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訂正可能性の哲学 の商品レビュー

4.5

39件のお客様レビュー

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2025/11/24

『訂正の力』に続いて、『訂正可能性の哲学』を読みました。 今年に入って、東浩紀さんの著書は3冊目です。 当初、新書である『訂正の力』は『訂正可能性の哲学』の要約なのかと思っておりましたが、(その要素はありつつも)それぞれ独自のストーリー性があるものとして楽しめました。「訂正」を...

『訂正の力』に続いて、『訂正可能性の哲学』を読みました。 今年に入って、東浩紀さんの著書は3冊目です。 当初、新書である『訂正の力』は『訂正可能性の哲学』の要約なのかと思っておりましたが、(その要素はありつつも)それぞれ独自のストーリー性があるものとして楽しめました。「訂正」を理解するには、どちらも必読だと感じます。 本書は、大きく「家族」について論じる第一部と、「民主主義」について論じる第二部で構成されております。 個人的には第一部が学びが深く、実用的な知識を得られたという実感です。特にアーレントの『人間の条件』も読み進めていることから、東さんのアーレントの読み解きがとてもわかりやすく、理解を助けてくれました。 第二部は著者によるルソーの考察が凄まじく、思想家とはここまで読み解くのかと、圧巻の一言です。。。 心に残った一節は、その第二部の序盤で書かれておりますが、過激な書き方ではあるものの、この前提はとても大切だと思うのです。 人間は人間に期待しすぎているのではないか。 人間をもっとわかりにくくて弱い存在として考えた方が、連帯したり、訂正したり、対話したりする意味を我々に与えてくれるのではと感じます。 「人間は弱い、だからこそ、そのさきへ。」 そんなメッセージをもらいました。

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2025/08/15

こだわりがあるのだろうが、タイトルが勿体無い。 あるルールの世界で動いているものに、後から違うルールだといちゃもんをつけられても、それが間違いだと論理的に説明することは難しいという話をもとに、我々はなんのゲームをプレイしているかわからない、ゲームが成立するには観客や評価を必要と...

こだわりがあるのだろうが、タイトルが勿体無い。 あるルールの世界で動いているものに、後から違うルールだといちゃもんをつけられても、それが間違いだと論理的に説明することは難しいという話をもとに、我々はなんのゲームをプレイしているかわからない、ゲームが成立するには観客や評価を必要とする、評価されて初めてそのプレイの価値が定まる、すなわち物事の意味や価値は後から訂正されうるとする。 我々の人生もすべて思いがけないものの連続で、その意味は常に訂正されうる。人間万事塞翁が馬を哲学的に言っているようにも思えた。 例示としてとても興味深かったのは、エマニュエルトッドさんの家族形態と社会体制の因果。これはまた別途ゆっくり読んでみたい。あと、宇野重則さんの引用による保守とリベラルの整理とリベラルの危機も興味深い。いずれも弱者保護を述べるが保守は仲間内に限定、リベラルは開かれていると思っているが、じつはリベラルという似たような信条を理解する限られた仲間内のみで閉じているのではないか?という批判は、トランプや極右政党が伸びている今、見過ごせない意見だと思う。 ルソーさんの人生や小説込みの社会契約論の話は斬新で面白かった。

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2025/07/28

正しさが求められる現代社会における誤りを見直し、訂正することの重要性を説いている。プラトン、ウィトゲンシュタイン、ルソー、フーリエ、エマニュエル・トッド、ドストエフスキー、アーレント等の歴史上の哲学者・思想家を批判しつつ、そこに訂正可能性の考えを加えると…を論じている。特にルソー...

正しさが求められる現代社会における誤りを見直し、訂正することの重要性を説いている。プラトン、ウィトゲンシュタイン、ルソー、フーリエ、エマニュエル・トッド、ドストエフスキー、アーレント等の歴史上の哲学者・思想家を批判しつつ、そこに訂正可能性の考えを加えると…を論じている。特にルソーはコミュ障とか言ってることが人生の各フェーズで変わるとか「告白」についてとか結構ディスっている。ユヴァル・ノア・ハラリ、落合陽一、成田悠輔らの言説を「人工知能民主主義」として、AIで正解を出して、不正解を排除する思想社会の危険性に警鐘を鳴らしている。とはいえ、やはりあくまで批評家であり、AI関連技術への解像度は低いように感じられた。著者が思っているほど、人類は昔も今も訂正可能性に対して無認知ではない気がするけどなといった感想。

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2025/06/09

気になった、自分に刺さった内容をピックアップして感想を記述(本の内容が重厚なので) ・リベラル村 リベラルを追求している結果、結果的にリベラルを許容する意識の高い人だけを集めることとなってしまい、皮肉にもリベラル的な思想から外れてしまっている。これは私も常日頃から感じていた。新...

気になった、自分に刺さった内容をピックアップして感想を記述(本の内容が重厚なので) ・リベラル村 リベラルを追求している結果、結果的にリベラルを許容する意識の高い人だけを集めることとなってしまい、皮肉にもリベラル的な思想から外れてしまっている。これは私も常日頃から感じていた。新の多様性とは、受け入れにくい人すらも受け入れる(というか否定せず、無関心)必要があると感じている。 ・誤配=訂正可能性 あらゆることはいずれ訂正される可能性がある。まずはそれを許容する必要がある。共同体とは開かれてもいて、閉じられてもいる。それを誤配によってつなぎかえを行っている。再帰的な保守主義という言葉が素晴らしく、守るべき自分たちの枠組みを少しずつ変化させているというニュアンスが良い。 ルソーの話にページを割き、そこから一般意思の話に広げながら、ビックデータがその一般意思をくみ取るという話につなげていた。この「人工知能民主主義」の危険性について話していた。自分がどんな人間でも、統計的集団にカテゴライズされ、リスク人材としてみなされる可能性がある。統計的に正しいとされることで、訂正可能性がまさに失われてしまう。 内容を完全に把握しきれていないが「あいまいな状態」を許容しながら自分たちは足を進めなくてはいけないと感じた。そして何かを正しいと定義しても、それは訂正される可能性がある。訂正可能性があることを許容しなくてはいけない。 基本的に物ごとの大半は黒か白で分けることができないだろうと考えていて、今回の本は自分の考えを後押ししてくれるような本だった。

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2025/04/13

本書は「訂正することの可能性」について、過去の哲学者たちの思想を基盤としながら哲学的に解説した一冊。 「訂正可能性の哲学」とは、人間の知識や理解は常に不完全で過ちを犯す可能性があるという前提に立ち、個人が知識や判断を継続的に見直し、他者との対話を通じて訂正し続けることの重要性を...

本書は「訂正することの可能性」について、過去の哲学者たちの思想を基盤としながら哲学的に解説した一冊。 「訂正可能性の哲学」とは、人間の知識や理解は常に不完全で過ちを犯す可能性があるという前提に立ち、個人が知識や判断を継続的に見直し、他者との対話を通じて訂正し続けることの重要性を説きます。同時に、そのような訂正を行う個人を肯定的に受け入れる社会の姿勢も重視しています。 この考え方は、経営学では「リーン」や「ピボット」、生産現場では「カイゼン」、システム開発では「PMF(Product Market Fit)」「アジャイル」「フィードバックループ」「ダブルループ学習」などがあるので一般的な考え方ではある。 東浩紀さんは「訂正できることの重要性」を盾にしながら著名人の主張にダメ出しをしまくる展開が興味深い。 ユヴァル・ノア・ハラリさんの「サピエンス全史」「ホモ・デウス」「21Lessons」で展開される「データ至上主義」、落合陽一さんの「デジタル・ネイチャー」、成田悠輔さんの「22世紀の民主主義」に対して、それぞれ「訂正すべき論点」を展開している。 特に成田悠輔さんの「22世紀の民主主義( https://x.gd/iUuhI )」については、東さん自身の「一般意志2.0」で提示した「熟議」概念をアップデートする思考実験だったものに対し、今度は成田さんの「無意識データ民主主義」を批判する展開が興味をそそります。できればこのまま宇野常寛さんの「遅いインターネット( https://x.gd/c3dxJ )」についても言及してほしかったと思いますが、もしかすると東さんはもう宇野さんとの関わりを避けているのかもしれません。 でも注意したいのは、東浩紀さんが自著や運営する場(ゲンロンカフェなど)でこうした批評を展開するから成立するダメ出しであり、一般のオッサンが同じことをすれば「うるさがた」「老害」と揶揄され若者から敬遠されかねない。

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2025/03/28

普段、読書はもっぱら己のスノビッシュな欲望を満たすためにする私だが、本書は一味違った。ページを繰る手が止まらず、時間を忘れて「読書のための読書」に没頭するという貴重な体験をくれた一冊だった。【家族】は、私たちが認識する対象ではなく、むしろ認識の枠組みそのものである。そして、【家族...

普段、読書はもっぱら己のスノビッシュな欲望を満たすためにする私だが、本書は一味違った。ページを繰る手が止まらず、時間を忘れて「読書のための読書」に没頭するという貴重な体験をくれた一冊だった。【家族】は、私たちが認識する対象ではなく、むしろ認識の枠組みそのものである。そして、【家族】は一面では堅苦しくあるものの、他方では柔軟さも併せ持つ。その柔軟さを活かすことこそ、人生を生きる上で重要なヒントとなるはずだ。

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2025/02/24

新書版読了済なのですが、やはりこちらを読むべきでした。 各思想をいいようにピックする雰囲気は変わらず、しかしそこに自覚的でありつつ論を進める誠実さは良いと思います。 テック界隈の稚拙なシンギュラリティ論にしっかり異議を立てているところが良かった

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2025/02/22

自分と同世代の著者がたどり着いた、人が人らしく生きるために必要な事は何かを、丁寧に、ルソーの思考を軸にした解説が展開される。構成もよく練らせており大変読みやすく、理解し易く書かれていました。「人工知能民主主義」に関する解説は、私の中にも存在したモヤモヤ感を払拭してくれました。個人...

自分と同世代の著者がたどり着いた、人が人らしく生きるために必要な事は何かを、丁寧に、ルソーの思考を軸にした解説が展開される。構成もよく練らせており大変読みやすく、理解し易く書かれていました。「人工知能民主主義」に関する解説は、私の中にも存在したモヤモヤ感を払拭してくれました。個人的には著者の主張は私の考え方に大変近いものでしたので、その意味でも良い頭の整理になった気がします。満足。

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2025/02/09

2011年の『一般意志2.0』の訂正。 一般意志は「小さな社会」、その対話で補われる。 ・クリプキによるウィトゲンシュタインの言語論の読みなおし:あらゆる規則、意味の一貫性は、それを生み出した行為に依存して、未来の他者に遡行的に産出されるものに過ぎない。 →規則や意味の一貫性な...

2011年の『一般意志2.0』の訂正。 一般意志は「小さな社会」、その対話で補われる。 ・クリプキによるウィトゲンシュタインの言語論の読みなおし:あらゆる規則、意味の一貫性は、それを生み出した行為に依存して、未来の他者に遡行的に産出されるものに過ぎない。 →規則や意味の一貫性なるものが、人が誰を仲間だと思うか、それぞれの共同体の境界を決める判断と不可分に結びついている。 ※「家族」を、ウィトゲンシュタインの言語ゲームに参加するプレーヤーの共同体と定義するには、参加と排除のハードルが異なるのでは。 ・固有名は、その定義を遡行的に訂正することができる。 ・人間はそもそも、理想社会の到来にそれが理想社会だというだけの理由で反抗することができる、そういう厄介な存在だということである。 ・アルゴリズム的統治性は個人の固有性を認めない。 ・真実と嘘の境界をなくすことで、はじめて自然は「訂正」される。そして自然が人工的かつ遡行的に発見される。  「悲しい気持ちでそれを喜」ぶ ・完結不可能性こそが人間の自由を保証する。

Posted byブクログ

2025/01/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

家族、制作について興味があり手に取った。 第一部は興味深かった。 ちょうど「M-1の審査員を、その大会で実績を残した人たちで構成するのは不健全ではないか」というコメントがあり、訂正可能性と持続可能性について言っていたのかなと考えていた。 p61 外部からの参加を排除したままだと滅びる p84 当事者ではない問題についても、訂正されるとわかっていても関わる勇気を持つ p88 誤配と訂正の連鎖こそ人生 p105-108 同じ人間だからという概念は大きすぎて、わたしたちという共感は持てない。でも「わたしたち」の範囲は修正し拡張できる。 →希望を感じた。

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