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体育がきらい の商品レビュー

3.8

16件のお客様レビュー

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2024/08/24

文字通り、体育の授業が大嫌いだったので、本書を手に取りました。 教育者としてのご自身の経験から、体育嫌いを量産する教育現場のあり方について思うところを書きつつ、読者には、体育を好きにならなくてもいいよとわかりやすく語りかけてきます。全体的に読みやすいです。 体育は大嫌い、かつ、...

文字通り、体育の授業が大嫌いだったので、本書を手に取りました。 教育者としてのご自身の経験から、体育嫌いを量産する教育現場のあり方について思うところを書きつつ、読者には、体育を好きにならなくてもいいよとわかりやすく語りかけてきます。全体的に読みやすいです。 体育は大嫌い、かつ、スポーツも大嫌いでしたが、大人になり、公開処刑の機会や、スポーツの話題に乗れなくとも関係なくなってからは、自分のゆったりペースで運動の楽しさと有用性がわかってきました。 動画アプリなどで一日5分の軽い筋トレでも、翌朝身体を動かすのが気持ちがいい、階段が苦にならない、ことを知った時には、目からウロコでした。 ただ、筆者が指摘しているように、本来はそうした運動の効用や、身体を動かす楽しさを伝えるのが体育の授業のはずが、実際は本末転倒になることが学校の課題であることは大いに賛同します。 また、歴史的に軍隊の名残としての体育の分析は興味深いと感じました。 全体的に、体育が嫌いな人よりも、体育嫌いを量産させないためにどうしたら良いのか?と悩む学校の先生方にとって響く本であると思います。

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2024/08/18

図書館。SNSで見かけて。私は自分の体が好きな体育嫌いだったので。 どう転んでも結局は体育好きの書いた内容だった。ところどころ、こちらへの歩み寄りと思われる記述(例 体育嫌いの人の中にはこのことに気づいた方もいるかもしれません。鋭い!)にこちらへの軽視を感じた。それこそ、ドッヂボ...

図書館。SNSで見かけて。私は自分の体が好きな体育嫌いだったので。 どう転んでも結局は体育好きの書いた内容だった。ところどころ、こちらへの歩み寄りと思われる記述(例 体育嫌いの人の中にはこのことに気づいた方もいるかもしれません。鋭い!)にこちらへの軽視を感じた。それこそ、ドッヂボールで嬉々としてこちらへボールをぶつけてくる小学生男児やスポーツ好き女児の目を思い出して不快だった。 加えて私が体育嫌いなのは、勉強は個々でやっていることでありほぼ自分との戦いで、もしできなくても他人に迷惑をかけなくて済むのに、体育、こと集団競技になると相手にも迷惑をかけるから。やっぱり体育なんて嫌いだ。 ちなみに自分の体は大好きで、筋トレやバレエ、ダイエットを愛している。

Posted byブクログ

2024/08/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

体育が嫌いな人集まれ! 小学校の時は体育が嫌いだった。けれど、中学校ではそれほど悪くなく、高校では嫌いではない科目だった。それを漠然と部活動によって体力がついて、授業についていけるようになったからだと考えていた。まさにその漠然と考えていた部分を支えるような話だった。 著者は「体育」が何であるのかを、何をしているのか(スポーツ)、誰が関わっているのか(体育教師)というように分解しながら、「体育ぎらい」は何が嫌いなのかを説明している。強制される雰囲気、権威的なもの、勝つこととできない者への残酷さ、スポーツというものが持つ性格と、すべての人に必要な「からだ」への認識。 何をどうしてよいのかわからなかったし、自分が戦力にならないと責められた小学校の体育。どのように身体が動くのかを説明されて、あまり試合はなくて、ストレッチなども多くて、とにかく身体を動かす習慣が大切とされた中学校・高校の体育。走るのが速い子やそのスポーツが得意な子のスーパープレイをみんなでわいわい応援する雰囲気なのも楽しかった。 飛行機に乗れば空が飛べて、新幹線に乗れば時速300kmを超えて移動できる世界で、棒高跳びの高さへの挑戦や、100m決勝にワクワクする。スポーツが文化だというのなら、色々なものを削ぎ落として、自分の身体が動く不思議、練習するともっと動きがよくなる不思議を楽しむ「体育」になってほしい。それにはこの本をたくさんの体育教師志望者に読んでもらう必要がある。

Posted byブクログ

2024/08/07

学校での体育が勝ったり競ったりを主眼におく「スポーツ」に偏っていることが強調され、そのため「体育嫌い」が増えているのではないか。精神はからだによって左右されるのだから、からだが変わると世界の受けとめも変わるはず、一生付き合っていかなければならないこのからだを嫌いになることだけはし...

学校での体育が勝ったり競ったりを主眼におく「スポーツ」に偏っていることが強調され、そのため「体育嫌い」が増えているのではないか。精神はからだによって左右されるのだから、からだが変わると世界の受けとめも変わるはず、一生付き合っていかなければならないこのからだを嫌いになることだけはしたくない。体育ももっとひとりひとりが自身のからだを尊重できるように、自由で気楽なものでいいはずだ。以上のような主張を、主に児童・生徒に対してであろうか、やさしく語りかけている。多くの保健体育の教師にも読んでもらいたいなと思った。動くのが大好きな私が体育はあまり好きでなかったのは教師のせい。それが証明された気分。

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2024/07/20

朝、余裕がある時に、音読でちびりちびりと読んできました。体育。もう小学生の時から嫌いでした。試合での勝ちにこだわる同級生、戦犯探しに夢中になる彼ら、そして中学で入った運動部の意味のわからない上下関係、異常に厳しい体育教師。すべて体育が嫌いになるには十分な要因でした。本書のおかげで...

朝、余裕がある時に、音読でちびりちびりと読んできました。体育。もう小学生の時から嫌いでした。試合での勝ちにこだわる同級生、戦犯探しに夢中になる彼ら、そして中学で入った運動部の意味のわからない上下関係、異常に厳しい体育教師。すべて体育が嫌いになるには十分な要因でした。本書のおかげで、少しは蒙を開けましたが、体育的なものからは引き続き遠ざかろうと思います。一人でやる散歩や軽いランニングには最近抵抗がなくなってきましたが、それはとても良いことだな、と実感できました。著者のような体育教師が増えて、すこしでも体育教育がマシになりますように。

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2024/07/13

プリマー新書のなかでも特に柔らかい文体。話の進み方はゆっくりで少々冗長にも感じるが、子どもたちにとって親しみやすい文体であることは評価できる。 授業、教師、運動部、スポーツ、運動そのものに要素を分解しながら分析する。個人的には本当に体を動かすのが苦手な人についてはアプローチ不足の...

プリマー新書のなかでも特に柔らかい文体。話の進み方はゆっくりで少々冗長にも感じるが、子どもたちにとって親しみやすい文体であることは評価できる。 授業、教師、運動部、スポーツ、運動そのものに要素を分解しながら分析する。個人的には本当に体を動かすのが苦手な人についてはアプローチ不足のように感じたけれど、少数派なので触れられていなくてもやむを得ない。

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2024/06/21

部活動はオマケですよー。 でも、部活動をメインにしないと居場所を保てない体育教員がほとんどなのも実情。 そもそも、専門にしている競技ごとに教員を採用して、その部活動があるところに人を配置しているのって、おかしい。他の教科でそんなことやってる?? つまりは、採用のシステムが歪んで...

部活動はオマケですよー。 でも、部活動をメインにしないと居場所を保てない体育教員がほとんどなのも実情。 そもそも、専門にしている競技ごとに教員を採用して、その部活動があるところに人を配置しているのって、おかしい。他の教科でそんなことやってる?? つまりは、採用のシステムが歪んでいるということ。 部活動が体育教員のアイデンティティなり存在意義なりを支える主要な教育活動になっちゃってる。 でも。 部活動はオマケですよー。 と、大事なことなので、2回書いてみる。 体育の原義に立ち返って体育の授業を実施するには、まず各県の高体連なり、スポーツ庁なりが、部活動からオリンピアンを吸い上げる仕組みを諦めないとダメだってこと。 ごく一部のスーパー優秀な先生は別として、大半を占めるふつーの先生と本書に挙げられている残念な先生が大半を占めるのが現状。これに沿った採用システムに変えないと、体育ぎらいは増えても減らない。 あ、体育が一体、どこを目指す教科なのかってことは、内田樹先生の本を読んだ方が腑に落ちます。 『武道的思考』とか、能や合気道について触れている文章の中で、この本に書いてあることは網羅されてました。なので、ほぼ予想通りに話は展開しました。面白いのはいろんなダメ体育教員が紹介されているところ。あー、いたなー、と思いながら読みました。 あと、壮行式は運動部相手にしかやらなかった、たしか。いろいろ理屈はあるらしいけど。まずもって母校の応援団がバンカラなので野球部と剣道部専用の応援歌はあったけど、吹奏楽部とか演劇部専用の応援歌があるという学校は、寡聞にして知らず。いやなヒエラルキー。兵士と銃後の守り的な分業がまーだ居座ってる。何せ、体育は軍事教練を母体にして育った教科だから、なかなかその体質を変えられないらしい。マネといえば女子だし。『彼女は頭が悪いから』を併せ読みすると、不快指数が爆上がりすること間違いなし。とはいえ、軍事教練的鋳型ハメ目的教科が母体という観点から行けば、国語も似たようなものだけど。こちらは井上ひさしの『国語元年』に詳しい。 ということで、読みやすさならば本書ですが、哲学的な深みと広がりならうっちーです。 私は体育は好きでも嫌いでもない。中学では運動部、高校では文化部、大学ではその両方やったけど、自分の体との付き合い方を本気で学んだのは社会人になって体を壊してからでした。

Posted byブクログ

2024/04/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

感想  「体育がきらい」について知りたくて読んだ。体育や体育教師のイメージなど、改めて考え直してみるとすごくおもしろかった。一人に一つしかない大切な「からだ」をあつかう保健体育の教科としての意義や、教師が知らずに生み出していたのかもしれない「体育ぎらい」について、心に留めておきたいと思った。 はじめに 10 「体育」なんて好きにならなくてもいい 17 体育の「嫌い」と「好き」の「あいだ」にも、そのような豊かなヴァリエーションやグラデーションがある 第1章「体育ぎらい」のリアル 19 2021年8月小学生 体育は好きな教科2位 嫌いな教科3位    1989年 好きな教科1位 嫌いな教科8位    嫌いな割合 男子10.7% 女子16.5% 小6女子30.5% 28 SNSにより「体育ぎらい」が印象づけられた 稲垣諭 SNSは、社会の苦しみの現      実を変えてしまった。(中略)そのように苦しむ主体や克明な記述が増えることは、同時にそれを目にする人の中で苦しみの自己認知・追体験が行われることでもあります。 31 からだの「かけがえのなさ」「かえられなさ」 39 日本の体育は、子ども一人に対して10年以上の時間を費やしています。それにもかかわらず、彼らが大人になり、いざ自らの健康を意識し始めたとき、一体何を、どうすればよいかがわからない とりあえずジム 体育の敗北 42 「体育ぎらい」と「運動ぎらい」 第2章 体育の授業がきらい「規律と恥ずかしさ」 56 体育=体操だった 60 「公開処刑」 62 恥ずかしさの誕生 サルトル 鍵孔の例 他者に見られていることを自覚することによって恥ずかしさを感じる 第3章 体育の先生がきらい「怖くても、ユルくても」 83 怖そう 体育の先生と暴力 85 偉そう 生徒指導という役割 体育の先生は軍人っぽい 体育の先生はスポーツのコーチっぽい 99 「ユルイ」先生は、まだ「体育が嫌い」ではない人にとっては、体育を好きになる可能性を摘み取る存在になり得る 105 体育を好きにさせることは、あくまでも手段として意味しかない。人が何かを好きになるという出来事は、他者が簡単にコントロールできる性質のものでは、そもそもない。 第4章 運動部がきらい「体育教師らしさの故郷」 129 体育の授業はレベルの低い運動部なのか 第5章 スポーツがきらい「残酷ですばらしい文化」 144 競争しなきゃダメなのか 153 スポーツは人を育てる・・・とは限らない 155 スポーツは一つの文化(でしかない) 166 生涯スポーツと言われても・・・生涯音楽や生涯美術はない 第6章 そもそも運動がきらい「だからこそ、からだに還る」 177「運動=スポーツ」という幻想 184 できるようになる=身体技法の獲得 187 階段かエレベーターかからだが選んでいる 190 運動ができるようになることは、決してスポーツがうまくなることだけを意味しているわけでなく、私たち自身の経験できる世界を豊かにすること 195 からだが変わるとは私が変わること 199 力を入れるだけでなく抜くことも大事 207「からだを豊かに変えていくこと」としての本当の「体育」は、もっと自由で、もっと面白く、そして、きっとすばらしいもの あとがき 211「からだ」は嫌いにならないで!

Posted byブクログ

2024/03/08

タイトルを見て素通り出来ず購入しました。 体育なんて大嫌いです。 中学生の時、体育の教育実習生が来ました。 持久走でした。 周回遅れで最後にゴールすべく真面目に走っていた私に、実習生は「がんばれよー」と呑気に声をかけました。普通にゴールした同級生も和やかに談笑中。 私がゴールす...

タイトルを見て素通り出来ず購入しました。 体育なんて大嫌いです。 中学生の時、体育の教育実習生が来ました。 持久走でした。 周回遅れで最後にゴールすべく真面目に走っていた私に、実習生は「がんばれよー」と呑気に声をかけました。普通にゴールした同級生も和やかに談笑中。 私がゴールすれば授業は終わり、 みんな早く終わって着替えて帰りたかったんでしょう。分かりますよ。分かりますけどね。 私はサボっていたわけじゃなく、 必死に走っても遅いんです。惨めでした。 私に採点させてくれるなら、こんな奴に合格点はやらない、体育の教師になんかならないでくれ。 と思ったのはもう40年以上前。 先生になられたのか、他の職業に就かれたかは知りません。私の様な体育嫌いを増産するだけの教師として人生を過ごされてなければいいなと思います。 バスケットの授業の時、教師はバスケ部の生徒に指導を振りました。興味もなかったのでルールも知らず、見様見真似で動いたら「はいファール!」と高らかに叫ばれて固まりました。何がいけなかったのか、どう直せばいいのか、何も分からないまま試合がありました。ボールが来ない様にひたすら逃げ回りました。 バスケットボールが人気スポーツなのは知っています。でも私はこの授業以来、バスケットボールに何の関心も持てません。今この瞬間に世界からバスケが消えても私の人生には1ミリも影響がない。 体育の授業がなければ、私は今ほど運動する事に嫌悪感を持たずにすんだのではないかと思う事はしょっちゅうあります。体育とスポーツとは違う、という主張には同意します。保健体育を必修とするなら、教えるべきは、自分が健康に生涯を過ごすために自分の身体をどう扱うかという事でしょう。それは性教育にもつながる事の様に思います。寝方、緩め方。そんな事、習ったことないけど、身体を労わる、身体の声を聞くためには、スポーツの技能なんぞよりよっぽど伝えなければならない事の様に思えます。 体育嫌いなんで、便乗して語りました。 大人になってよかった事のひとつが、体育の授業が無くなった事だと心から思います。

Posted byブクログ

2024/02/03

「待ちに待った運動会の日が来た」 運動会の作文といえば、こう書き始めるのが定番?だった昭和の小学生。 運動が得意でなくても、そういう反応をしなければ、子供らしさがないと言われた。 そんなわけないとはおくびにも出せず、高校生くらいになってから、「本当は運動会の日は雨が降ればいいのに...

「待ちに待った運動会の日が来た」 運動会の作文といえば、こう書き始めるのが定番?だった昭和の小学生。 運動が得意でなくても、そういう反応をしなければ、子供らしさがないと言われた。 そんなわけないとはおくびにも出せず、高校生くらいになってから、「本当は運動会の日は雨が降ればいいのにと思っていた」という文章を子供向け読み物の中で見て、そんなこと言ってもいいんだ⁉︎、、そうだよねー!と、とても共感した日を思い出す。 実際、1989年の調査では、小学生は、好きな教科第一位は体育76.2%、嫌いな教科では、体育は最下位の第八位と答えていたそうです。(P 20 ) 「体育がきらい」というタイトルに、そんなこと堂々と言える時代になったんだなー、と手に取りました。 令和の現在、2021年調査では、小学生にとっての体育は、好きな教科としては算数(20.0%)に次ぐ二位(17.8%)とはいえ、嫌いな教科としても、算数(24.6%)、国語(19.4%)に次ぐ堂々第三位(7.7%)だそうです(第四位は社会3.9%)。体育は、2013年以降、不動の嫌い第三位なのだとか。(P19) みんなホンネを出せるようになったんだなー、と感慨。 体育の授業が変わったわけじゃない、SNSの影響だそうです。 本書では、「体育は公開処刑」とか、「なんで跳び箱飛ばなきゃダメなんですか」「なんで踊らないといけないの」とか、体育嫌いが思うことをひとつひとつ取り上げてくれる。 体育が求める「規律」、体育とほぼ同義と考えられている、運動部、スポーツ、といった観点を取り上げて、それらと体育の関係や、実はそれらは体育の本質じゃないと語った上での最終章、結局体育って何なん?という問いに対する筆者からの一つの答え、私は、結構、気に入りました(笑)。

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