檸檬先生 の商品レビュー
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少年が先生に出会ってから人や音楽,算数の楽しさを階段を上るように知っていく様子を見て「よかったね」の一言に尽きる。一方で先生にとっての先生はおらず、幼少から理解し寄り添ってくれる人の重要性を思う。生きた証を残したかった先生は(作品に登場しなかったので)名前(本名)すら残せず、コンクリートの赤も数時間後には綺麗に流されてしまう。どれだけの孤独とプレッシャーを1人で抱えていたのかと思うと胸が痛い。環境を通して人を見ているのは本人のことを見ている方で見れていないのだと彼女のおばあさんを見て気がついた。気をつけたい。
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ー「少年、共感覚が全て正しい訳じゃないよ」ー 共感覚がテーマの一つとなる。それもあり作中様々な色と音が存在する。中には聞いた事のないような、しかし想像しやすいようになってる。共感覚としての感じ方を少しだけ共有できるような気がする。 主要人物の名前が最後まで明かされない。この世...
ー「少年、共感覚が全て正しい訳じゃないよ」ー 共感覚がテーマの一つとなる。それもあり作中様々な色と音が存在する。中には聞いた事のないような、しかし想像しやすいようになってる。共感覚としての感じ方を少しだけ共有できるような気がする。 主要人物の名前が最後まで明かされない。この世に何かを残したかった檸檬先生が名前さえ読者に残せないという残酷さ。世界と自分の感覚を無理やり二分させることが出来たからこそいつまでも世界に違和感があったかもしれない。 取扱いを凄く気をつけなければいけないなと思った。檸檬先生の終わり方の描写に美しささえ感じてしまった。凄く鋭利で瞬間的だからこそ読んでいる人の何かを刺激させる
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ふらっと立ち寄った書店に‘中高生ビブリオバトルで紹介された本’というコーナーがあり、中学生部門のうちの一冊にあった本作。特に内容紹介のPOPは無かったけど表紙に惹かれて購入。あとから気づきましたが『ブルーピリオド』の山口つばさ先生による装画。 かなりはっきりと賛否分かれそうな結末。 まず本作に登場するキーワードに「共感覚」という知覚現象がある。文字や音に色彩を感じたり、はたまた数字に味を感じたりする感覚の事で、色々なパターンが実際に確認されているらしい。一説によると23人に1人はこの感覚を持つともされている(出典不明)、本作主人公の〈私〉と〈檸檬先生〉も共感覚の保有者で、音に色彩を感じたり色に音が聞こえたり他者のもつ雰囲気に色が見えるという特性を持った人たち。 やはりというか、この共感覚を持っていることで周囲とズレが生じ、それぞれ対人関係に悩む描写が見られる。 もう一つのキーに「私たちの世界」(p239、304)について長い時間をかけて探索するという物語の縦軸がある。〈私〉も〈檸檬先生〉も、秘めた強さや衝動はちゃんと持っているけれど、ともすればパンッと消え入ってしまいそうな危うさ・儚さを抱えたキャラクターであり、足元がぐらついているという共通点はある。だからこそ自然に2人支え合って歩き始めるのだ、と言えるが、フラフラした2人が手を繋いだら余計に揺れが大きくなるというか、片っぽが寄りかかりすぎるともう片っぽに揺らぎを押し付けてしまいかねない危なっかしさはあると思う。 〈檸檬先生〉は気風の良い口調も相まって辛いこともハッハァ!と笑い飛ばせる磊落な人物に見える一方で、‘本当の自分’を全く他者に認識してもらえず自分が進む道すら自分で選べなかった事、自身の性的自認や性嗜好(そもそも檸檬先生に性別を当て嵌めるのが違うような気がする。p146〜の私との入浴場面や、私のクラスメイトの松尾さん=典型的な女子像との対照などより)の不安定さに失望・困憊し、「私は結局やっぱり透明だった」(p292)、すなわち「私たちの世界」に身の置き所を25年かけても見出す事が出来なかった為に最期、強硬な手段で‘そこへいた人達に’あまりに鮮烈で凄絶なシーンを焼き付けてその生涯に幕を下ろす。 本作は春夏秋冬四つの章から成るが、秋まではすごくのめり込んで読む事が出来た。やっぱり冬の章、あれだけカリスマの気風を漂わせていた檸檬先生が死を選択してしまうという終わり方はどうしても個人的には苦手だし、死なれてしまったらそれは反則というか、今まで何だったんだ感が拭えない。が、一方で‘他人に対して男とか女とか先生とか強いとか可愛いとか勝手にカテゴライズした気になるなよ’という、重い一撃のような主張を読者へ投げかけているのかもしれないと思いました。 元々の中学生のプレゼンを聞きたいなあ。 1刷 2024.7.2
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少し長くなりそうですが… 共感覚、一つの感覚刺激から複数の感覚が呼び起こされること。 たとえば、文字や数字に色がついて見えたり、音楽を聴いた時に色彩が思い浮かんだりするらしい。 実は前者は私もあり、文字を見ると頭に色が浮かんできます。 この物語のように生活に支障があるほどではないですが。 そんな共感覚の話だとケンゴが紹介していて、とても興味を惹かれた作品です。 前半は少年へのいじめの加減がリアルで読むのがしんどかったですね。 そんな中でも檸檬先生と出会い、逞しく居場所を見つけて成長していく少年は幸せになってほしかったなぁ。 冒頭から先生が死んでいるので、そうなるんだろうなと思って読みながらも、やっぱりね… 随所にある、檸檬先生の艶やかな描写がこの本の魅力とラストの凄惨さをグッと跳ね上げていて、先生の間際の一言が深みを増します。 多くの色が出てきてそれらが効果的に使われていて良いスパイスになっているところもあるけど、私の感性では追いつけないところもありました。 今までには読んだ事のないタイプの一冊でした。 でも、最後に言うならここの学校の先生たちは何やってんだ笑
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本作『檸檬先生』のあらすじと感想になります。 共感覚という音や文字、物や人の一つ一つが色に見える感覚を持った小学生の少年は、とある日の音楽室で檸檬色の中学生の女の子と出逢う。自分と似た共感覚を持った女の子のことを少年は檸檬先生と慕うのだが…。 珠川こおりさん初読み作品になりま...
本作『檸檬先生』のあらすじと感想になります。 共感覚という音や文字、物や人の一つ一つが色に見える感覚を持った小学生の少年は、とある日の音楽室で檸檬色の中学生の女の子と出逢う。自分と似た共感覚を持った女の子のことを少年は檸檬先生と慕うのだが…。 珠川こおりさん初読み作品になりますが、ちょっと幾つか思う所があるので、ファンの方に不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません。 まず本作の構成ですが、プロローグに相当する1ページ半の部分は不要だと私は感じました。この1ページ半の存在が頭に残ったまま少年と先生の日常を回想されると、冒頭の展開はいつ来るのか?と春夏秋冬のエピソードが頭に入って来ず、惰性で読み進めてしまい、メッセージ性を読者は受け取りにくい結果に見えます。 むしろ277ページをプロローグにした方が純粋な少年と先生の気持ちを読み解こうと読者のモチベは上がり、春夏秋冬の良さが引き立つ気がします。その上での最後の展開は、きっと少年と読者に深い意味を持たせてくれるのでは?と感じますね。 と、久し振りの上から目線なコメントで失礼いたしました。
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音や数字、人に色がついて見える「共感覚」。そういう世界があるというのを初めて知った。 少年は檸檬先生に救われたが、「先生」は苦しい人生の中で少年だけが救いだったのだろうと思う。檸檬先生は「共感覚」だけではなく、様々な環境ががんじ絡めになり、最後の選択をしたのだろう。もっと少年に救いを求めてもらいたかった…。
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共感覚をテーマにしていると聴いて、手に取ったのですが、想像していた透明感のある雰囲気とは少し違っていて。所々に登場する官能的な表現に戸惑いつつ、何とか最後まで読めました。共感覚、持っている人にしか分からない感情があるのでしょうね。
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この本を読む前、共感覚について私が持っていたイメージは、音や文字に色がついて見えるなんてスゴイ、どんな世界なんだろう、という憧れにも似た興味。 けれど、この本を読み始めてすぐ、それは違うのではと思わされる。そうか、文字や音に色がつくとは、そういうことなのか、と。 冒頭から、あらすじ読んで想像してたのとはちょっと違うのかも…?と衝撃を受ける。 途中、なんだかもわっとした気分に襲われつつ、主人公である“私(少年)”の変わっていく様にホッとしたりもするが、後半にかけて“檸檬先生”の心の機微との対比がちょっと苦しい。 共感覚という言葉は聞いたことがあって、でも詳しくは知らないから、それに惹かれて手にした一冊。 “普通とか普通じゃないとか”、多様性をフラットに受け入れるということは、自分自身まだまだだなぁと思わされる。そのあたりが、読了後のなんともいえない虚しさにつながっているのか。 小3の“私”の一人称視点でありつつ大人びている表現とか、“檸檬先生”に起こる結末のなぜとか、点と点が線に繋がりきらないようなところも、この作品の特徴なのか。 とにかくいろいろ考えさせられる本だった。
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