だれでも抱けるキミが好き(2) の商品レビュー
第1巻を読んでいて、貞操観念がない人と付き合う しんどさを、新田章の漫画『あそびあい』などと 対比しながら考えていた。 第1巻で象徴的だったのが、アガワがゴトーと セックスしたことを知って、ギャル友のショウコが 「どうして次から次へと…」 と呆れるシーン。 ヤリマンのアガワを、登...
第1巻を読んでいて、貞操観念がない人と付き合う しんどさを、新田章の漫画『あそびあい』などと 対比しながら考えていた。 第1巻で象徴的だったのが、アガワがゴトーと セックスしたことを知って、ギャル友のショウコが 「どうして次から次へと…」 と呆れるシーン。 ヤリマンのアガワを、登場人物の全員が、 そして読者も、ふしだらな女というレッテルを張って、 好奇の目で見ている。(多分アガワ本人も) 当然だろう…そう思っていたのだが。 2月の寒い夜、私は一人歯を磨いていた。 その時ふと、第5話最後のアガワが頬染めて 手を差し伸べているシーンが頭に浮かんだのだった。 あれ…と思った。 能動的なセックスは、相手を喜ばそうと意図している。 それを一人に限定しないで、多くの人に与えたいと 考えるのは「悪」だろうか。 ヤリマン、ヤリチンにもは、献身とか、利他と 言えるん面あるのではないか。 大袈裟だが、飢えた老人のために自らの身を 食料として捧げようとしたウサギが、 その慈悲深い心により帝釈天に救われ、 月へと昇ったという仏教の『ジャータカ』物語 みたいな。 セックスは煩悩、我執の強い行為だ。 実際ブッダも性交は禁忌にしている。 でもセックスも、相手を喜ばせたい、気持ちよく させたいと思っているその瞬間は、利他つまり自我を なくしている。 それを広く施す行為って…。 アガワの分別のない尻軽な行為も、相手を喜ばせたい という衝動からの行為なら、「神聖」で「尊い」。 「ヤリマン(ヤリチン)=善徳」説。
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