〈私〉を取り戻す哲学 の商品レビュー
難解。第三章の「幸せとは」の部分の展開は興味を持てた。幸せは状態と理念といった辺りは読むのを止めて考えさせられた。
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思考を重ねていくという表現が正しいか、思考を深めていくという表現が正しいか、哲学の王道を見るような本。著者と一緒にその道を歩くのだが、所々深さや厚みが一致せずに躓きながら、その過程もエキサイティングで楽しかった。 言葉を厳選し、そこに意味を凝縮する。その凝縮した言葉から敷衍した...
思考を重ねていくという表現が正しいか、思考を深めていくという表現が正しいか、哲学の王道を見るような本。著者と一緒にその道を歩くのだが、所々深さや厚みが一致せずに躓きながら、その過程もエキサイティングで楽しかった。 言葉を厳選し、そこに意味を凝縮する。その凝縮した言葉から敷衍したり、イメージをコンパイルする。例えば、「常時接続と過剰接続」というキーワード。今の社会は人間関係がスマホにより、常時、そして過剰に繋がっているという話だ。そのために、いつでも誰かからの情報を気にしてしまい、自分だけの余暇に他者の価値観が侵出する。それは、「過剰」だというのだ。単に、気が散ると言っても良いかも知れない。何に気が散るのか、それは、自らの潜在的な欲望と他者の価値が重なるポイントでもある。 ー 余計なものをそぎ落として私を取り戻すこと、情報と関係性の過剰さを哲学的に解体することー 本書で考えてみたいのは、すべての認識の起点となる(私)にほかならない。さしあたってここでは、(私)の本質は、「絶対性」と「有限性」である、と言っておこう。デカルト的省察のハイライトは、(私)に見えているものを見えていないと言うことはできず(絶対性)、しかし(私)の見え方は完全なものではない(=有限性)、というものである。 ー 逆に言えば、(私)によく見えていないものについては、それが何であるかの判断を急がない。つまり、判断を保留してみる、という選択も成立するだろう。この判断保留という選択は、事実と嘘の見分けがつきにくくなったポスト・トウルースの時代を生きていくための指針となるだけではなく、(私)にはどうにもならない状況に耐えるかを陶治する。 タイトルの話だが、取り戻す、という事は奪われた、と言える。そして、元々はあったもの、とも言えるだろう。取り戻すという言葉遣いだけで、著者の主張が分かる。元々なかった、とは言っていないし、私を奪った何者かの存在を示唆しているし、更に言えば、しかし「今はない」と言っていて、何なら、「元が良かった」とも読める。 その仮定は正しいだろうか。私を構成する言葉や価値観は常に外部や他者と混ざるもの。これは奪うとか、取り戻すとかという丸ごとを左右する話とは、本質的に異なる。単に環境適応的なだけだとも、ゼロ百で捉えるのは誤りだとも言える。そんな事を考えた読書。
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現代の人たちが陥りがちなSNSやバーチャル空間への没頭などを、哲学の考え方を参考にしながら、失った〈私〉を取り戻す。哲学的な考えが私たちの日常とどう結びつくまでの道のりが長く、完璧に理解するのがとても難しかったが、論旨をなんとか見失わないように追っていくと、最後はスムーズに読めていける。最後はネガティヴケイパビリティについての記述が出てくるが、昨今すでに注目を集めている考え方だったので、知っている方からすると目新しい視点ではないかもしれないが、ここでも必要なのは立ち止まることや、時間をかけて考えることなのだと再理解する。現代はそのスピードの速さから、立ち止まることや、ゆっくり考えること、何も考えないこと、なんなら後もどりすることを許してくれない。原始時代に戻れとは言わないが、スピードダウンを許容するその寛容さがあれば、現代で起こる諸問題も少し光が見えるかもしれない。
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好みの問題かと思うけど、改めて自分は哲学的な思考は苦手だと感じた。 前評判から、現代のSNS✖️自分探しみたいなところが考察できるかなと思っていたけれど、内容が高度すぎて中々頭に入らず印象に残らなかった。
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自分には難しい内容でしたが、多面的に考えるよい機会になりました。相手や社会から押しつけるような話があったとき、一度立ち止まって考えてみようと思います。
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あまりにも 私色が強すぎて 閉口した 私探しまで 行き着くことができなかった SNS との繋がりが 全くわからない 残念な自分が見えた
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他者の視点や判断に身を委ねるうち、〈私〉という自己イメージが曖昧になってくる感覚を覚える人は多いだろう。その〈私〉を取り戻すためには、逆説的だが、自分が自由にできる〈私〉という自己イメージを手放す必要がある、というのが本書の主張。全般的にやや繰り返しが多く少々くどい感じがするが...
他者の視点や判断に身を委ねるうち、〈私〉という自己イメージが曖昧になってくる感覚を覚える人は多いだろう。その〈私〉を取り戻すためには、逆説的だが、自分が自由にできる〈私〉という自己イメージを手放す必要がある、というのが本書の主張。全般的にやや繰り返しが多く少々くどい感じがするが、認識論、現象学、経験論などを幅広くカバーしている割には論旨が一貫しており、おかげで理解がしやすい。自身の身の上話から本書が始まるのも共感できる(本書の要諦を体現しているとも言える)。 かつて社会を支えていた共同体が果つるところで立ち現れた〈終わりなき日常〉(宮台真司)では、当該共同体で必要とされるコミュニケーション能力なき者は、ひたすらに自己の快楽のみを追求するしかない。すると、間主体的な批評の対象となるような「物語」よりも、それを構成するフェティッシュな個々の「要素」のみに着目し、共通理解を拒むかのような「自己のエロス」に閉じこもる〈動物化〉(東浩紀)が生じる。そのような「なんでもあり」の状況では、人間は克服すべき課題や障壁を見失い、理想や欲望の所在が不明瞭となる〈退屈〉(國府功一郎)に苛まれることとなる。 著者はこれらの背景に〈善への意志〉、すなわちもう一度他者との関係性の中で普遍性倫理を取り戻そうとする回帰的な欲望の作動を見る。マルクス・ガブリエルの新実在論を引き合いに、ポストモダン的構築主義に倦厭した人々が、自らの自由を手放し外部規範に隷属することを欲しているのだと喝破しつつ、これが自らの〈内なる声〉に耳を傾けることなく他者の評価に拘泥する、現代人の病理の根源であると指摘する。 この「自己の放逐と他者への依存がもたらす空疎さ」に対処すべく著者が提唱するのが、経験論哲学の系統を継ぐ〈新デカルト主義〉だ。畢竟、〈私〉は現象学的な「見え」から脱却することができない。〈私〉は〈私〉の自由には必ずしもならないのだ。そうであればとにかくこの「見え」から出発し、同じく個々の「見え」に依拠するしかない他者の認識を認めた上で間主観的な合意を探っていくしかない。その際重要になるのは、物事に対する判断を一旦保留するピュロン主義の〈エポケー〉である。複数の真実が暫定的に共存しているという状況を認め、安易な臆見を差し控える。そこにあるのは自己の認識能力の限界に対する強い自覚であり、これがデカルトの提唱した〈方法論的懐疑〉に通ずるというのだ。 自己と他者の認識が高々現象学的な「見え」に依存するという意味において対等である、という前提にたてば、「真実はいかなるものであるのか」という問いはその基盤が揺らいでくる。それよりは「私とあなたの認識がどのような意識体験から生じたのかを検討し、対話を通じて共通点を探ろうではないか。そのためには時間が必要だから即断は避け、問題を単なる信念対立から本質洞察に昇華させよう」と著者は提唱するのだ。 私の主観的・現象学的「見え」ではなく、外部の〈善のパッケージ〉に判断を委ねてしまうと、理性と情動に訴えかけてくる陰謀論に容易く取り込まれてしまう。そうではなく、この〈私〉がどう感じどう考えるかを観照し、同型の認識が他者でも成り立っていることを認めた上で共通理解を探る。その際、〈私〉が感じた違和感や摩擦が外部的対象の成立を担保しているのだから、そのようなネガティブネスから目を逸らしてはならないというのだ。 面白いと思ったのは、サイバースペースでやりがちな〈私〉のドレスアップを続けるうち、どうしても改変できないものが残るのだが、それこそが〈私〉のコアである可能性に言及していること。なるほどと思った。
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最後のところがよかった。のだけど、私は傍点が苦手だということが分かった。著者にはすまないのだが、単に、苦手らしい。こういうのも抵抗のうちではある。
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【主な目次】 第1章 デフォルトの〈私〉 ――――動物になるか、善い人になるか ・ミニオンズの憂鬱 ・パッケージ化された善に警戒せよ ・目を閉じて、〈私〉の声を聴く 第2章 〈私〉を取り戻すための哲学的思考 ・「新デカルト主義」宣言 ・判断しなくてよいという判断 ・批判的思考の...
【主な目次】 第1章 デフォルトの〈私〉 ――――動物になるか、善い人になるか ・ミニオンズの憂鬱 ・パッケージ化された善に警戒せよ ・目を閉じて、〈私〉の声を聴く 第2章 〈私〉を取り戻すための哲学的思考 ・「新デカルト主義」宣言 ・判断しなくてよいという判断 ・批判的思考のプロトタイプ 第3章 ポスト・トゥルースを終わらせる ・SNSを気にする学生 ・「正しさをめぐる争い」は終わりにする ・陰謀論は理性と情動に訴える 第4章 ネガティブなものを引き受ける ・対話とネガティブ・ケイパビリティ ・アルゴリズムと自己消費 ・「弱いロボット」から考える
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第1章 デフォルトの〈私〉 ――――動物になるか、善い人になるか ・ミニオンズの憂鬱 ・パッケージ化された善に警戒せよ ・目を閉じて、〈私〉の声を聴く 第2章 〈私〉を取り戻すための哲学的思考 ・「新デカルト主義」宣言 ・判断しなくてよいという判断 ・批判的思考のプロトタイプ ...
第1章 デフォルトの〈私〉 ――――動物になるか、善い人になるか ・ミニオンズの憂鬱 ・パッケージ化された善に警戒せよ ・目を閉じて、〈私〉の声を聴く 第2章 〈私〉を取り戻すための哲学的思考 ・「新デカルト主義」宣言 ・判断しなくてよいという判断 ・批判的思考のプロトタイプ 第3章 ポスト・トゥルースを終わらせる ・SNSを気にする学生 ・「正しさをめぐる争い」は終わりにする ・陰謀論は理性と情動に訴える 第4章 ネガティブなものを引き受ける ・対話とネガティブ・ケイパビリティ ・アルゴリズムと自己消費 ・「弱いロボット」から考える
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