家で死ぬということ の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
3作続けて終末期医療や看取りがテーマのものを読んだ。(小説2、ノンフィクション1)自分自身の自宅での親の介護と看取りの経験を、今でも折にふれ何度も何度も思い返してあれでよかったのかと自問自答している。つまり死に方を見せてくれた親には感謝と尊敬しかないが介護していた自分の未熟さや傲慢さを自覚しているのでいまだに思い出として落とし込めていないから、このような本を読んでみたくなるのだと思う。この石川さんの本は本当にリアルで経験したものなら深くうなづけることばかりだった。あとがきで「亡くなった人は生きている人の中で生き続ける」とあった、よく言われることなのだがこうして書かれたものを目にすると持つべき思いを再確認できる。作中のおとうさんのエピソードで60年も前の教え子をフルネームで呼んで覚えていることを語るシーンが父と重なってうれしくなった。
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一人暮らしの父親を遠距離で自宅(実家)で看取った3年の筆者の記録。 大腿骨骨折からはじまった看取りの経緯が、病院やケアマネ他関わる周囲の人々とのやりとり、それに対する父当人の反応、自分の気持ちなどが綴られる。 単にこんなことが起こり大変だったというのではなく、死ぬということの意味...
一人暮らしの父親を遠距離で自宅(実家)で看取った3年の筆者の記録。 大腿骨骨折からはじまった看取りの経緯が、病院やケアマネ他関わる周囲の人々とのやりとり、それに対する父当人の反応、自分の気持ちなどが綴られる。 単にこんなことが起こり大変だったというのではなく、死ぬということの意味、体が衰えていき死に至る過程をどこで過ごすかにより受け取れるメリットデメリットなどが率直に綴られている。 まだ元気だが自宅で死にたい90オーバーの父を持つ自分にとって人事とは全く思えず、涙がとまらなかった。 そして、両親のことだけでなく、自分自身もどういう最期になるのが望ましいのか考えさせられる。
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たいていの人が、最期は自宅で迎えたいと希望します。私の父もそうでしたねぇ…だけど、入院中にどんどん体調が悪くなって、自らやっぱり家に帰るのはやめたよと訴え、最期は病院で迎えました。なかなか、思い通りにはいかないものですよね…。もう、何年も前の話なんですけどね…。 でもこの作...
たいていの人が、最期は自宅で迎えたいと希望します。私の父もそうでしたねぇ…だけど、入院中にどんどん体調が悪くなって、自らやっぱり家に帰るのはやめたよと訴え、最期は病院で迎えました。なかなか、思い通りにはいかないものですよね…。もう、何年も前の話なんですけどね…。 でもこの作品の著者の石川結貴さんは、ご自身のお父様をの気持ちを最優先し、自宅で最期を看取られています。お父様が、転倒したり慢性腎不全の治療(人工透析)を拒んだり、身体機能が低下して排泄の失敗が多くなったり…最期には寝たきりになるんだけれど、そのすべてを受け入れて、看きれたのはやっぱり石川結貴さんだからってことだと感じましたね…。石川結貴さんのルポライターらしい行動力には、感服しました。 この作品を読んでいて心に残ったのは、排泄の失敗が多くなってきたお父様に手をやいた石川結貴さんが、ALSで日常生活全般に介護が必要な状態であるお兄様に、紙オムツの使用をすすめてほしいとお願いした場面です。お兄様は、多少汚れてしまっても自分で洗濯ができたりトイレに行けるのならもう少し様子を見てはどうか?排泄の介助を受けることは自分でもいちばん受け入れがたかったことだから…と話されたことです。ハッとさせられましたね…排泄に不安がある、時々失敗してしまうくらいで安易に、紙おむつをすすめるのはその人を傷つけてしまうということ、それを再確認できたことはよかったです。
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「家で死ぬ」ということは、この本読んでも、とても大変でぜいたくなことなのだと思う。死んだオヤジも、会うたびに「家に帰りたい」と言い続けていたことを思い出す。ただオレは、「インセン」や下の世話などの在宅介護が、とてもできるとは思えず、逃げた。 ピンピンコロリなんて思うようにいくはず...
「家で死ぬ」ということは、この本読んでも、とても大変でぜいたくなことなのだと思う。死んだオヤジも、会うたびに「家に帰りたい」と言い続けていたことを思い出す。ただオレは、「インセン」や下の世話などの在宅介護が、とてもできるとは思えず、逃げた。 ピンピンコロリなんて思うようにいくはずもなく、いまの医学はすごくて、脳梗塞で脳半分がだめになっても、あっちには行かせてもらえない。経済的なことも含めて、家族はどうしたらいいのか途方に暮れる。長生きしすぎるのも困るのが、貧乏になった日本なのだろう。 子が親の面倒を見なけりゃとか、老いた親の意思を尊重しなくてはっていう価値観に、縛り付けられすぎているのかもしれない。大変不謹慎な発言だとは思いつつ、この家のお父さんも、バイクで転んだ時に骨折ではなく、そのまま逝ってしまっていたら、あるいは共同浴場で倒れて頭を打った時にそのまま逝ってしまっていたら、ピンコロが実現できていたのかもしれない。
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住み慣れた家で死ぬ、ピンピンころり。なんという耳障りの良い言葉だろうか。しかし実際はとても厳しいもののようだ。だからと言って制限だらけの病院や施設で迎える最期は幸せとは限らない。どちらを選んでも正解はない。ただ、在宅死は全然簡単なものではないし、周りの協力が無ければなんともならな...
住み慣れた家で死ぬ、ピンピンころり。なんという耳障りの良い言葉だろうか。しかし実際はとても厳しいもののようだ。だからと言って制限だらけの病院や施設で迎える最期は幸せとは限らない。どちらを選んでも正解はない。ただ、在宅死は全然簡単なものではないし、周りの協力が無ければなんともならないハードルの高いものであるとは驚きだ。特に駐車場問題は思いもよらなかったな。確かに訪問してくれる人は車だもの…在宅死は理想とは程遠いもののようだ。
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親に介護が必要になるかも、の、先の事として読んだけれどこれは親の事としても自分の事としても読んでおいた方が良い1冊です。現実を感じます。 現状の医療制度の歯痒さや、ケアマネさん訪問看護の方達のありがたさ。今後益々人材が必要になるの日本の介護は持ち堪えられるのか???? 不安しかな...
親に介護が必要になるかも、の、先の事として読んだけれどこれは親の事としても自分の事としても読んでおいた方が良い1冊です。現実を感じます。 現状の医療制度の歯痒さや、ケアマネさん訪問看護の方達のありがたさ。今後益々人材が必要になるの日本の介護は持ち堪えられるのか???? 不安しかない。
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『家で死ぬということ ひとり暮らしの親を看取るまで』 石川結貴 衝撃を受けた。私は綺麗事しか知らなかったと改めて実感する。 なんとなく在宅で死にたい。それが一番幸せに違いない、親が望むならそうして欲しい、できることはするから……、と安易に考えていた。死ぬことを正面から考えるのは気...
『家で死ぬということ ひとり暮らしの親を看取るまで』 石川結貴 衝撃を受けた。私は綺麗事しか知らなかったと改めて実感する。 なんとなく在宅で死にたい。それが一番幸せに違いない、親が望むならそうして欲しい、できることはするから……、と安易に考えていた。死ぬことを正面から考えるのは気が重く、恐ろしく、先延ばしにしてきた。 それをこの本は、まざまざと現実を見せてくれた。思いもしなかった事態が次々起こり、介護や医療に翻弄される。著者の実体験を細やかに、かつ端的に描き、さらに根拠あるデータで2023年現在の問題点をあぶりだしている。 まずは私も、介護や在宅医療、看取りに関連することを、真剣に知るということから始めようと思う。自分ごとに捉え情報収集しようと思う。 ★追記 2024/5/11 大宅壮一ノンフィクション賞の候補作に選ばれたそうです。 https://bungakushinko.or.jp/award/ohya/index.html
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今の時代家で死ぬ事は大変な事だ。終末医療、特に自宅に来てくれる医師も数少なくなっている。訪問介護のヘルパーさんもなり手も少なくなり困っている。それでいて介護を必要とする高齢者は増える一方だ。介護認定審査会がスタートした時審査委員になり審査した経験からまあ大変な家庭がある事例を知っ...
今の時代家で死ぬ事は大変な事だ。終末医療、特に自宅に来てくれる医師も数少なくなっている。訪問介護のヘルパーさんもなり手も少なくなり困っている。それでいて介護を必要とする高齢者は増える一方だ。介護認定審査会がスタートした時審査委員になり審査した経験からまあ大変な家庭がある事例を知っている。介護付き老人ホームなどに入居することも考えないといけないかな。
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看取る側の立場で読み出したけど、いつのまにか看取られる側として、気をつけなくてはいけない事を頭の中でピックアップしていた。 その時になったら、すっかりボケて忘れてるだろうけどね 良い勉強になりました。
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【在宅死は本当に幸せなのか?】「俺は家で死ぬ」。実家でひとり暮らしする父は病院や施設に入ることを拒み続けた。遠距離介護した娘と父のリアルな泣き笑い奮戦記。
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