を行っていたウクライナの詩人、オスタップ・スリヴィンスキーがいた。彼は避難者の世話をする傍ら、彼らの話を聞き取り、一話一話を書き留め、文芸ドキュメントとした。書籍は2023年5月にウクライナで刊行されたが、それに先立ち、原稿がインターネット上で公開された。この一部が英訳され、ネットニュースとなった。 これに目を留めたのが本書の訳著者であるロバートキャンベルである。キャンベルは著者スリヴィンスキーと連絡を取り、邦訳の許可を得た。さらに、戦時下のウクライナを訪ね、著者や証言者に実際に会うことにした。23年6月の2週間余りの取材の様子は、テレビ番組(ETV特集『戦禍に言葉を編む』)としても放映されている。 本書は二部構成で、前半がウクライナ語で刊行された『戦争語彙集』の邦訳(英訳からの重訳)、後半が「戦争のなかの言葉への旅」と題するキャンベルのウクライナ訪問記である。 『戦争語彙集』は、1つ1つの言葉から想起される、それぞれの避難者の短い「物語」で構成される。 「バス」「スモモの木」「おばあちゃん」「痛み」「稲妻」といった普通の言葉が、戦時下ではどんな意味合いを持つのか、持たされてしまうのか。 例えば、普段なら車についている「ナンバープレート」は、砲撃された車から見つかった身元不明の遺体の墓標となることもある。埋葬後、遺族が探し当てる目印となるように。 例えば「星」。夜空にきらめく星ではない。窓ガラスが砕け散るのを防ぐため、縦横斜めに張られたテープ。朝の光を浴びると壁に星のように映る。 例えば「猫」。あるおばあさんは大事な猫をキャリーバッグに入れて避難しようとしていた。ところがあまりに大きすぎ、非難の妨げになっていた。一緒にいた女性は置いていくよう説得し、おばあさんは泣きながら置いていく。猫とおばあさんは再会できたのだろうか。 後半の「戦争のなかの言葉への旅」では、断片的な物語の背景が描き出され、物語が立体的に立ち上がってくる。 ある人は駅でボランティア活動に携わり、ある人はシェルターの中で日々を送り、ある人は変わり果てた街の眺めに心を痛めた。 そうした中、避難場所となった人形劇場で上演が再開される。大学では、文学について講義が行われ、学生たちが討論を交わす。画家は美しい花の絵を描く。 誰かが語る物語は、聞き手を得て、その人を癒すだろうか。 演じられる劇は、人々が前を向き、明日へ進んでいく力を与えるだろうか。 絵画は、音楽は、ひとときの癒しを与え、安らぎをもたらすだろうか。 決して声高ではない、しかし切実な言葉たち。 それらは人々に思いを伝えるだろう。 その思いが広がり、戦争を止める術につながればよい。 そうなれば本当によいのだけれど。

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2024/05/06

ロシアに侵略を受けたウクライナ、市井の人々の体験、ロバートキャンベル氏の思索。言葉の持つ力、言葉は第二のシェルター。戦争解説ではなく、イデオロギーはまったくない。ウクライナの人々・戦争被害者の困難な状況、戦争の終わり・平和、はつまり勝利への思いが言葉で伝わる。

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2024/05/11

作品紹介にある通り、ウクライナ戦争により心身共に傷ついた市井の人々の生の声を元にした詩だ。 ニュースやドキュメンタリーとは異なり、直接心に響く。 後半はロバートキャンベル氏が、実際に詩の元になる証言をされた方々との会話を中心に、その心情に触れる。 食べもの 東部地域からやってき...

作品紹介にある通り、ウクライナ戦争により心身共に傷ついた市井の人々の生の声を元にした詩だ。 ニュースやドキュメンタリーとは異なり、直接心に響く。 後半はロバートキャンベル氏が、実際に詩の元になる証言をされた方々との会話を中心に、その心情に触れる。 食べもの 東部地域からやってきた家族を一晩お世話することになりました。 台所に案内して言いました。「ここがキッチン。食卓にある食べものを召し上がってくださいね」。 その瞬間、彼らは泣き始めたのです。「キッチンにある食べものを、召し上がってくださいね」という一言で。 安らかな場所で食べることができる幸せ。 何でもない日常が、彼らにとっては至上の喜びだったりする。 自由 自由といえば、誰かが代わりに手に入れてくれるものではありません。誰かが与えてくれることもなければ、プレゼントしてくれることもなく、誰かに期待することはできないものなんです。自分の手で作る以外にない、ということです。そう、ハンドメイドですよ(笑)。自由を作る工場なんて存在しません。量産品ではないのです。 そう、彼らにとっては自由も死を尽くして獲得するものなのだ。 ・私たちが二つの世界大戦で体験したように、戦争は非常に早く場所を変えることが可能なのです。人間の残虐さと人間の優しさには、限界も無く、国境も無い。私たちは正しい側に立つべきです。 彼らは、全世界の人に正義というものを訴えている。 ・普通の人々の死に対して無関心であってほしくないです。100人が死亡したというニュースや統計があるとき、それは単なる数です。でも、そこに語られた言葉があれば、それは感情です。 亡くなった人たちには、それぞれに歴史があり、感情があったことを忘れてはいけない。 ・(なぜ戦争をしなければならないのか?と言う)問いはもちろん大事です。けれど今、わたしたちは圧倒的な、一方的な暴力にさらされています。生きるか死ぬかの瀬戸際にずっと立たされています。善い戦争というものはない、いつなんどきでも武器を捨てなさい、平和を第一に、そういうことなのか。そのような問答であるなら要りません。今は、そのことを問う時期ではないのです。「平和」の代わりに「勝利」と言ってください。 ふわっとした着地点の見えない「平和」では、むしろわたしたちの言語も文化も、わたしたちの生命すら脅かされかねないからです。 表紙の美しい絵も、ウクライナ人のアナスタシアさんによるものだ。 ロシア(プーチン)の理不尽さを、改めて感じた一方で、このような状況で、私たちはどうすべきかと考えさせられた。

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2024/04/04

この本の意義は、証言者の1人であるオレーナさんの語ったところ(210頁)に尽きる。「(他国による侵略という事態を)経験した多くの人々の感情のスナップショット」。「とても新鮮な記憶、とても新鮮な傷、とても新鮮な感情を伝えるもの」。それらを時をおかずに世界中で共有することの重要性。ロ...

この本の意義は、証言者の1人であるオレーナさんの語ったところ(210頁)に尽きる。「(他国による侵略という事態を)経験した多くの人々の感情のスナップショット」。「とても新鮮な記憶、とても新鮮な傷、とても新鮮な感情を伝えるもの」。それらを時をおかずに世界中で共有することの重要性。ロバートキャンベルのレポートがこの本とのより深い向き合い方に導いてくれている。

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2024/03/15

アレクシェーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」が過去から現代に現れてしまった。 死と隣り合わせになることで、人生が詩になってしまうと言う皮肉。 自由 「自由といえば、誰かがかわりに手に入れてくれるものではありません。誰かが与えてくれることもなければ、プレゼントしてくれることも...

アレクシェーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」が過去から現代に現れてしまった。 死と隣り合わせになることで、人生が詩になってしまうと言う皮肉。 自由 「自由といえば、誰かがかわりに手に入れてくれるものではありません。誰かが与えてくれることもなければ、プレゼントしてくれることもなく、誰かに期待することはできないものなんです。自分の手で作る以外にない、ということです。そう、ハンドメイドですよ(笑)。自由を作る工場なんて存在しません。量産品ではないのです。」 「今年の三月八日、女性たちには生と死が配られることになりました。わたしたちは、生の方をもらいました」

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2024/03/04

ウクライナの人々の日常に起きている生きている言葉 物々しさだったり、ユーモアだったりと いろんな感情が垣間見れる 後半は、この本をまとめるにあたっての話しだったが そちらは端折ってしまった

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2024/03/01

“戦争という経験をした時、全ての言葉は比喩的意味を失ったと思います” 目の前の出来事に言葉の意味が強制的に書き換えられるということ。それでも言葉を紡ぐことで互いをケアする戦場のリアル

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