「助けて」が言えない 子ども編 の商品レビュー
・逃げるのでは無い、あえてその居場所を選ぶ ・助けてといざ求められた時に、助ける準備ができているのか、覚悟はあるのか
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もう、何と言いましょうか。 全てが学び。学びに尽きる。 現場に届いて欲しい、そして反映されてほしい。 松本先生にいつの日かお会いしたい。 改めて思った。です。!! これからも松本先生の本、研究、から 当事者として、また、自分の仕事とも絡めて 深く考えたい。 松本先生の研究チームに...
もう、何と言いましょうか。 全てが学び。学びに尽きる。 現場に届いて欲しい、そして反映されてほしい。 松本先生にいつの日かお会いしたい。 改めて思った。です。!! これからも松本先生の本、研究、から 当事者として、また、自分の仕事とも絡めて 深く考えたい。 松本先生の研究チームに入れてください。と 真面目に思った。
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教育関係者です。 『SOSの出し方教育』という言葉に強い違和感を覚えましたが、その違和感をすべてこの本が代弁してくれているように思います。 子どもたちはSOSを出してくれてる 大人が気付いてないだけ
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良本。「助けて」と言えない子どもの背景、環境が分かる。支援方法についての内容。 助けてと言える子どもは強い。
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「助けて」といえる人はある意味強い。必ずどこかでこぼれ落ちてしまう人がいる。それを救おうとしている人もいる。うまく出会えれば良いのだけれど。ただ祈るだけ。
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さまざまな立場の人が書かれた本であり当事者と支援者それぞれの取り組みや変化がみられる。 知らない世界や観点が得られる本。
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図書館の新着コーナーで手に取った。 なるほど、コンビニやパソコン、インターネットの普及を背景に、「社会の個人化」が進行し共通の規範意識や情緒的交流の希薄化が進んだ。今や、クラス全員が共通して観ているテレビ番組はないし、みんなが共通して知っている歌もない。「同じクラスだから仲良くすべき」「全員で一緒のことをするのが当たり前」などという前提が通用しない。 それと、懲罰的な対応を繰り返し与えられる体験が、「自分が働きかけることで、事態を(よりよく)変えることができる」という感覚を奪うという。これを「学習的無力感」というそうだ。 言い換えると、非随伴的環境での苦痛体験が受動性を引き起こすということだ。つまり、随伴性感覚の欠如(「コントロールの可能性」を学んでいないこと)が受動性の原因だという。この随伴性感覚(免疫)を身につけることがストレス耐性を高める可能性があるとのこと。 それと、苦しい現実から解放される方法が死ぬしかないと思う前に、逃げてもいいと思うこと、そして逃げた先で手を差し伸べてくれる大人の存在が求められるのだ。だが、「助けて」って言ったって大人は助けてくれない、という子供が仲間同士で寄り添いトー横キッズとして現実的な解決を図っている。寄り添う大人が必要なのだ。 こういう言い方は正確ではないかもしれないが、現代の精神病理のようなものを学ぶことができた一冊だ。
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「助けて」と言葉で言えなくても、別の何かに変えて現れているサインを大人は受け取れるのか、受け取れたとしても対応できるのか。
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いろいろな子どもたちがいて、なんとなく見守っていて、でも踏み込むところまでは自信がなくて、な自分。 そんな時、どうすればいいか、がなんとなく分かった。
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